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第44話 しっぽが痙攣している!?
サブライムの顔が近い。頬が触れ合いそうになって、慌てて首を後ろに引いた。しかし離れようとすればするほど、サブライムは顔を寄せてくる。
(近いよー!)
「寂しかったぞ。凛空。王宮に戻り、目が覚めた時、お前はスティールのところにいると聞いた。すぐにでも迎えに行きたい気持ちだったが、おれは瀕死ってことになっていたからな。この気持ちを抑えるのが一番辛いことだった」
サブライムの匂いが鼻を掠める。それだけで頭の芯がぼんやりとしてくるのに。優しい声で囁かれると、もっと頭の中が真っ白になる。
「サブライムが無事じゃないって聞いて、おれ……。あんなにたくさん血が流れていたし……」
言葉に詰まっていると、サブライムが「ふふ」と悪戯な笑みを見せた。
「心配してくれていたのか?」
「心配した……。心配したよ」
サブライムはおれの頬に顔を寄せてくる。頭の芯を刺激されるような匂い。なんとも言えない恍惚感に襲われる。目の前がくらくらして眩暈が起きているみたいだった。
(先生が言っていた。真のつがい。おれたちは、真のつがいなの——?)
しっぽがプルプルと小刻みに震える。窓際に置いてある長椅子に下ろされると、そのまま彼が覆いかぶさってきて、身動きが取れなかった。
「からかわないで——」
「からかってなどいるものか」
「だ、だって……。サブライムにはつがいになる人がいるんでしょう? その人とつがいになるって言っていたじゃない」
「それは。お前がおれのつがいにならないと言うから。意地悪をしただけだ」
「な、な、な……」
サブライムの唇はおれの唇に触れそうなくらい近かった。
「意地悪だったの?」
「そうだ。この国の王の求愛を断るとは、なんと生意気な黒猫だと思ったのだ」
(だって——)
「おれは罰を受けるの? 王様の求愛を断ると、どうなるの?」
「罰か」
サブライムは口元を緩めた。
「そうだな。罰を与えてやってもいいが。どんな罰が適当か。お前をぐるぐる巻きにして、ふわふわのおもちゃを目の前に吊るしてやろうか?」
「そんな! 拷問だ……」
「それとも猫は風呂に入るのが嫌いだそうだな。お前を風呂に入れてやろうか?」
「うう。それだけは……」
想像しただけでも恐ろしい拷問の数々だ。血の気が引くとは、まさにこのこと。耳が前に倒れて、しっぽがぶるぶると震えた。そんなおれを見て、サブライムは「ぷ」と吹きだす。
「からかったの!?」
「お前は面白いからな。今のは冗談だ。恋愛とは自由がいい。おれは王としてではなく、一人の人間として言いたい。お前が好きだ。凛空。おれはお前をつがいにしたい。おれはお前を諦めきれないのだ。何度でも言う。お前が好きだ」
「サブライム——」
「おれが種族を越えた共存を目指すのは、皆のためではあるが……それ以前におれの我儘だ。おれは獣人のお前をつがいにしたい。王の席に座ったその時から、おれの夢はそれだけだ」
「ちょっと待って! ってことは、なに? 獣人のおれをつがいにするために、開かれた王宮を目指していたの?」
サブライムの指が、そっとおれの唇をなぞった。サブライムに触れられた場所が、火傷をしたみたいにちりちりとした。
「そうだ。凛空。全てはお前とつがいになるため」
「嘘ばっかり! 本当はエピタフのことも気にしていたんでしょう?」
サブライムは笑い出した。一頻り笑うと、「お前は妙なところで勘が鋭いな」と言った。
「サブライムは自分の欲求で動く人じゃないって知っているもの。サブライムは王様だよ。根っからの。みんなの思い。ちゃんと受け止められる王様だもの」
そう言ってからはったとする。
サブライムの瞳は熱を帯びていて、なんだか違う人に見えたのだ。
「お前に褒めてもらえると嬉しいものだな。——凛空。口づけをすることを許せ」
しっぽがぴくぴくと痙攣しているのに気がついたのか、唇から離れた指が、しっぽの付け根を撫で上げた。
おれは思わずぎゅっと目を瞑った。サブライムの唇は、おれの唇を啄むように何度もくっついては離れを繰り返す。
心臓が高鳴った。目の前がぼんやりと霞んで彼の顔がよく見えない。
「泣くな。そんなに顔を真っ赤にして。可愛いな。お前は。怖いのか? 口づけが」
「怖くなんてな——い」
言い返そうとして、口を開くと、そこにサブライムの唇が再びくっついた。
温かい。それから甘い味がした。花の香りみたいな匂いがずっと続いている。サブライムの唇が離れていくと、なんだか名残惜しい気持ちになる。思わず唇を求めて、視線を上げると、サブライムの唇がおれの頭の上の耳を噛んだ。
「ひいいい」
思わずへんてこな声が洩れた。サブライムは「ぷ」と吹き出す。
「いちいち可愛い反応を示すものだ」
「だ、だ、だってー! くすぐったいことばっかりするじゃない」
「くすぐったいとは少し違うのではないか? ここがもぞもぞとしているぞ」
しっぽが痙攣しているのを示されると、もう頭のてっぺんまで熱くなった。
「お前とこうしていたい。だからこそ。おれはカースとの決着をつける。そしてお前を正式につがいとして迎え入れる」
サブライムはおれの頬を舌で舐めた。ざらざらとした舌の刺激に、思わず目を瞑った。
「嫌だったらここから抜け出せばいい。おれを押し返せ。凛空」
(そんなこと、できるわけない)
「おれを受け入れろ」
エピタフの思いに引っ張られて、おれはサブライムの申し出を突っぱねてしまった。けれど、サブライムが目の前から消えて、すごく怖かった。ずっと怖かったんだ。
それが今。目の前に彼がいる。彼の碧眼はおれを映し出す。そうだ。サブライムの視界にはおれしかいない。おれのことだけを見てくれているのだ。そう思うだけで、からだの奥底が熱くなって痺れてくる。
(これが好き? これが恋?)
「凛空。返事は?」
おれは「——はい」と小さく答えた。
サブライムは生まれながらの王様なのだ。彼は「自分は認められていない」といっていたが、それは過去になった。おれが革命組にいる間に、サブライムは誰もが認める王になったのだ。
誰しもが彼に縋り、彼に全てを託す。サブライムはみんなの思いを抱えて、前に歩んでいくしかない。彼に立ち止まることは許されないのだ。
サブライムの首に腕を回すと、おれたちの距離は縮まった。サブライムはおれの首元に顔を埋める。
(おれは、この人のためにできることをしたい——)
そう強く願った。
(守ってもらうことばかりでは駄目だ。おれはおれのできることをする。必ずみんなを守る)
サブライムの唇がおれの首筋を這う。そのくすぐったい感触に目を閉じると、不意に執務室の扉が開いた。
「お取込み中とは存じ上げますが、時間がありません。王宮にある古文書と革命組に保管されていた古文書の読み合わせを凛空に願いたいのです」
そこにはピスと博士が立っていた。あんなに仲が悪い様子だったのに。こうして一致団結すると、すごい圧力だ。
サブライムは苦笑して、からだを起こす。なにを言っても引き下がらない二人だ、と理解しているのだろう。
「入れ。凛空。読んでやれ」
「は、はい!」
二人は遠慮する気配もなく、ずかずかと中に入って来ると、テーブルに古文書を広げた。
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