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第48話 カースの正体
しばらくの間、カースはそうして黙り込んでいたが、ふと口を開いた。
「音は王のお気に入りだった。美しい声で歌うあいつを、王はそばに置いた。つがいにする気もないくせに……。あいつをいいように弄んだのだ。おれは懇願した。もう王の言いなりなどなるな、と。なのに……」
音はカースを愛していた。モデスティとの戦いの中。おれの中に流れてきた記憶は、それを物語っていた。
「しかしお前は、おれの声などまるで耳に入らないかのように。王の手を取った。おれを捨てて。結局はおれのことなど、どうでもよかったのだろう? お前は王の権力が欲しかったのだ」
王宮に使える身で、王からの命に従わないという選択肢はなかったはずだ。音はカースを守るために、苦渋の決断をしたに違いない。しかし、その思いはカースには伝わっていないのだ。
「お前のしたことは、おれを苦しめるだけだった。おれはお前と一緒なら、王宮になどこだわらなかった。二人でどこか遠くに行って暮らそう。そう考えていたのに——。おれの世界からお前が消えた。お前のいない世界など、おれにとったら死んでいるも同然だ。こんな思いをさせるのなら、最初から優しくなどするな」
石棺に手をつくおれを見下ろしてカースは声を荒上げた。
「さらにお前は、おれに最愛の者殺しの罪を背負わせたのだぞ。何故あの時。おれが王を仕留める寸でで、お前は身を挺したのだ。お前のからだに、おれの剣が突き刺さった時の感触。おれは忘れられぬ」
カースはまるで自らの手が音の血で汚れているかのように、その両手を忌々しそうに見下ろしていた。
「身勝手はお前の行動。おれの気持ちなど、ひとつも理解していないのは、お前ではないか——!」
孤独の中にいた彼の目の前に現れた音は、希望の光だったのだろう。全てを失って、途方に暮れていたおれの目の前に現れたサブライムみたいに。きっと音はきらきらと輝いて見えたことだろう。
二人の気持ちを考えると、なんと言ったらいいのかわからなくなってしまった。喉になにかが詰まっているみたいに苦しかった。
黙り込んでいるおれを見下ろしてから、カースは気を取り直したように声色を変えた。
「お前と話をすると調子が狂う。時間稼ぎをしても無駄だ。この場所を知る者はいない。お前を助けに来る者などいないということだ」
カースは石棺の蓋を力任せに押した。ゴロゴロと鈍い音がして、蓋は反対側に落ち込んだ。
石棺の中身が露わになる。そこにあったのは——骸だ。骸骨だ。骨は風化し、ところどころ崩れ落ちている。肉体が現存した頃に纏っていたであろう白い服は色あせ、埃をかぶっていた。骸の周囲には新しい花が添えられている。誰が備えているのだろうか。
おれのからだの中は熱くなる。まるで血が沸々と湧いてくるようなその感覚に目の前がチカチカとしていた。
「——お、音……? この人が、音……?」
「そうだ。音だ」
カースはそれをただ見下ろしていた。
「だから器が必要なのだ」
そっと手を伸ばし、崩れ落ちそうな頭蓋骨に触れた。その瞬間、まったく違う場面の映像が、おれの視界に映し出された。
*
「カース。待ちましたか?」
目の前にいる黒い外套の男は笑った。
「お前を待つ時間は楽しい。いくらでも待てるものだ」
「よくもまあ、そんな恥ずかしいことを口にできますね」
そこにいるおれ——音はそう言って笑った。心が弾んでいた。
*
「あまりおれの顔を見るな」
「どうして?」
「醜い。おれは生まれてきてはいけない存在だった」
音の手が伸びて、カースの頬を撫でる。
「私はそうは思いません。貴方は美しいです。私は貴方が好き——」
カースの白縹色の瞳は細められ、そして優しい色を帯びる。
*
今度は王様がいた。サブライムよりもかなり年配みたいだけれど、それでも力のみなぎる王様だった。
「あの禍々しい者とつき合うな。音。お前は神聖なる王宮に仕えし猫族」
音の心は沈み込んだ。
「お前があまりにもあの者と近しくするというならば。私は考えなくてはいけない。忌まわしい男だが、こうして書記官として王宮に残してやっているのは誰のおかげだ」
「申し訳……ありませんでした」
「そう悲しい顔をするな。お前のことは好いている。つがいにはできぬが、生涯大事にしよう」
(そんなこと望まないのに……)
「——ありがとうございます」
音の心は地の底まで沈んでいった。
*
「なぜだ。なぜ、お前は王を守る!」
床に倒れていた。視界がかすんで見えない。ああ、これが死だ。命が消えるその時の感覚だ。なにかを話そうとすれば口から血が溢れ出した。
こんなことになっていたって、音の心の中はカースのことばかりだ。血まみれの剣を捨て、駆け寄ってきたカースの首を抱き寄せ。そして彼に口づけをした。その血はカースの中に入り込み、そして彼の魂をも自分の中に取り込んでいく。
「——お前はそこまでしておれを嫌うのか。音——おれは。おれはお前と——っ」
カースの悲痛な叫びに胸が張り裂けそうだった。
——私は貴方を愛しているのです。ただそれだけなのです……
死など恐れるに足りません
ただ……貴方にそう思われているということだけが辛いのです
***
色々な場面を、まるで足早に見ているみたいな感覚に、眼球が振られていた。必死に掴んでいた石棺の冷たい感触に我に返った。
「カース……もう、止めて。もう止めよう。音はこんなこと、望んでいない。音は、貴方とここで静かに眠っていたいんだ。貴方にもう罪を重ねて欲しくないって願っているんだ」
「うるさい。黙れ! 黒猫!」
「黙らないよ! 貴方はなんにもわかっていないんだ! 音が貴方のことをどんなに大事に思っていたか。貴方との時間をどんなに幸せに感じていたのか……っ」
おれはカースに掴みかかった。その瞬間——。おれを避けようと、身を翻したカースの仮面が弾け飛んだ。漆黒の外套は外れ彼の素顔が露わになる。おれは息を飲んだ。
純白の肌に浮かぶうろこは時折、薄茶色を示し、光で七色に輝いていた。白縹色の目は、瞳孔が縦に細く、まるで蛇——。そうか。カースは蛇族なのだ。
「驚いたか」
「お、驚いたけれど。でも——」
それはとても……。
「綺麗……だ」
彼の瞳がおれを捉える。
「音もそう言った。そう言ってくれるのはお前たちだけだ——」
両生類、爬虫類の人間との交配はとても難しい。だから、そういった種族は獣人とはならずにそもそもの形だけを保って生きながらえていると聞いていた。けれども、いたのだ。ここに。蛇との交配種が——。
「千年前も、おれは突然変異として扱われた。この姿は皆に忌み嫌われた。魔法の腕は誰にも負けなかった。それなのに、この姿形で魔法省を追い出されることになったおれを、王を説き伏せて書記官に残してくれたのは音だった」
彼は愛おしむかのように、石棺を見つめていた。
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