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第3話

 宴が終わると、レオンハルトはロミルダの事を王宮に引き留めた。それが彼自身が望んだことだったのか、舞踏会の時と同じようにロミルダに煽られての事だったのかは、オリヴァーは分からなかったが、婚約者でもない令嬢を王宮に泊めるなど本来あってはならない行為である。  それはもはや閨を共にしたにも等しい、となればロミルダが、王の子を妊娠しているなどと騒ぎ立てることもできる。そんな醜聞をベルンハルト国王が許すとは到底思えない。  しかし、今回の彼女の目的がどこにあるのかは今後の動きでしかわからない。いつだってオリヴァーには従者という特性上、後手に回ってしまう。  ……それでも、無理やり王族に輿入れするために今日、この場に留まることを望んだ可能性は十二分にありますね。このまま、与えられた部屋の中で静かに過ごすとは思えません。  十中八九彼女はやってくる。そうして、本当に王族の血を引いた子供を手にいようとする可能性もある。しかし、それだけは何としてでも止めなければならないし、可能性はあるといっても彼女は貴族の中でも王族の派閥に属していない。  つまりは、レオンハルトに利益があるようには動かない立ち位置の令嬢なのだ。そんな彼女は、自分の弟と公爵の爵位争いをしていると聞く。実際に王の子供を孕んでしまっては、爵位を継承できない。  子供以外のなにか領地に利益をもたらすようなものを彼女は必ず欲しがるはずだ。 「オリヴァー」  ……それはいったい何なのでしょうか。主様を誘惑してまで手に入れたい代物。それがあれば爵位の継承に大きく近づくような……。  母親でありレオンハルトの乳母でもある、テレーザに叩き込まれた貴族同士の関係性や、利害関係などの情報を組み合わせて考える。ロミルダの生家であるメルダース公爵家は隣国と接している位置にある大領地だ。  そんな王都から離れた場所の利権に絡むような事業をレオンハルトが担っていたとも思えなかったし、単純に体をつなげてさらにレオンハルトから、贈り物や金品を奪い取ろうとしているという可能性もなくはない。 「……オリヴァー」  もしくは、レオンハルトが持っている宝石なんかをいっそのこと強奪しようとしているなんて話だったら一番楽だと思う。     取られても、レオンハルトの懐が痛むだけですむし、彼は少々装飾品を収集しすぎるところがある。王族のあかしとしての指輪以外は、いくらでも持っていってもかまわない。 「オリヴァー……紅茶のおかわりを欲しいんだが」 「……ええ、ただいま」 「……」  必死にロミルダの狙いについて考えていたオリヴァーにレオンハルトがのんきな声でそういった。彼は自室に戻ってきてからというもの、ずっと執務机に向かって公務を行っていた。  戦地からベルンハルト国王陛下が帰ってくる前に、出来る限りの事をしておくのだと先日に言っていたので春の宴があっためでたい日でもこうして公務をするのはとても喜ばれることである。  ……いい事ではあるのです。 「……」  彼の要望に、呼ばれる前から気がついていたオリヴァーは、手早く紅茶をそのティーカップに注いでやって、それからまた、今日のレオンハルトの衣装の片づけと整理に戻る。  指輪とネックレス、ブローチはドレッサーに、ジャケットは一度手入れをしてからドレスルームに片づけを終えながらも、あの令嬢が来たらどう対処するべきかを考えた。  そんな面倒なお客である彼女を王宮に引き入れた本人であるレオンハルトはいつもの通り、のんきに帰宅した父親に褒められようと子供のように仕事をしているだけである。 「……なぁ、オリヴァー」  しかし、先ほどの問答だけでレオンハルトはオリヴァーの異変に気がついたらしく、彼は少し伺うような声で、オリヴァーに声をかけた。  彼にあからさまに逆らう気はないのでオリヴァーは、片づけをしながら声だけにこやかに彼に返す。 「何でしょうか。主様」 「……なにか俺は、お前の気分を害するようなことをしたか?」  ……気分を害することですか。……私はこんなに主様の事を考えてるのに私が私的な気持ちで怒ってると考えるのですか。 「いいえ、主様は何も悪い事はしていらっしゃらないではないですか」  イラつきから若干の皮肉を込めてそうレオンハルトに言った。手は止めずに明日の衣装の準備や、予定の確認に手帳を開いたりしていると、オリヴァーの返答を聞いて、レオンハルトは黙り込む。 「……」  それに、オリヴァーはおや、と思い、視線を上げて彼を見る。すると、彼は、淹れたばかりの紅茶をとてもわざとらしい仕草でこぼした。  丁度ティーカップを手に取ろうとしたときに誤ってこぼしてしまったみたいなシチュエーションではあったが、そうでないことぐらいは、理解ができる。  そのわざとこぼした紅茶はテーブルに広がって、今にもレオンハルトの衣服を汚しそうになる。それだけで済めばいいが、衣類に染みこんで火傷を負ってしまったら大変だ。  自業自得に見えたとしても、それはオリヴァーにとって心底大事な主様のお体であり、傷一つつくべきではない大切なものだ。  頭で考える前に、オリヴァーの体はなんの躊躇もなく動き、戸棚からタオルを引き出して、拗ねた子供のようにオリヴァーを見つめている彼の元へと走った。 「お怪我はありませんか? 熱いので触らないでくださいね」 「……」  一滴でも熱い紅茶が彼にかからないようにテーブルを拭いていく、いくつか書類が駄目になってしまったけれどもそれは些末なことであり、オリヴァーの思考の外だった。  レオンハルトを机から離して、手が熱くなるのも気にせずにオリヴァーは紅茶を拭いてそのタオルを纏めて、レオンハルトの元から去ろうとする。しかし、長くして結っているオリヴァーのミルクティーのような髪をレオンハルトは徐に掴んだ。 「っ……主様」 「オリヴァー、私は何かしたか」 「……」  ぐっと引かれ、この髪はそんな風に掴まれるためにあるのではないのに、気にくわない事があるといつもこれだと思いつつ、オリヴァーは珍しくはぁっと一つ息をついてから、昔の時の一人称に戻ってしまった彼を仕方なく思いながら、安心させてやるべく話し出した。 「……ただ、昼の婚約破棄という発言の件について考えていただけですよ。あまりに唐突でしたので」 「そうならそうと早くいえ、お前が静かだと調子も狂うし、居心地が悪い」 「申し訳ありません」  ……居心地が悪いなんてよく言えますね。昼にした自分の横暴に、私が怒っていて、その状況すら嫌だなんてわがままが過ぎますよ。  そんな風に思いながらも口だけで謝ると、レオンハルトはさらにオリヴァーの髪を引っ張り、仕方なく彼の前にオリヴァーは跪くようにして膝をつき座っている彼を見上げた。 「まだ私に文句があるのだろう。言いたいことがあるなら言えばいい」  言いながらオリヴァーの髪を弄び鋭い金色の瞳でオリヴァーを射抜くように見つめる。そんな瞳にオリヴァーはごくっと小さく息をのみ、他人行儀な従者然した態度をやめて、少しだけ不服な顔を作る。 「髪を引っ張るのやめてください、あと、飲み物をこぼすのも」 「わざとじゃない」 「……まぁかまいませんけれど」  オリヴァーがまずはその悪態を何とかしてほしくてそう口にするのに、彼は分かり切った嘘をつき、わざとではないなんて口にするのだった。けれどもそれはオリヴァーだって別に心底嫌というわけではない。

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