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第2話
とても軽やかなダンスで、一見、豪華なドレスを着ているロミルダの方が素晴らしい技術を持っているようにも見えるかもしれない、しかし、それは間違いであり、レオンハルトが彼女が一番動きやすいように美しく見えるように導いてやっているのだ。
だから、レオンハルトと踊る女性は誰だってたちまちホールで一番美しい女性になれる。
そんな、素晴らしい技術があり多才な彼の踊りの相手はエミーリアであるべきであり、そうではないこの状況にオリヴァーは焦りを感じつつ、エミーリアを視線で探す。
すぐに見つけた彼女は、とても複雑そうな顔をして一貴族として、周りの群衆やオリヴァーと同じで彼らだけの二人の空間に入っていけずにいた。
……このままではまずいですよね。絶対に。
そうだとは分かるのに打開策は思いつかない。
転生してからというもの、ずっと仕えてきた大切な主様に危機が訪れているというのに危機感だけが募るばかりでオリヴァーの策はまったく功をなしていない。
昔から、王太子であるのに国王とそりの合わないレオンハルトは苦労ばかりの人生を歩んできて、ここに来てやっとベルンハルト国王陛下から留守の城を任されるまでになったというのに、この状況は、非情に良くない。
ベルンハルトからの信頼の要因の一つである聖女エミーリアを婚約者として迎えるという前提条件がこのままでは崩れてしまう。それに何より、こんな状況には既視感がある。
転生する前に、流行っていた漫画や、小説でよく見た設定だ。素晴らしい婚約相手がいるのにそんな彼女の事をないがしろにして、悪女に誑かされて選択を誤り自業自得な目に合う気分爽快なあの小説だ。
多くの場合、そうなればもう手遅れになってしまい、後は破滅への道を進むのみ。
あのロミルダという令嬢がレオンハルトに近づいてきてから、どんどんとエミーリアに対するレオンハルトの態度は悪くなり、こうしてオリヴァーがフォローできないような事態になることも多かった。
……それは、きっとロミルダ様がそのように仕向けていたのかもしれませんけれど。
ああして、レオンハルトに煽るようなことを言って、行動を起こさせて、意のままにする。それをして彼女にどんな徳があるのかは、はたから彼らをずっと見ていたオリヴァーは知っているし、そういう貴族の策略よりもレオンハルトは詩のような甘い言葉をどんな風に言うのかという事を考えていない。
だから破滅の道に進まされていることにも気がつかない。
あの小説や漫画のように必然的にこうなってしまっていて、しかし、それがただのフィクションだったのなら、オリヴァーだって、婚約者をないがしろにする夫なんて痛い目を見ればうれしかったが、そうはいかない。
こちらに来てしまってからずっと、オリヴァーの主である立派な人間であろうとしてくれた大切なひとなのだ。
そんな人が破滅するのなんて、絶対に回避しなければならない。
それでも、オリヴァーは彼の前には出られないし、歯向かえない。そういう関係性であるし、無理に変えようとすればレオンハルトに痛みが伴う。そんな彼はもう見たくない。
……だからどうか、思いとどまってください主様。あんな小説のような悪人じゃないはずでしょう主様は。
オリヴァーは彼らが一曲踊り終わるまで祈るように思い続けた。
こんな風に前世の記憶を持ったまま転生してしまったオリヴァーが、時折取り乱したり、弱音を吐くのを優しい言葉で慰めてくれるような人であり、エミーリアに対してもそうなれる人であると思うのに、オリヴァーの危機感はどうしてもぬぐえない。
そもそも、あまり他人をけなすようなことをしないはずなのにどうしてエミーリアの事をそれほどまでにないがしろにするのはか、オリヴァーにだってわからないけれど、ももしかすると、この世界は前世のどこかの小説で見たような世界で、そういうシナリオになるように強制力が働いているかもなんて考えてしまうほど不可解だった。
しかし、これはまぎれもなく現実であり、目の前で踊る彼らは、作り物なんかじゃない。
周りの貴族がこそこそと始める噂話も、エミーリアの泣きそうな顔も、むきになって現実から目を背けるように音楽に浸っているレオンハルトの表情もすべてが今起こっているこの時のこの場所だけのリアルだ。
……だからどうか、レオンハルト様。今日この宴だけでもつつがなく終えてください。そしたら、夜にもでも話をして貴方様の気持ちをきちんと聞きますから。
それから、ベルンハルト陛下に取り上げられた詩集の本も新しく僕の給金から買ってきますから!
あと、前世での面白い小説のお話も聞かせてあげますから……。
オリヴァーは考えうる限りの自分にできるレオンハルトが気に入っている娯楽を並べて、曲が終わって二人が、ホールの中央に止まるのに見入って、すぐに彼の元へと向かう、しかし、貴族らしく優雅に向かわなければならない。
決して、彼が心配だからと言って駆け寄るようなことをしてはいけない、はず。
それなのにまるでその思考をフラグにしたかのようにトトっと駆け出した少女が一人、聖女エミーリアは、勇気を振り絞って婚約者の元へと駆け寄った。
……待ってくださいって。後生ですから!
オリヴァーは心の中で叫んだ。しかし、レオンハルトとロミルダの元へと到着したエミーリアは、様々な表情を押し殺した笑顔で言う。
「私と、とも、一曲踊ってくださいませんか、殿下」
少しだけ怯えを含んだような声、緊張があたりをつつみ、これだけの数人がいるというのにホールはしんと静まり返った。
聖女エミーリアはそれほど主張の強いタイプではない。周りに流されることも多い、穏やかな人柄だ。それは四元素の中の慈雨の女神の特性であり、元来、他人と対立するのを好まない。
性格も女神の特性が出ているし、なにより彼女はとてもその女神の力が強い、一部では稀代の癒し手とまで言われるほどに水を使った癒しの魔法に素晴らしい才能を持っている。
だからこそ、彼女の性質は、もはや性格というだけではなく抗いがたい女神の特性に他ならない。そんな、彼女自身の気持ちを振り払って、レオンハルトに寄り添おうと声をかけたエミーリアは手を伸ばす。
しかし、その伸ばされた手に過剰に反応するようにレオンハルトは一歩引き、それから、振り払うようにしてその手を制した。
「お、お前と踊るなど、ありえない!」
そして彼も動揺したように声を大にして言う。彼らの言動を一語一句見逃すまいと貴族たちは、鋭い視線を彼らに向ける。
……いけませんっ、こんな場で、聖女様をないがしろにしてはっ。
それではあの、小説のようになってしまう。たしかに、レオンハルトは決していい夫でもないだろうし、いい王子でもない。魔法の才能だってない。しかし、彼だってそれなりの事情があって、それを乗り越えようとしている人間なのだ。それなのに。
しかし、オリヴァーがどんなにそう思っても、一度口火を切ってしまったからには止まることは出来ない。それを助長させようと、そばにいたロミルダは、彼を見上げるようにして、裾を握り、不安そうな顔で彼を見やる。
「それに、お前との婚約は破棄だ! 俺はこのロミルダ嬢と婚約する、お前のような剛毅な女などどうして俺が愛する道理があるっ」
「……っ」
「望まぬ者との結婚など受け入れられない。父上にも常々自らの我を通さずして何が男かと言われているのだ! お前はこの俺様にふさわしくない」
……確かにベルンハルト国王陛下はそのようにおっしゃられることもありますが、それとこれとは話が別ですって!
頭の中でレオンハルトに対してのツッコミを入れつつも、もうすでに手遅れだという事をオリヴァーは悟る。どうしてこんな事態になってしまったのか、それは安直に何のせいだとは断言しがたい。
レオンハルトが、思慮深く行動出来ていたらこうはならなかっただろうし、そもそもロミルダが、レオンハルトを利用しようとなど考えなければこうはならなかった。
そしてエミーリアもただただ気弱な少女であっただけならばこうならなかっただろう。
しかし、なんの因果か、歯車はかみ合い、オリヴァーに既視感のある事態へと転がりだした。
「出て行け、俺はお前の顔などとうの昔に見飽きた。それにお前がいるとロミルダがとても心細そうにする、俺にとってお前は国に不安の影をもたらす隣国の鐘の音に等しい」
……ああ、また無駄な、比喩表現を。隣国にはどの村にも鐘がありその音色は、隣国付近に住んでいる人間の不安の種だと言うのに例えたのですね。
分かりますけれども、なんでそういつも無駄に詩的なんですか主様。
というか、その振り方に男らしさがあるとは微塵も思えなかったが、これが彼にできる最大限の罵りと侮辱であり、そしてその言葉、よりもその気持ちの方へとエミーリアは反応するように驚いて、そして数歩後ずさる。
それから、ととっと駆け出して、レオンハルトやロミルダを通り過ぎて、ぱたぱたとかけていってしまう。向かう先はもちろんホールの出入り口だ。
……高らかに婚約破棄を宣言してしまうところまで、本当に小説顔負けですよ……レオンハルト様。
ため息をこらえながら、オリヴァーはかけていく聖女を見つめた。彼女こそがレオンハルトにとっての幸運の女神であったというのに、それをみすみす逃したレオンハルトにはそれ相応の罰が下る。
オリヴァーは今まで国王陛下から必死に守ってきたが、天罰からも主様を守れるかどうかは、正直、疑問しかなかったのだった。
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