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失恋さえできない1
朝いつものように起きて、コーヒーだけを飲んで颯矢さんの迎えの車に乗り込む。でも、空腹でコーヒーを飲むと胃が痛くなるような気がするので、昨日コンビニで買っておいたサンドイッチを車の中で食べる。
「社長から伝言で、撮影が終わったら事務所に寄るようにとのことだ」
あぁ、あの亜美さんとの記事のことだろうな。颯矢さんが否定はしてくれているだろうけど、注意しろとは言われるだろうな。
これじゃ、空腹でコーヒーじゃなくても胃が痛くなる。
「わかった」
昨日、美味しいもの食べてお風呂に浸かったのに、朝一でまた凹む。
あー、やってられないな。
「でも、でっちあげだって社長はわかってるんだよね?」
「あぁ」
「もう、あの週刊誌いやだ」
「いやだけど、対策するしかないだろう」
「そうだけどさ。今日は事務所の近くのスイーツのお店行こうかな」
「あまり食べ過ぎるなよ。お前は太りやすいんだから」
母さんと同じことを言われる。
仕方ない。以前、ストレスでスイーツを食べまくってたら太ってしまって、そのときに颯矢さんと母さんにめちゃくちゃ怒られたことがある。もう同じことで怒られたくない。
「はーい。事務所までは送ってくれるの?」
「あぁ。ただ、事務所からマンションへはタクシーで帰ってくれ」
「あ、うん。わかった」
いつもなら事務所からも送ってくれるだろうに、今日はタクシーで、なんて。
別にタクシーでも全然いいけど、珍しい。
「なんか用事でもあるんだ?」
「あぁ、ちょっとな」
俺の送迎は颯矢さんの仕事のひとつでもある。それに、心配性の颯矢さんは、俺がひとりで帰るのを良しとしない。その颯矢さんが、タクシーで、というのは本当に珍しい。
仕事のひとつをしないというのだから、多分社長も知っていることなんだろうと推測する。まぁ、理由はなんであれタクシーで帰るのは構わない。もう子供じゃないんだからひとりで帰れる。
「今日は何時頃終わるんだっけ?」
ドラマ撮影は、押したり色々あるので正確にはわからないものの、ある程度の時間はわかる。
「17時の予定だ」
「あ、じゃあ昨日ほどじゃないけど早いんだね」
17時に終わって事務所に行くと17時半くらいか。夕食、誰か誘うかな。共演で仲良くなった俳優友達を思い浮かべる。でも、突然だと無理かな。向こうも仕事があるわけだし。今日は諦めてまたコンビニで弁当買って帰ろう。
撮影は少し押して、17時を少し回った頃終わった。その足で颯矢さんに送って貰って事務所へと行く。颯矢さんは、事務所のワゴン車から個人の車へと乗り換える。
「明日は夜間撮影だから、15時集合だから、14時には迎えに行く」
「わかった」
「じゃあな」
「お疲れ様」
「ああ。お疲れ」
明日の時間だけを確認して、颯矢さんは車を出した。その車が見えなくなると、ビルに入り社長室を目指す。この事務所は持ちビルで6階建てで、社長室は最上階の6階にあり。その下は事務室、会議室やレッスン室になったりしている。
俺はエレベーターで6階を押した。
6階でエレベーターを降り、すぐ右の社長室のドアの前には秘書の戸倉裕貴さんがパソコンに向かっている。
「お疲れ様です」
「お疲れ様です。社長がお待ちです」
戸倉さんはそう言うと、社長室のドアをノックし、ドアを開けた。
「あぁ、柊真、お疲れ」
「お疲れ様です」
俺が社長室へ入ると、ドアは閉まり、社長は気さくに声をかけてくる。この様子だと、念押しくらいだろうな、とあたりをつける。
「疲れているところ悪いね」
「いえ」
「撮影どう? 順調?」
「あ、はい。順調です」
「バンコクでの撮影は2週間後だっけ?」
「そうです」
そう。ドラマでの俺の役が仕事でバンコクへ異動、ということでバンコクでの撮影が2週間後に決まっている。
「バンコクは暑いから、体調崩さないように気をつけて」
「はい」
そんなことを話していると、戸倉さんがコーヒーを持ってきてくれた。
「ところでなんだけど」
再度、戸倉さんが社長室を出たタイミングで社長は口を開いた。
「三方亜美さんと熱愛出ちゃったね」
「あの! ガセですから。俺、三方さんとは何もありません。2人で食事行ったことないし、もちろん、三方さんの部屋なんて」
「うん。わかってるわかってる。|壱岐《いき》くんから聞いてるよ。あの写真撮られた日もスタッフさん交えて数人で行ったって。壱岐くんも行ったってね」
「はい」
「ただのガセで、ああやってでっちあげたってことは、撮影現場を見られてると思うんだよね」
「はい。だから、颯矢さんは、撮影現場でも2人きりにできるだけならないように、と」
「あ、もう壱岐くんから言われてるか。多分、向こうもイメージの問題もあるから、気をつけてくると思うけど、こちら側も気をつけないとね」
「わかりました」
結局は、想像通り、颯矢さんが言ったことと同じことを念押しで言われただけだった。でも、社長としては形だけでも言っておかないといけないんだろうな。
「向こうもイメージがあるように、こっちも城崎柊真の爽やかで好青年っていうイメージがあるからね。それで好感度も高くてあらゆる層にウケている。だから、そのイメージは守らないといけない。まぁ、柊真の場合は、普通にしてればイメージを特に作る必要もないけど、若い女の子のファンが多いから、できれば熱愛報道はない方がいいから」
「わかってます」
「うん。なら充分。撮影終わりにこんなことで呼び出してごめんね。また明日からも撮影頑張って。今日はタクシーで帰るんだろう」
俺がタクシーで帰るのを知ってるってことは、やっぱり社長は颯矢さんの「用事」を知っているんだろうな。もしかして、別の仕事なのかもしれない。現場から直帰するために自分の車に乗り換えたとか、なのかな。
社長と話しているのに、俺はそんなことを考えた。
「壱岐くんが送れないから、これね」
そう言ってタクシーチケットを渡された。
「ありがとうございます」
「うん。お疲れ様。ゆっくり休んでね」
「はい。お疲れ様でした」
挨拶をして社長室を出た。そして、エレベーターへ乗り込み、ついでに4階の事務室に足をのばす。俺宛のファンレターとか来てないかを確認しに。
「おはようございまーす」
「あ、柊真くん。お疲れ。ファンレターと宅急便届いてるよ」
そう声をかけてくれたのは、浅川さんだ。
宅急便というのは、たまに、俺が好きだと言ったぬいぐるみとかを送ってくれるファンもいるから、宅急便が届くこともたまにある。
「念のために、宅急便はここで開けてね。なにかあったら困るから」
「はい」
宅急便の小さなダンボールを受け取り、カッターを借りてダンボールを開ける。特に不審なものはなく、想像通り、ぬいぐるみと手紙が入っていた。
「大丈夫?」
「大丈夫です」
「じゃ、ファンレターはこっちね」
「ありがとうございます。あ、再来週バンコクに行くんでお土産買ってきますね」
「おー。ありがとう。待ってるよ」
「じゃあ、お疲れ様でした」
「お疲れさーん」
事務室を後にし、エレベーターホールへ行く前に給湯室の前を通る。そこで、颯矢さんの名前を聞いた。
「壱岐さん、今日、お見合いなんでしょう。なんか、社長の知り合いのお嬢様らしいわよ」
「結婚しちゃうのかな?」
「えー。そんなのやだー」
聞こえてきた言葉に俺は自分の耳を疑った。
颯矢さんがお見合い? そんな。嘘だろ。結婚とか。今日、用事って言ってたのは仕事じゃなくてお見合いだったのか。
お見合いして、結婚? いつも仕事が忙しいからまだ結婚しないって言ってるけど、あれは違うの?
でも、お見合いなら用事なんてごまかさなくても良かったのに。それは、颯矢さんにとってただの用事レベルのことなのか、それともただのタレントの俺に、きちんと言う必要がないと思ったからなのか。どちらにしてもショックだ。
それ以上、話を聞きたくなくて、俺は来ていたエレベーターに飛び乗った。
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