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失恋さえできない6
「明日はオフだ。でも、明後日からタイだから荷造りしておけ」
「……」
「明後日は7時に迎えに行く」
「……」
「柊真?」
「お疲れ様でした」
颯矢さんの言うスケジュールに関して、返事もしないで、一方的にお疲れ様と言い車を降りる。
ロケ現場から、病院近くのここまで来る間になんとか泣き止んだ。でも、それで苛々とも悲しさとも言えない気持ちが解消されたわけではなく、お疲れ様と言うのが精一杯だった。態度悪いけれど、今は許して欲しい。
一方的に挨拶をして車を降りると、お目当てのケーキ屋さんに入る。母さんの分と俺が病院で食べる分。後は明日の分。
お目当てはバウムクーヘン。最初はあまり気が乗らなかったけれど、他の焼き菓子が売り切れていたので、仕方なく買ったのだけど、それが大当たりだった。
その中でもメープル味が美味しかったから、今日もメープルをと思ったら売り切れでチョコとかぼちゃしかなかった。
今日チョコにして、明日かぼちゃにしようかな。とりあえず両方買って病院へ向かった。
病室へ入ると、ちょうど食事中だった。相部屋のおばあさんに頭を下げ、母さんのベッド脇の椅子に座る。
「あら、柊真。おかえりなさい。お仕事は終わったの?」
「うん、終わった。明日はオフ。って言っても明後日からのタイのロケの準備しなきゃだけど」
「あぁ、前に言ってたものね、ロケでタイに行くって」
「うん。それが明後日から」
「どれくらい行くの?」
「3日間。バンコクで集中して撮るみたい」
「そう。あちらは暑いって言うから体に気をつけなさい」
「うん、わかった。あ、今日のお土産はバウムクーヘンだよ。チョコ味。食事終わったら食べよう」
「そうね。デザートに貰うわ」
母さんの顔色を見ると、悪くない。きっと今日は調子が良いのだろう。そう思うとホッとする。
そうやって母さんを見ていたら、逆に母さんから言われた。
「あんた、何かあったでしょう。泣いた顔してる」
車の中で泣き止んだのに、なんでバレるんだ?
「なんでバレるんだ、って顔してるけど、何年あんたの親やってると思ってるの。自分の子供のことくらいわかるわよ」
「敵わないや」
「撮影で何かあったの?」
撮影で、ではないな。でも、撮影現場で、ではある。とは言え母さんに言う気にもならずに、答えに迷う。
「まあ、言うつもりないんでしょうけど。でも、仕事に支障をきたしちゃダメだから、明日にはなんとかしなさい」
「うん、わかってる」
「仕事のことはあまり言いたくないこともあるんでしょうけど、可能な範囲でなら聞くから、言いなさいね」
「うん」
でも母さん。言えないのは仕事だからじゃなくて好きな人のことでなんだ。そう考えて気づく。今まで彼女がいたときは、長く付き合っている子のことは母さんに話していたな、と。だから、母さんも俺の恋愛について全てではないけれど、知ってはいるんだな、と。
だけど、今回のことは言えない。同性の颯矢さんのことを好きになっただなんて。さすがの母さんも同性を好きになった、なんて聞いたらびっくりするだろう。
「あんたの、口にはしないけど、なんでも顔に出るのはお父さんそっくりね」
そう言って母さんは笑った。
父さんは、俺が2歳のときに事故で死んだ。俺はあまりにも小さい頃のことだから、父さんのことはほとんど記憶にない。だから、こうやってたまに母さんから聞くのが、とても新鮮だ。
「父さんってそういうタイプだったんだ?」
「あんたは私よりお父さんに似たわね」
「記憶ないからなー」
「歳重ねるごとに似てくるのは面白いわね。まぁ、なんで泣いたのかはわからないけれど、めったに泣かないあんたが泣くんだから、よっぽど悔しいか悲しいかでしょう」
「うん、そうだね」
もう、いっそ母さんに話してしまおうか。性別さえ言わなければバレないよな。
そう思ったときには、俺は口にしていた。
「今さ、好きな人がいるんだ。でも、全然相手にして貰えない。というか、先日お見合いして、今日はその人と電話してるの聞いちゃってさ」
「それは悲しいわね。でも、叶わない想いでも、人を好きになるのは素敵なことよ。思い切り好きでいなさい。何かあったら母さん聞くから」
そう言ってくれるのが嬉しくて、俺はまた泣いた。でも、さっきとは違う涙だ。
「ほら、泣きやみなさい。目、腫れるわよ」
「大丈夫、明日は撮影ないから」
「じゃあ思い切り泣きなさい。お仕事中は泣けないんだから」
「うん」
優しく微笑む母さんに俺は泣くしかできなかった。
母さんは、母親であると同時に父親でもあって、そして兄弟でもある。そんな母さんをそう遠くない日に見送らなきゃいけないんだ、と思ったら余計に悲しくなって涙がでた。
「タイのお土産買ってくるね。だから待ってて」
俺がタイに行ってる間に逝かないで。言えない言葉は心の奥で続けた。
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