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バンコクにて2

「△*◯☓@!」  タイ語なので、何を言っているのかわからないが、大きな声を出したのは、どう見ても日本人だった。そして、その視線の先にはタイ人らしい男が走って逃げているように見える。何があったんだろうか。  ぽかんと見ていると、声を出していた日本人の男性に声をかけられた。 「財布。すられそうになってたよ」  え? びっくりしてカバンを見ると、財布が半分出かかっていた。チャックもきちんと閉めてたのに。 「人が多いからって安心していると今みたいにスリに合うから気をつけて。カバンは前で持つか、チャックは前にするかした方がいい」 「あ、ありがとうございます」 「旅行?」 「えっと、仕事というか」  旅行か聞くってことは僕が誰かはわかっていないみたいだ。こっちに駐在の人だろうか? そうしたら知らない人もいるだろう。   「ふーん。これから食事?」 「はい」 「タイ語はわかる?」 「いえ。全然です。だから、どうやって注文しようか考えてました」 「そう。なら、一緒に食べる?」 「え?」  さり気なく言われたけれど、これ女性が言ってきたら逆ナンだよな、なんてぼんやりと考える。でも、男性だしナンパってことはないな。いや、ゲイっていうこともあるけれど、そんなにあちこちにいるわけではない。   「タイ語わかるから、注文してあげるけど」  ほら。単なる親切心だ。でも、注文して貰えるのはありがたい。お目当てのカオマンガイが食べたい。 「お願いします」 「何を食べたい?」 「あ、このお店の9番のを。ご飯に鶏肉が乗ったやつを」 「あぁ、カオマンガイね。じゃあ、そこで待ってて。買ってくるから」  そう言って、空席を指さされる。俺は、指さされた席に座り、男の人を見ていた。すると、しばらく上のメニューを見たあと、お店の人に注文している。そのスムーズさが羨ましい。  少しすると料理の乗ったトレイを持ってこちらに来る。 「お待たせ。はい、君が食べたかったのはこれだよね?」  そう言いながら、お皿をカタンと置く。そして、もうひとつのお皿を俺の正面に置く。そのお皿には麺が乗っている。 「あか、これ? これはパッタイって言ってタイ風のやきそばだよ。今度来たときにでも食べてみるといい」 「さっき食べようとしたんですけど、辛いですか?」 「うーん。甘辛いかな? 辛いのは苦手?」 「わさびなら大丈夫なんですけど、こっちの料理の辛いのは少し苦手です」 「そう。ま、パッタイくらいは大丈夫だよ。トムヤムクンとか辛いのはダメかもしれないけど」 「あ! お金! さっきカード買ったんです」    手に握りしめていたカードを渡す。さっきは急のことだったから、すっかり忘れていた。タイのフードコートは事前にチャージされたカードを買って、それを使って料理を買う。 「あぁ、いいよ。奢り」 「え、いや、それは」  知らない人に奢って貰うわけにはいかない。そう思って、首を横に振るとデザートやドリンクのある店を指差す。 「そしたら、食後にフルーツドリンクでも奢ってくれる? マンゴージュース好きなんだ」 「あ、はい」  良かった。ドリンクの方が断然安いだろうと思うけれど、丸々全部奢って貰うよりはいい。  買って来て貰った、カオマンガイと言うご飯を口にすると、鶏を茹でたスープがかかっていて美味しい。タイ料理の辛さがなくてホッとする。 「ホッとした顔してる。美味しいよね、カオマンガイ。辛いのに飽きたときに食べてるよ」 「バンコクに住んでるんですか?」 「うん。バンコクで日本語講師をしてる。もう10年になるかな」 「え? そんなに長く?」 「そう。日本では英語講師をしてた」  海外に住むなんて俺には想像もつかないことだ。いや、語学講師も想像つかないけれど。 「そう言えば、君、名前は?」  当然だけど名前を聞かれる。どうしよう。この人は俺が俳優の城崎柊真だと知らないみたいだけど、素直に名乗っちゃっていいんだろうか。迷って、名字だけを名乗ることにした。よく自己紹介で名字だけ名乗るから。 「城崎です」 「城崎君ね。僕は小田島です」  陽に焼けた浅黒い顔に丸い目を細くした顔は、人なつこく見える。実際、そうだけれど。 「いつ日本に帰るの?」 「えっと明明後日の朝のフライトで帰ります」 「バンコクではゆっくりできた?」 「いえ、昨日の夜着いたばかりなんで」 「随分、タイトなスケジュールだね」 「あ、はい。まぁ、仕事だから仕方ないかなって」 「働き者だね。日本人らしい。こっちが長くなると日本人の知り合いよりタイ人の知り合いの方が増えてね。日本人が新鮮だ」    そう言って小田島さんは笑う。日本人より現地の人の知り合いの方が増えるって不思議な感覚だ。それを言ったら外国で日本人と知り合うのも不思議だけれど。

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