30 / 43

届かない想い1

 颯矢さんが俺のことだけ覚えていない、という事実は心を抉られるようで辛い。正直、仕事なんてする気になれない。でも、記憶の戻った颯矢さんがそんな俺をなんて思うかわからないし、なにより、今撮影中のドラマを俺の代表作にしたいと思ってくれているのなら、颯矢さんのその気持は無駄にしたくない。 「おはようございまーす。今日もよろしくお願いします」  颯矢さんに褒められたいから。  俺のことを自慢に思って欲しいから。  だから俺は辛くても今日も仕事をする。  ほんとは今すぐにでも病院に行って、颯矢さんのそばにいたい。まぁ、俺のことは覚えていないんだけど。 「城崎くん、そこのダイニングの椅子に座って南のことに思いを馳せているシーンね。本番行くよー。本番スタート!」  今日も仕事を終えて家に帰ってきた。  ソファーにカバンを置いて、お茶を飲みにキッチンへ行く。  コップにお茶を入れ、ダイニングに腰掛ける。  バンコクに来て半年。仕事も街も慣れてきた。  言葉の方も、会社がお金を出して語学学校に通わせてくれているので、文字も読めるし、言葉も少し話せるようになってきた。先生いわく、語学のセンスがあるという。  仕事の後に語学学校というのは正直疲れる。  そんな疲れたときに考えるのは南のことだ。  どうしているだろうか。元気だろうか。  毎日メッセージのやり取りはしているけれど、直接顔を見ているわけじゃないから、ほんとはどうなんだろう? と思うことがある。  会いたいと思う。でも、仕事なのだから仕方ない。  それでも俺の海外赴任のために延期していた結婚をしよう、ということになった。  そして、それを機にこちらへ来てくれるという。だから、あと少しの辛抱だ。  家族を養うためにも、頑張らなきゃいけない。  と思ったところでスマホが着信を告げる。 「はい。カットー。うん、いいね。今日の柊真くんはいつも以上にいいね。このドラマ、ヒットさせよう」  颯矢さんのことが心配で、すぐにでも行きたいと思いながらも仕事は集中した。  でも、社長が言っていたように、監督の意気込みがすごい。ほんとにドラマをヒットさせて俺の代表作になればいい。そうしたら颯矢さんも喜んでくれるかな。  笑っちゃうくらいに颯矢さんのことばかり考えている。 「城崎さん。お疲れ様でした」  今日の撮影を終えて控室に戻る。時計を見ると19時だった。急いで着替えていけば少しは颯矢さんの顔を見れるかもしれない。 「帰り、病院に寄りますか?」  病院に寄りたい、という前に氏原さんに寄るかと訊かれた。 「お願いできますか? 帰りはタクシーで帰りますから」 「面会時間もそんなに長くはないので、自宅までお送りしますよ」  こうやって気を使ってくれているのが、申し訳ない反面ありがたい。 「じゃあ、お願いします。急いで支度しますから」  急いでメイクを落とし、私服に着替える。少しでも早く病院に行って、少しでも長く颯矢さんのそばにいたい。  撮影所から颯矢さんの入院している病院まで、途中渋滞に巻き込まれて40分ほどかかってしまった。  面会時間は20時までなので、後10分ほどしか残っていない。  ドアをノックして開けると、テレビを観ていた。  何を観ているんだろうと覗き込むと、俺のデビュー作となったドラマだった。 「こんばんは」  恐る恐る声をかけると、颯矢さんがこちらを見る。声をかけたのはいいけど、なんて言っていいのか悩む。そうしたら、颯矢さんの方から声をかけてくれた。 「城崎柊真さんですよね。この間はお見舞いに来て頂いてありがとうございます。今、城崎さんの出ているドラマを観てるんですよ。これ、結構前のですよね。このドラマがあったのは知ってたんですよ。でも、それに城崎さんが出ているとは思いませんでした。いや、でもほんとにイケメンですね。俳優さんだっていうのわかるな」  このドラマのときだってマネージャーしてたのに、それも忘れちゃってるのか。  それに、俺に関する記憶がすっぽり消えているから仕方ないけど、颯矢さんに『城崎さん』と呼ばれるのは辛い。いつもみたいに柊真って呼んで欲しい。  でも、記憶がないんだもんな。 「あ、氏原くん、お疲れ様。氏原くんが城崎さんのマネージャーについてるのか」 「壱岐さんが現場復帰できるまで城崎さんにつくことになりました」  颯矢さんと氏原さんが話しているのを聞く。俺以外の人のことは普通に覚えてるんだよな。覚えていないのは俺に関することだけ。それを見せつけられて悲しくなって泣きそうになる。でも、泣くわけにもいかなくて、シャツの裾をぎゅっと握って唇を噛んだ。  颯矢さん、なんで? なんで俺のことだけ忘れたの?  社長はそんなことないって言ってくれたけど、やっぱりほんとは俺のことが嫌いだったんじゃないかって思ってしまう。  そんな俺の様子に気づいたのか、颯矢さんが言う。 「城崎さんのマネージャーやってたんですよね。なのに忘れて申し訳ありません。怪我が良くなったら、またマネージメントさせていただきますので、よろしくお願いします。それまでに過去の作品観ますから」  颯矢さんは俺がデビューしたときからついていてくれてたから、颯矢さんの知らない作品はない。  ねぇ、いつになったら思い出してくれる? いつになったら、その声で柊真って呼んでくれる?  それとも俺のこと嫌いだから永遠に思い出さない?  これ以上、この場にいられなくて、また来ますと言って病室を出た。

ともだちにシェアしよう!