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記憶と引退1
社長と話をしてからずっと俺は休暇のことを考えていた。長期休暇の結果、芸能界をやめていく人は実は結構いる。としたら、その手を使ってもいいんじゃないか、と思ったからだ。
それでも、その手はなんだか卑怯な気がしなくもない。だって、俺の方はフェードアウトを狙って動いているのに社長の方は戻ってくる前提で待っているわけだ。
なのに俺は、例えば1年の休暇と言いながらずるずると2年、3年と休暇をのばしていくのだ。それはずるいと思うのは俺だけだろうか。
それに、俺が戻ってくると思って仕事を入れてしまうこともあるかもしれない。そうしたら違約金とかかかるんだろうか。
社長の出した引退の代替え案は、とても魅力的だけどそれに乗ってずるをしようとはどうしても思えないし、もし仕事を入れられてしまったらと思うと魅力的だけど少し危険な気がしてしまう。そう思うと社長の案に簡単に乗ることはできなかった。
「よし、じゃあラストの結婚式のシーン行こうか。撮影もこれが最後だから頑張って頼むよ」
今日はドラマの最終回の航と南の結婚式のシーンだ。
亜美さんはかわいい感じの裾のふわりとしたウエディングドレスを着ていて、俺はシルバーのフロックコートを着ている。
俺は元々結婚願望がないので、新郎のこんな格好をするのは最初で最後かもしれない。
「亜美さん。綺麗ですね」
「ありがとう。城崎くんも格好いいよ」
とお互いに褒めあう。もしかしたらこういった衣装は、気持ちがあがることで余計に良く見えるのかもしれない、と考えてみる。
でも、と思う。そう遠くない将来、颯矢さんは撮影ではなくリアルで結婚式をあげるのだ。そう考えると、これから撮影だというのに泣きたくなってしまう。
だけど、きっと俺は結婚式には呼ばれない。だって、今の颯矢さんは俺のことを覚えていないし、結婚式の招待状を出すまでに記憶が戻るとは限らないからだ。
そして万が一、記憶が戻って俺のことを思い出したとしても、俺の気持ちを知っている颯矢さんが俺を呼ぶとは思えない。だって、記憶を失うくらい俺のことが嫌いなのだから。
そう1人でネガティブに考えていると監督の声が聞こえる。撮影のスタートだ。
「はい、じゃー行くよ! スタート!」
大安の晴れ間。俺と南は結婚した。
俺のタイへの赴任のため、一時は話がなくなるんじゃないかと思われたけれど、そんなことには至らず、今日結婚式を挙げる。
俺は1人で牧師の前に立ち、南がお義父さんと入ってくるのを待つ。
ウエディングマーチと伴に入場してきて、南はお義父さんの隣から俺の隣へと立つ。
そして牧師が誓いの言葉を言う。
「新郎・佐柳航。あなたはここにいる高井南を病める時も、健やかなる時も、富める時も、貧しき時も妻として愛し、敬い、慈しむ事を誓いますか?」
「誓います」
「新婦・高井南。あなたはここにいる佐柳航を病める時も、健やかなる時も、富める時も、貧しき時も夫として愛し、敬い、慈しむ事を誓いますか?」
「誓います」
「それでは誓いのキスを」
キスは何度となくしてきているけれど、誓いのキスはなんだか特別な気がした。
「はい、カットー! 確認入ります!」
監督が映像を確認するときに俺も緊張しながら一緒に確認をする。大丈夫そうな気がするけれどどうだろうか。
「OKです! お疲れ様でした!」
監督のカットの声が聞こえてホッとする。一発OKだ。
そして、このドラマの撮影もこのシーンで最後だった。クランクアップだ。
「城崎くん、亜美さん、長い間お疲れ様でした!」
そう言ってスタッフさんから大きな花束を貰う。
数ヶ月に渡る撮影を終えるのは、ホッとする反面寂しさもある。
「城崎くん、今までありがとうね」
「いいえ。こちらこそ、今までありがとうございました」
相手役の亜美さんと挨拶を交わす。
その後は、監督、助監督、カメラマンさん、その他スタッフさんに1人ずつ挨拶をしていく。
撮影期間は、演者、スタッフは一つの家族のようなものになる。
その家族と離れるのは、いつも少し寂しく感じる。
挨拶を終えた俺は控室へと戻る。すると、氏原さんが少し焦ったような様子で俺を待っていた。なんだろう。
「城崎さん。事務所から連絡があって、壱岐さんが記憶を取り戻したようです」
「え? 颯矢さんが?」
「はい。なので、これから病院に行きましょう。予定は大丈夫ですか?」
「大丈夫です。すぐに支度します」
氏原さんから、颯矢さんが記憶を取り戻したと聞いて、心臓がバクバクいう。
颯矢さんが俺の記憶をなくして1ヶ月。
初期の頃になかなか記憶が戻らなかったから、もっと時間がかかるのかと思った。思い出すことはないんじゃないかとさえ思っていた。
だけど、ほんとに記憶は戻ったんだろうか。録画で俺を見ているから、記憶が戻ったと勘違いしてるんじゃないだろうか。つい、そんなふうに疑ってしまう。でも、それも俺が実際に病院に行けばわかるはずだ。
急いでメイクを落とし、着替えをしてから速攻で車に乗り込む。
「記憶、戻って良かったですね」
「ほんとに戻ったんですかね」
「大丈夫ですよ。壱岐さんの自慢の城崎さんですもん。思い出したに決まってます」
「颯矢さんの自慢?」
「はい。知りませんでしたか?」
「知らない……」
「よく、城崎さんのこと自慢してましたよ。最高の俳優だ。これからもっとすごくなるって」
俺のこと自慢なんてしてたの? 記憶を失くすんだから俺のことを嫌いなのかと思ってた。氏原さんにそう言うと、氏原さんは笑った。
「そんなはずあるわけないじゃないですか。城崎さん本人には言えなかったと思いますけど、それだけは絶対にないです」
そう言われて、何も言えなくなってしまった。もし、ほんとに記憶を戻していたらなんて言おうか。いや、それは「ありがとう」だろう。身を挺して庇ってくれたんだから。
そう考えると早く颯矢さんに会いたくなってしまった。
道路は俺の気持ちを汲んでくれたのか、渋滞に巻き込まれることなく病院に着いた。
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