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あなたしかいない4
とうとうバンコクへ行く日が来た。どきどきしながら、フライトの約2時間前に空港へ来た。
チェックインをオンラインでしていなかったので、自動チェックイン機でチェックインするために並んでいた。すると、誰かに腕を掴まれた。誰だろう、と思って振り返ると、そこには怖い顔をして、息を切らせている颯矢さんがいた。
なんで? なんで颯矢さんがここにいるの?
「ちょっと来い」
そう言って腕を引かれるので一度列から離脱し、近くの椅子に座る。
「なに? 俺、チェックインしなきゃいけないんだけど」
「そんなにバンコクへ行きたいのか」
「行きたいよ。それが悪い?」
「そんなにあの男のところへ行きたいのか?」
は? あの男? あの男って誰? バンコクで知り合いなんて小田島さんしかいないけど。颯矢さんが知っているはずがない。
「撮影でバンコクへ行ったとき、一緒にいたよな」
あの撮影のときバンコクで一緒にいた人? それは小田島さんしかいない。なんで颯矢さんが小田島さんのことを知っているんだろう。バンコクで小田島さんと会ったのは、一緒に食事をした一度きりだ。もしかして、そのとき颯矢さんは見ていたというのか。
「ショッピングモールで一緒にいたところを見た。柊真はバンコクに知り合いなんていなかっただろう。あの男とはどうやって知り合ったんだ? そういった店か?」
なに言ってるんだ? バンコクでそんな店に行ったと思ってるの? そう思われてることに腹がたった。
「小田島さんはスリにあいそうになったときに助けてくれたんだよ! そんな店なんかに行くはずないだろ! いくら颯矢さんでも俺怒るよ」
「でも、今回行くのはあの男だからだろう」
は? あの男だから行くってどういう意味? 確かに小田島さんには世話になることは決定しているし、そう伝えてもいる。
だけど、バンコクへ行く理由にはなっていない。颯矢さんはなにを勘違いしているんだろう。
「なにか勘違いしてない? 確かにバンコクではお世話になるけど、でもバンコクへ行く理由なんかにはなってない」
「あの男が好きだから行くんだろう。仕事も辞めて」
は? 俺が小田島さんのことを好きでバンコクへ行くって思ってるのか。しかも仕事を辞めて?
「お前、俺には旅行だって言ってたよな。でも、それは嘘だよな。芸能界を引退してまであの男のところへ行くんだろう」
旅行で間違いないと思う。ちょっと長いけど、日本には帰国するんだから。ただ、それと小田島さんは関係ない。
「そんなことするくらいにあの男のことが好きか? あんな男に柊真を渡してたまるか!」
「なにをどう勘違いしているのかわからないけど、俺、小田島さんのことは別に好きじゃない。いい人だとは思うけどそれだけだ。それに! もし小田島さんのことを好きだとしても颯矢さんには関係ない!
あと、引退じゃない! 休暇だよ!」
そうだ。俺が誰を好きだろうと関係ない。颯矢さんは別に俺の恋人でもないし、それよりも香織さんと結婚するんだから。そんな人に誰のことを好きだろうと、とやかく言われる筋合いはない。
それに引退だなんて誰に聞いたんだ。
「関係あるさ。好きなやつが、他の男のところへ行くのを誰が指をくわえて見ていると思う? 少なくとも俺はできない。それに、お前は俺のことが好きだったんじゃないのか? でも、今は俺なんかよりあの男の方が好きということか」
え? ちょっと待って。今、好きなやつって言った? 誰が誰のことを好きだって? 颯矢さんは香織さんのことが好きなんでしょう? だから結婚するんでしょう? そうしたら、俺が誰を好きだって関係ないんじゃないか?
「颯矢さんが好きなのは香織さんだろ」
「俺が好きなのは柊真だ」
「バカなこと言わないでよ。颯矢さん、結婚するんでしょう、香織さんと」
「結婚はしない。柊真を失ってまで結婚したくはない」
「勝手だよ、そんなの。俺のことも香織さんのこともバカにしてる!」
そうだ。勝手だ。俺の告白は散々かわして、香織さんとお見合いをして結婚を視野に入れて付き合ってる。そんな人が、俺を誰にも渡したくないから結婚しないって。俺のことも香織さんのこともバカにしてるにもほどがある。
「確かに香織さんには申し訳ない。柊真のことが好きなのに、結婚を前提に付き合っていたのは事実だ。でも、柊真に手を出すことはできないと思っていた。柊真を諦める為だったんだ」
俺には手を出せない? なんで? 俺がタレントだから?
「いくら好きだからって、マネージャーがタレントに手を出していいはずがないだろう。だからずっと我慢していた。俺がいつ手を出すかわからないから結婚しようと思った。実際、香織さんはいい人だから、結婚するならいいと思ったんだ。でも、それも柊真がタレントとして日本にいることが前提だ。柊真を誰かに渡してまで結婚しようとは思わない」
「自分勝手だよ。香織さんに申し訳ないって思わないの?」
「自分勝手なこと言ってるのはわかってるし、申し訳ないと思う。それに関してはいくらでも謝罪する。でも、柊真は誰にも渡さない。柊真が好きだったんだ。ずっと」
言っていることはめちゃくちゃだ。でも、好きだって言われて嬉しい。香織さんには申し訳ないけど、颯矢さんのことはずっとずっと好きだったんだ。そんな人から好きだと言われて嬉しくないはずがない。
「でも、香織さんと結婚するの決まってるんでしょう。今さら反故にはできないでしょ」
「いや、まだ結婚は決まっていない。付き合っているだけだ」
「でも、決まってるようなニュアンスの話聞いたけど」
「誰がそんなことを言った?」
「誰って、知らないけど、事務所の給湯室から聞こえてきた」
そう言うと颯矢さんの顔は余計に怖いものになった。
「まったく。誰がそんなことを言ってるんだか。とにかく俺は結婚しない。決まってもいない。だから、柊真は誰にも渡さない」
ほんとに勝手なことを言ってる。でも、それでも嬉しいってダメかな? 無理だと思ってたんだ。告白さえきちんと受け取って貰えないから。だから颯矢さんはノンケだと思ってた。
でも、そんな颯矢さんが俺のことを好きだと言ってくれて、誰にも渡さないと言ってくれるなんて夢みたいだ。
「だから、バンコクへは行くな!」
そう言って颯矢さんは俺を抱きしめた。颯矢さんの匂いと体温が心地良くて、俺は涙が出てきた。
「ほんと、自分勝手。でも……でも、そんな人でも好きだよ」
「あの男が好きなんじゃないのか?」
「小田島さん? 好きじゃないよ。言ったじゃん、知人だって」
「でも、好きだから追いかけて行くんじゃないのか?」
なんかほんとに壮大な誤解をされている気がする。颯矢さんの中では、俺は小田島さんのことが好きで、それで芸能界を辞めてまで追いかけて行くとなっているのか。
「そんなんじゃないよ。タイ語がわからないし、タイのことよく知らないからお世話にはなるけど、それ以上でもそれ以下でもない。ただの知人だよ」
「そうか。良かった」
「俺が引退してタイに行くなんて誰に聞いたの?」
「社長だ」
「引退はダメな代わりに長期休暇を提案してきたのは社長だよ」
「ハメられたな」
「じゃあ、なかったことにする? そしたら俺は予定通りバンコクに行くけど。で、颯矢さんのことは忘れる」
「忘れられちゃ困るからな。行かせないよ」
そう言って颯矢さんは俺を抱きしめる腕をほんの少し緩めた。
「俺と一緒にいてくれるか?」
「うん……うん。一緒にいる。颯矢さんがいい」
「ありがとう」
そこで颯矢さんは俺を抱きしめる腕を離し、俺の顔を見る。
「すごい顔してるぞ、お前」
「だって……だって、颯矢さんが泣かせるんだもん」
「お前だって俺を泣かせたけどな」
俺が颯矢さんを泣かせた? そんなことしてないのに。
「お前があの男のところへ行くと思ったときの俺の気持ち、わからないだろう」
「そんなの颯矢さんが勝手に誤解しただけじゃん」
「そうだな」
「で、香織さんはどうするの?」
「結婚はできないし、別れてくださいって謝るさ。お前に手を出せないからって付き合った俺が悪いんだ。許してくれるまで謝るよ」
そう言って颯矢さんは優しい笑顔を向けてくれた。今まで見たことのない、明るくて優しい笑顔だった。
「さぁ、帰るぞ」
「ねぇ、1週間でいいから行っちゃダメ? 」
「安心しろ。仕事ならすぐに予定いれてやるよ」
「やり手だね」
「柊真は人気あるからな。だから休みは返上だ。ぐだぐだ言ってないで帰るぞ」
身勝手な、それでも愛しい男はそう言って俺の手を引いて歩き出した。
END
◇◇◇◇
今までお読み頂きありがとうございました。
次作は遅れているため少し間があいてしまいますが、良ければお読み頂ければと思います。
公開などに関しては、Xにて告知いたします。
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