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第44話 フリーを繋ぎとめておくもの
「ニケ君。ここにいる間、私のお手伝いしてくれていたじゃないか。その分、引いてあるよ」
ニケは口を三角にする。
「引きすぎでは? そんな……っ、たいしたことしてませんし!」
翁は首を振る。束ねられた髪がしゃらしゃらと揺れた。
「いやぁ。大助かりだったよ。ニケ君きびきび動いてくれるしさ。このまま助手になってほしいくらいだ」
「それは……、でも!」
アビーともこんなやり取りしたなぁと、懐かしさに目を細める。
「それに君は、この街のヒトも救ってくれた。ここに来るのを嫌がっていたヒトが来るようになった。良いことだ。ま、その分もちょっと引いたかな」
「なんの話だ?」とニケは黙ったが、翁もこのことは細かく話さなかった。
それでもまだ納得できないのか、疑うようにキミカゲに詰め寄る。
「ここにいる間、飯も食わせてもらいました。おかわりもしましたし。その分の代金は?」
「一緒に食べてくれたから帳消しだよ。一人で飯を食うって、寂しいものなんだよ? ていうか、ご飯作ってくれたのニケ君じゃないか。こっちがお金払いたい気分だよ」
「だって翁……、放っておけばお茶とお粥しか食べないじゃないですか」
料理苦手なんだよと、からから笑う。繊細な薬の調合が出来るのに、不思議な話である。
すると背後から「ッシャー」という音が聞こえたので何事かと振り返ると、フリーがそろばんを畳の上で滑らせて遊んでいた。車のおもちゃで遊ぶ子どものように楽しそうである。拳骨を落としておこう。
「痛いっ」
「大事に扱わんかい! 翁の持ち物を舐めるな。たまにとんでもない希少品が紛れているんだぞ。弁償代が億超えたらどうすんだ。売れる臓器にも限度がある」
「まあまあ。というか、どんな状態に陥ろうとも臓器を売るのは止めておきなさい。いいことないから。おススメしません。あと怪我人をどつかない」
ニケを引き剥がして、トメさんが座っていた座布団の上にちょんと乗せる。
フリーは脳天を摩ってキミカゲに目をやる。
「えっと……、それじゃあ、俺はどうやってお金を工面したらいいんでしょうか?」
知識量が圧倒的に少ないフリーには、金の稼ぎ方などわからない。なので、素直に助言を請うた。
「ん? 仕事を紹介しようか? 住み込みで働けるところがあるよ」
何気なく言ったであろう一言に、ニケは全身の血が下がる思いをした。
――フリーが働く。自分以外のところで。
それは嫌だった。彼がどこかに行ってしまう気がした。
いま、フリーを繋ぎとめるものは、何もない。宿が壊れ、給金が払えなくなったニケに、彼を縛る権利はない。
どこかに住み込み、働いているうちに、ニケの側にいるより心地よいと思われたら? ニケのことを忘れてしまったら?
居場所と給金の提供が、彼をニケの下に縛り付けている鎖だったのに。
ニケと違い、フリーには肩入れする理由がない。心地よい場所が見つかれば、あっさりそちらに行ってしまうだろう。ちょっとどんくさいが、あれだけの戦闘能力があるのだ。どこでもやっていけてしまうに違いない。
「……」
考えないようにしていた現実に、唇が震える。
ニケは孤独だ。孤独が嫌いなのに。フリーという、孤独を埋めてくれるものがいなくなるのが、たまらなく嫌だった。
レナもキミカゲも優しいが、ずっと一緒にはいてくれない。家族や仕事があるのだ。
側にいてくれるのはフリーだけだった。
「……っ、フリー!」
気が付くと、彼に掴みかかっていた。驚いたキミカゲが目を見開くが、当人はもはや慣れたと言わんばかりに見上げるだけだった。
「どうした?」
「あ……。そ、その……。は、働くなら、僕も!」
自身の胸を叩くニケに、フリーは冷静に返す。
「ニケはここでお手伝いしてあげた方が、喜ばれるんじゃないの?」
いつもと同じだったが、ニケにはひどく冷たい声音に聞こえた。
突き放されたように感じたニケは、衝撃を受けたようによろめく。
――なんでそんなこと言うの? たしかに僕は言葉きついし、すぐに手が出るし、フリーに何もしてやれないけど、でもっ、でも!
「ふ、フリーは僕のこと嫌いなのか?」
普段であれば絶対に言わないような言葉が飛び出した。そんな自分に頭の一部がわずかに冷静になるが、すぐに真っ白になることになる。
「ニケのことが嫌いだった瞬間なんて、ないけど?」
「……」
「……」
静寂の静霊がちらっと顔を出したが、すぐに引っ込んでく。
言葉に詰まった。そのおかげで自分が、どこで何を口走っているのかに気づけた。
はっとして、後ろを見る。
キミカゲ翁は犬も食わないとばかりに眼鏡を磨いているし、入り口の方では、予約していた患者さんや騒ぎを聞きつけた近所の人が、何事だと顔を出している。
「あ……」
そういえばさっきからずっと騒いでいる。
それがどうかしたの? と言いたげなフリーの視線をトドメに喰らい、真っ赤になったニケは、そろりそろりと翁の背中に隠れた。
白衣をぎゅっと掴まれ、おじいちゃんはやれやれと思いながらも、背中を貸してやる。
入っておいでと入り口で詰まっている患者さんに手招きし、フリーに目を向ける。
「フリー君にはここから「通える」仕事を紹介してあげよう。仕事が終わったら真っすぐに帰っておいで。いいね?」
「え? あ、はい」
反射的に頷いてしまったが、フリーはなにがなにやらという心境だった。
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