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第43話 診察代

「鈴蘭、お好きなんですか?」  訊いておいて、自分で馬鹿馬鹿しくなった。これほど全身で鈴蘭を主張しているのだ、嫌いなはずが――  キミカゲは笑顔を保持したまま答えた。 「いや、別に?」  静寂の静霊(せいれい)が躍りながら横切った。  目を点にした二人を見て、キミカゲは困ったように眉尻を下げる。 「単純にこの名前のせいさ。鈴蘭の別名は君影草(キミカゲソウ)。そのせいで昔から鈴蘭の花をもらったり鈴蘭の小物をもらったり鈴蘭柄のハンカチをもらったり。もらうもの鈴蘭鈴蘭鈴蘭……」  フリーたちはそっと距離を取って腰を下ろす。 「だからまあ、当時は鈴蘭を(強制的に)好きだった(ような気がする)けど。同時に鈴蘭を見ると……悲しい気持ちにもなるから。結局、好きにも嫌いにもなれなかった」  手ぬぐいの刺繍を見るキミカゲの声が、少し震える。  彼は長命種だ。誰も共に生きられない、悲しいほどの長寿。  おそらく鈴蘭の花を贈った親友も、小物を送った妻も、ハンカチをあげた幼なじみも、みんなこの世を去って行ったのだろう。キミカゲひとりを残して。 「「……」」  急に始まった重い話に、フリーとニケは胃が痛くなるのを感じた。  フリーは両手をつき、土下座する勢いで頭を下げる。 「辛いこと聞いてしまい、すいませんでした」 「なぁに、気にしなくていいさ。さ、手ぬぐい巻いてあげよう。こっちおいで」  にぱっと笑うおじいちゃんが手招きしてくる。歳のせいかあまり動きたくない彼は、こうして人を自分の側に来させようとする。  無臭だし外見は美少女なので、近づくのは嫌ではない。  正座のまま側に行こうとしたら、ニケが腕を掴んできた。 「ん?」 「あ~……その」  ニケは何やら言いにくそうに、フリーとおじいちゃんを交互に見る。もごもごと口内で呟いていたが、やがて決心したのか、顔を上げた。 「ぼ、僕は別に……フリーの髪は隠さなくていいと思う……です。いや、落ち着かないとは言いましたけど……、隠さなくても。勿体ないし……」  決心したわりに声は小さかった。おまけにまたもごもごとうつむいてしまう。  フリーは「?」状態だったが、人生経験豊富なおじいちゃんは察してくれたようだ。そうかと頷くと、手ぬぐいでフリーの髪を縛った。  涼しい。首筋がスッとなる。 「一つにまとめるくらいにしておこう。これなら邪魔にもならないし。あ、もし手ぬぐいが嫌なら近所に素敵なかんざしの店があるから、そこで気に入ったのを買うのもいいよ」 「あ、ありがとうございます」  礼は言ったが、鏡がないので自分がどうなっているのかいまいち分からない。反応を求めてニケの方を見る。  金緑の瞳と似た系統の色の手ぬぐいは、フリーの髪に良く似合っていた。  ……ただ、それを言うのが恥ずかしくて、ニケはツンと顔をそらす。 「まあ、いいんじゃないか?」 「そうかな? えへへ」  ニケがいいと言ってくれたならいいのだろう。変だったらニケはズバッと言うはずだ。  浮かれていると、ニケが真面目な顔をした。 「ただ、かんざしを買ってやる金なんぞは、ないがな」 「え?」 「え?」  何故かキミカゲまでも間の抜けた声を上げる。ニケはボケたのかと心配になった。 「お前さん、ここで七日もお世話になっとったのだぞ? 診察代に薬代諸々……」 「あ」  そうなのだ。診察には金がかかる。薬師はけっして慈善事業などではない。腕のいい薬師に診てもらうほど、代金は跳ねあがる。その分、病や怪我は治りやすくなるが。  そして――キミカゲはこの街一の薬師といっても過言ではない。  つまり、 「合計するとちょっと内臓を売っても払いきれない額になっとるのだ。……もう死ぬしかない」  軟禁状態だったフリーは、金がない状況がどれほど絶望的かというのがそこまでピンとこなかった。だが、深刻な顔で頭を抱えるニケに、大変だということは理解できたらしい。わかりやすく狼狽えだす。 「そ、それならなんでこんな高価なところに連れてきちゃったの? いや、助かったけども!」 「レナさんみたいに即治ると思ってたんだ……七日もかかるなんて。入院費が……宿の金庫の金が無事なら払えるが、いまは取りに戻れないし」  ちなみに踏み倒すと、もう二度とその薬師には診てもらえなくなる。当たり前だが。 「「……どうしよう」」  放っておけば遺書を書き出しかねない空気に、キミカゲはわざとらしく咳払いした。 「あー、ごほんごほん。君たち、ちょっといいかなー?」 「あ、はい。内臓でもなんでも売ります……」 「お、俺も……」 「よし、まず落ち着こうか? これ、君たちに請求する金額ね」  そう言って古びたそろばんを弾く。ニケたちは身を乗り出してそろばんを覗き込む。  若い子たちが側にきてくれて、おじいちゃんの顔が緩んだ。 「はい、これ」  表示された金額は確かに高額だったが……死を覚悟するようなものでもなかった。  これにはニケも目を丸くする。 「え? 桁がひとつ抜けていませんか?」 「抜けてないよ」 「おかしいですよ。こんな金額!」 「おつ、お、落ち着いて」  掴みかからんばかりの勢いのニケをなだめる。ちなみにフリーは謎の物体(そろばん)に興味津々だった。指で突いたり、シャカシャカ振ったりしている。壊すんじゃないぞ。翁の持ち物は大抵年代物か希少品なんだから。  白衣を引っ張ってくるニケの両肩をぽんぽんと叩いて座らせる。

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