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第46話 洗濯屋 洗福
翌日。早朝。
借金のカタに売られた生娘のように、フリーは洗濯屋へ投げ込まれた。
あ然とする洗濯屋・洗福(あらふく)の主人に、「こき使ってください」とだけ言うと、ニケはすたこらと帰って行った。彼は彼で、翁の家事手伝い兼助手と、なかなか多忙なのである。
座り込んでいるフリーと目線が合うよう、洗福の主人はしゃがみ込む。ふわりと良い香りがした。
「キミカゲ様から話は聞いてるよ。最近、くすりばこに居候してる子でしょ?」
「あ、はい。申し遅れました。フリー……じゃなくて、フロリアと申します。フロリアです。幽鬼族で男です。フリーとお呼び下されば幸いです」
深々と頭を下げる青年を、主人はじろじろと眺める。
「へぇ。鬼族なんて初めて見るよ。角は……あー、なんでもない! フリーちゃんね。あたしはここ洗福の店長、ディドールだよ。麗しの花霊(はなたま)族さ」
気取った仕草で、毛先にかけて波打つ髪をふわりと払う。
髪や着物を生花で飾っているためか、深呼吸したくなるほど良い香りがする。この方が洗濯をすれば華やかな香りが生地に移って、好きな人には好まれそうである。お香とやらでわざわざ着物に香りづけする人もいると聞くし。
見たこともない赤い花だが、なんというのだろう。牡丹とも違うようである。
訊ねる前にディドールはフリーを店の奥へ引っ張っていく。
「はいはい。こっちおいでこっちおいで。同じく働いてる子がいるから、挨拶しときな」
「は、はい」
見た目よりパワーのある女性に引きずられ部屋に入ると、ちょうどその従業員らしき人が、働く気満々で前掛けとたすきをかけているところだった。
主人を見て頭を下げかけ、横の人物を見てギョッとする。
「ほわっ? ドールさん。誰その白いの」
白いの。おかしい。キミカゲさんにもらった古着に、緑の手ぬぐいまで髪につけているから、「脱・白い人」できたと思っていたのに。
のけ反りかけていると、主人は笑顔で従業員に手刀を落とす。
ドスッ。
「いっどぁ!」
「口の利き方を改めなさいと言っているでしょ? もしこれがお得意さんだったらぶっ飛ばしてるよアンタ。この子はフリーちゃん。今日からここで働くから、色々教えてあげなさ……えっ⁉」
フリーを振り返ったディドールが、花を閉じ込めた琥珀のような目を見開く。
ようやく二本足で立ったフリーの背丈に、驚いたようだ。フリーも自分がでかい方なんだなという自覚が芽生えてきたところである。胸元までしかない主人から見れば、さぞでかいだろう。
たははと苦笑し、頬を掻く。
「よろしくお願いします。フロリアです。フロリアですが、フリーとお呼び下さい」
涙を浮かべて頭を摩っている男の子に、フリーはぺこりと頭を下げる。
「お、おう……」
ディドールよりさらに小柄な彼は、頷きながらじりじりと後退った。
家事の中で、一番の重労働は食事の準備ではなく洗濯だ。という人が多いだろう。富裕層は置いておいて、庶民は毎日着物など洗わない。多くても一~二着しか持っていないのだ。毎日洗っていては着るものがなくなってしまう。
では何を洗うと言えば、肌着や腰巻、褌くらいだろう。
嫁さんがしっかり洗濯してくれる家庭ならいいが、働きに出てきた独り身の男などは、面倒な洗濯を嫌う。
「――そういうヒトらが、ここを利用するんだよ」
教えてくれているのは、さっき店の主人にチョップ落とされていた男の子である。
宙(そら)の民・星影(ほしかげ)族の少年で、今年で二百八歳になるという。ちょっと理解が追い付かないが、星影族は二百を超えてようやく少年扱いという信じられない種族らしい。……これよりも年上だというキミカゲの年齢を聞くのが、恐ろしくなってきた。
二百歳超えの少年、リンアンルギンは仏頂面のまま足を動かす。
「お前も独り身だろう? どうせ。洗濯屋利用したことねーのかよ」
「……独り身って、一人で暮らしているヒト、ってこと? ですか?」
「はあ?」
大きな桶に水を張り、その中に洗濯物を投げ込む。あとは素足で踏み洗いしていく。
川で直接洗ったり、臼に入れて餅のように杵でつくという方法もあるが、洗福ではこのやり方で汚れを落とす。ちなみに杵で叩くと光沢が出たり、生地がなめらかになったりするようだ。
何言ってんだこいつみたいな顔をされたが、フリーは少年の足元を真剣に眺める。
じゃぶじゃぶ。
細くしなやかな足が上下し、そのたびに水しぶきが跳ねる。
洗濯をしているというありきたりな光景なのに妙に艶っぽく、花の咲いた生け垣の向こうでは、時たま通行人が足を止めて見入っている。
気付いているのか無視しているのか、リンアンルギン――長いからリーンと呼べと言われた――は呆れたように前髪をかき上げる。
「とんだお馬鹿さんが来たぜ……。どこのお坊ちゃんだよ。おい、フリーとかいったな」
「え?」
ビシッとフリーを指差す。
「優しくされたからって、勘違いすんなよ? いいか? ドールさんは器の広いヒトだから受け入れただけで、お前のことなんか好……なんとも思ってねーんだからな?」
紅葉街の朝は早い。一歩外に出れば、賑わう人の声が耳に入ってくる。活気に満ちる中、この空間だけ奇妙な沈黙が広がった。
フリーは宇宙語を聞いたかのようにフリーズする。
「ぬ?」
間の抜けた声が出た。
「ドールさんに下手に近づくなよな。……ったく。あの方はヒトを引き付けるクセに、その自覚ないから困っちまうぜ」
大げさにため息をついてみせるリーンだが、一切足は止めない。
オーロラのように薄い着物が、動きに合わせてひらひらと揺れる。夏の陽射しを受けラメのように煌めくので、こちらも十分目立っている。
正直、たすきと前掛けで隠しているのが勿体ないくらいの着物だ。
星空の衣をまとい、額から小さく短い角を二本生やした少年が、きっと睨んでくる。
「分かったかよ?」
彼の言う「ドールさん」がディドールの愛称なのは分かったが、それ以外さっぱり分からない。
フリーはおどおどしながらもはっきりと答えた。
「えーっと。あの……さっきから何の話?」
少年の額に青筋が浮かぶ。
「てんめえええ! ヒトの話聞いてねぇのかよ」
「聞いてるよ! ずっと聞いていたけどずっと何言っているのか、分かんないんだよ」
くわっと牙を剥く少年の勢いに若干腰が引ける。もっと離れておけばよかった。
だが、足踏みは止めない。
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