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第47話 年上の少年
「アアこら! なんでわかんねぇんだよ。天然か? はっ。まさか天然路線でドールさんに迫る作戦か? 無害そうなツラしているくせに計算だけぇな。だが、俺の目が黒いうちは、そうはいかねぇぞ」
「先輩の瞳、青じゃんか」
正確には「金青(きんせい)」という、暗い紫を帯びた上品な青色――なのだが、フリーがそんなに色に詳しいはずもなく。ただ短気少年の怒りメーターを爆上げしただけである。
リーンの口元が痙攣したように引きつる。
「ほほぉぉう……。どうやら俺のこと舐め腐っているようだな」
「え? いえ。そ、そんなことは……」
少年はぽきぱきと指を鳴らす。やる気満々である。
「上等だ。ちょっとタッパがあるからって調子こきやがって」
タッパって何だろう。河童の親戚だろうか。
歯茎むき出しで睨んでくる少年に、フリーは働き始めて三十分でニケのところに帰りたくなった。
「上下関係をたたきこんでやルアアァァ。お坊ちゃんよぉ!」
桶から飛び出すと、拳を振り上げて襲い掛かった。フリーは驚いて目を見開く。
二秒後、生け垣に頭から突っ込んだ少年の姿があった。
――え? 何が起きた?
生け垣に上半身を埋めたまま、リーンは目をぱちくりさせる。
(俺、殴りかかったよな?)
確かに殴り掛かったし、腕っぷしにも自信があった。
実際、リーンの素早く重力を感じさせない軽やかな動きは、常人ならまず見切れず、殴られるしかなかっただろう。
同族同年代の喧嘩でほぼ負けなしだった少年は、頭が真っ白になる。
(ええ~? 急に殴り掛かってくるなんて、治安悪いのかな? ニケが心配だ)
一方、少年を生け垣に叩き込んだ張本人は、手を払いながら犬耳を思っていた。
リーンが飛び掛かってくると同時に、フリーも警戒態勢に入っていた。自分より小さくとも油断ならない相手がいるということを、怪力幼子(ニケ)で十分身に染みている。
フリーは片足を下げつつ伸びてきた拳をしっかり確保する。そのまま上体を捻り、生け垣に放り投げた。
リーンは殴りがかった勢いそのままに、闘牛のように生け垣に刺さった。
その動きがあまりに滑らかだったので、少年は投げられたことに気付けなかったのだ。
本来は壁に叩きつけたあと、後頭部に肘打ちを叩き込んでフィニッシュなのだが……年上の少年(?)にそこまでする気はなかった。
「……えっと」
ピクリとも動かない先輩に不安になり、両足首を掴むと引っこ抜いてやる。
花びらと葉っぱまみれになったリーンはしばらくポカーンとしていたが、女の子座りなまま恐る恐る振り返る。
「え? な、な、なに……?」
「こっちの台詞だよ。いきなりでびっくりしたじゃんか。……怪我はない?」
なんでこっちが心配しなきゃならないんだ? という疑問が浮かぶ。おそらくいつも誰かの体調を案じているキミカゲの言動が移ったのだろう。
「……」
片膝をついて、手を差し出してくるフリーを呆然と見上げる。
無意識にその手を取りかけて、我に返った。
べしーんと手を叩き落とす。
「て、てめぇ! ふざけやがって」
がばっと立ち上がると詰め寄ってくる。
「うわっ。落ち着いてよ」
「さっきはどうやら躓いて転んじまったようだが、今度はそうはいかねぇぞ」
少年の中では転んだ拍子に生け垣ダイブしたことになっているようだ。投げられたことに気づいていないのだから、しょうがない。フリーも訂正する気はない、というか、そんな暇がない。
「表に出ろ! 凹ましてやる」
仔犬のように吠える少年に、フリーはきょろきょろと周囲を見回す。
「ここ表じゃないの?」
「敷地内だろバカヤロー!」
なんだかリーンの方も引っ込みがつかなくなっているようである。とはいえ、無抵抗で殴られるには、リーンの一撃は鋭すぎる。受け止められずに受け流すしかなかったのだから。そのせいで生け垣には悪いことをした。
どうしたもんかと困っていると、いい香りと共に奥からディドールの声が響いた。
「――こらっ。何騒いでんの、アンタ達」
「げぇ。ど、ドールさん」
眉を逆立てて走ってくる主人に、慌てたのはリーンだった。
好戦的な気が一瞬でしぼみ、わたわたと両手を大げさに振る。
「あ、あっ。これは……ふぐぅ!」
花霊族の華奢な手が、言い訳をする暇もなく脳天に振り下ろされる。先ほど見たディドールチョップである。
それほど威力があるようには見えないのだが、くらった少年はきれいな「気をつけ」の姿勢で倒れた。
ばたん。
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