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第52話 ニケの隣にいてくれる
拗ねた子どものようである。
いや。もしや、これが「普通の子ども」なのだろうか。
「ちょ、なんか言って!」
沈黙に耐えかねたように後輩とキミカゲを交互に見てくる少年に、ニケはやれやれと腰を上げた。
畳の上で正座し、真っすぐにリーンを見つめると、流れるように一礼する。
「挨拶が遅れました。僕はニドルケ。祖父の代から続く宿を、姉と二人で守っておりました。この阿呆は、じゃなくて、フリーはその時の従業員で、よく働いてくれていたのです」
足を引っ張りまくり仕事を増やしてましたふざけんな、とは言わないでいてくれたニケに、フリーは目頭を押さえる。
大人の仮面を被り、すらっと背筋が伸びる。別人のような変わりようである。
リーンは口を開けたまま固まる。
「しかし、とある事件で宿が壊れてしまい、いまは祖父の友人であるキミカゲ翁の元で、こうして居候させていただいております」
子どものものとは思えない、耳に心地よい低い声。
「なので、正確にはもう雇い主とは違うのですが。……フリーの中ではいまだにそうなっているようですね」
目を向けられたフリーが当然のように言う。
「え? だってキミカゲさんに借金払い終わったら、またあそこで宿をやるんだろ? 壊れた建物はレナさんがどうにかしてくれるみたいだし。次は洗濯も俺に任せてね。農作業だって、楽しかったし。またやりたい」
腕まくりをして見せるフリーに、ニケの瞳が揺れる。視界が滲む。
フリーはもう、宿には興味がないと思っていた。
完済しても、紅葉街で暮らすんだと、勝手に思っていた。なんと言って宿に連れ戻そうかと考えていたくらいなのに。
……それか、他の選択肢に気づいていないだけか。軟禁状態であったというし。広い世界を知らないのだろう。それは気の毒だった。
なので、ニケは嫌々口を開く。
「このままこの街で、暮らさないのか?」
宿で働く以外にも、道(選択肢)はあるぞと伝えたつもりだった。
だがフリーには「お前さん、使えないからこのままここにいろよ」的な意味に聞こえたようで、捨てられたくない仔犬(大型)のように着物に縋りつく。
「に、ニケ? お、俺もっと頑張るから……。そんなこと言わないで、俺を宿に置いてください。なんでもするから」
こやつが言うと本当になんでもしそうで怖い。でも。
――側にいてくれる。
涙を見られたくなくて、うつむく。声は震えていた。
「しょうがないな……。お前さんは」
「ニケ?」
さっきからどうしたのだろうと、心配げに顔を覗き込もうとしたが、空気読める二人にバシバシ叩かれ阻止された。
「いてぇ!」
キミカゲはいい笑顔でうんうんと頷く。
ニケを一人にしない誰かが側にいてくれるなら、心強い。
翁はそっと白い青年に視線をやる。
身元も分からないし種族もきっと偽っている相手ではあるが、ニケと知り合い以上の信頼関係は築けているようである。ならば年寄りはごちゃごちゃ言わず、見守っていておこう。
「良いことだ。じゃあ、お祭りは三人で行っておいで」
懐から財布を取り出す。こちらも鈴蘭の刺繍がされていた。
そしてちょうど一日は遊べそうな金額を、飴玉のように手渡してくる。強がって0.2秒で涙を拭ったニケも低頭して受け取る。
おじいちゃんはもちろんリーンにも差し出す。
「はい」
まさか自分に回ってくるとは思っていなかったリーンは、大げさに手を振って拒む。
「え? いやいや! いただけません。俺、ちゃんと稼いでますんで。お気持ちだけで」
「はい」
「キミカゲ様? 俺は結構です!」
「はい」
「……あ、あの」
「はい」
「あ、あざす……」
根負けしたリーンが弱々しく受け取る。
フリーがなんてことなさげに肩ポンしてくる。
「もっと素直に受け取ればいいのに。テレ屋さんなの?」
「おめーはもっと遠慮しろや!」
好意を断ると、おじいちゃんは悲しい顔をなさるからね。素直に貰っとくが吉。それと、敬語じゃなくていいと言われたのでそうやってみたのだが、案外心地よい。敬語で話さない、というだけで相手との距離がぐっと縮まった気がする。錯覚かもしれないが。
まだまだ世界に出てきたばかり。仲の良いヒトもいなかったフリーは「縮まった!」と、断言できなかった。
貰ったお金を丁寧に巾着に仕舞い、ニケはおじいちゃんを見上げる。
「翁は? 祭りには行かないのですか? 行きますよね?」
「そうですよ。一緒に行きましょう」
「奇数だと誰かがハブられがちになりますからね! キミカゲ様、予定がないのなら是非!」
若い子からのお誘いに、キミカゲはニコニコと目を細める。
「ありがたいんだけどね。私は役職があるから」
ニケとリーンが肩を落とす。
「お仕事ですか?」
詰め寄ってくるフリーに首を振る。
「いやいや。毎回酔っ払いや喧嘩が勃発するから、何かあったとき用の救護班として、仮設の休憩所で待機しなくちゃならないんだよ。毎年のことさ」
「喧嘩? そんなの関わったら危ないですよ!」
「近い」
どんどん顔を近づけていると、ニケに尻を蹴られた。
「ぐおっ」
「大丈夫だよ。喧嘩が終わってから手当てしてるから。そのあとは説教だよ」
「ケツが割れた……」
阿呆の声が情けなく響く。
フリーにしては珍しく引き下がらなかった。尻を摩りながら続ける。
「説教されて逆上して襲い掛かってきたりしないんですか? 人前で暴れるようなヒトたちなんでしょうたちなんでしょう? 俺は、キミカゲさんが心配です」
真摯に真っすぐに見つめてくる。
内心たじろいだらしい。キミカゲは見事に口を滑らせた。
「怒鳴られたり突き飛ばされたりはあるけど、怪我はしてないよ」
室内が急激に冷え込んだ気がして、キミカゲはハッと自身の失言に気づいた。
咄嗟に口を押えるが、発した言葉はなかったことにならない。
見ればニケの目は氷のごとく冷たくなっているし、リーンにいたっては「信じられない」と言いたげに顔色を悪くしている。
背中に汗をにじませ、キミカゲは下手な誤魔化し笑いなど浮かべてみる。
「あ……。な、なんてね! 冗談だよ。あははははは。何もされてないよ?」
ニケとリーンは微動だにしなかったが、フリーはにこっと笑ってくれた。これにはキミカゲは安堵する。彼のこういうところには本当に助けられ……
「キミカゲさん。そいつの名前と住所を教えてください」
いやもう、絶対に教えられない。
冗談でも教えたが最後、刀持ってそやつの家に乗り込んで行きそうである。と、ニケは白い背中を見つめて思う。
しょうがねぇなと、リーンは袖口から取り出したものを翁に差し出す。
「これは?」
「短剣です。護身用にどうぞ。返却時、真っ赤に濡れていても気にしませんので」
持ち手含めて黒一色で、鞘には星形の宝石がいくつもはめ込まれている。色鮮やかだが、煌びやかな反面おもちゃのように感じた。
白目を剥いて固まっているキミカゲを放置し、フリーは短剣をつついてみる。
「うわっ。なにこれ。きれいだね」
「フフン。俺ら星影にしか作れない夜宝剣(やほうけん)だぜ。これはお前も聞いたことあるだろ?」
「初耳」
「お前、なんなら知ってるんだよ!」
その怒りはすごく共感できる、とニケは内心で深く頷く。
「それより返事は?」
「へ?」
「へ? じゃねぇ! 祭り! 一緒に行くのか? 行かないのか?」
フリーはのんきに拳を上げた。
「もちろん行く~」
「よし。じゃあ五日後の夕刻に、神社前に集合な。忘れずに来いよ。分かったな? いいな! 遅刻すんなよ」
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