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第55話 鬼が出た
蝋燭の明かりのある畳の部屋で、誰かと話しておられる。フリーは声を上げた。
「キミカゲさーん。怪我人でーす」
「えっ?」
振り向きざまに見開かれた白緑(びゃくろく)色の瞳が、フリーたちを映す。
子どもたちは親しげに手を振る。おじいちゃんに会えて嬉しいのだ。ニケは手に持っているものを振る。
おじいちゃんはすぐに駆け寄ってきた。
「だ、誰が怪我したんだい? おおお、おち、おちつ、おちおちっ」
「落ち着いてください、翁。リーンさんの手に甘酒がかかったのです。水で冷やしましたけど。診てやってくれませんか」
気まずそうにリーンは右手を見せる。皮膚が赤くなっていた。
「あはは……地味に痛いです」
「ああ……。これは痛かったね。お祭りじゃ多いんだよ。火傷するヒト。さ、こっちにおいで」
怪我人でもないフリーとニケは上がり込むか迷ったが、けっきょくお邪魔した。隅っこで大人しくしておく。
膝を抱えて座っているフリーに、正座のニケはそっと団子を渡す。
「ほら。醤油こぼすなよ?」
「ありがとう、ニケ。ニケって気が利くよね。さっきの水場でもうまく立ち回ってくれたし。押しのけちゃったヒト、大丈夫だったかな」
彼は小さく息を吐く。
「お前さんは大胆に行動しすぎだ」
ここ羽梨(はねなし)には水の枯れない井戸がある。そこに行くのかと思えば、まさかの。
と言いたいが、こやつが井戸の場所を知っていたら怖いし、一刻も早く冷やさねばならない事態だったしな。
そう思えばあの選択は悪くない。
「まあ、今回のことは、転びそうになった僕が発端だったし、うるさく言わないでおこう」
「そういえば背中、痛くない?」
「痛くもかゆくもない」
お前さんの七倍くらいは頑丈だと自信をもって言える。
なのに、大きい手のひらが背中を摩ってきた。……団子を齧りながら。
「………………」
痛くはないといったのに。だが、背中を摩られるというのは悪くない。
なんて反応するか迷い、結果何も浮かばなかったので飴細工を舐める。金魚の姿をしたそれは、ほんのりと甘い。
何を思ったのか、それをフリーの目の前に差し出す。
「ん?」
「お前さん、この魚は知っているか?」
「アオムツの仲間? アカムツ?」
一瞬、ニケの方がどっからアオムツが出てきたんだと驚いたが、思い返せば川で味噌焼きにして食べたわ。よく覚えていたな。
得意げにニケは口を尖らす。
「ブブー。ハズレ。小金魚っていうフナの突然変異だこれは。……赤いのに金魚? とか言うなよ」
「赤いのに…………あ、はい」
見事に先回りされたフリーを、薬を塗りながら聞いていたらしいキミカゲがふふっと笑う。
「お祭りの甘酒、熱くしすぎなんだよね。毎年注意しているんだけど、熱い方が粋! とか言って、ぬるい甘酒にならないんだよ。困ったねぇ」
「俺もあっつい方が好みですけどね!」
「………」
「あっ俺ももう少しぬるい方がいいと思います!」
「個人で食べるには何も言わないけれど、食べ歩きする人多いんだし。お祭りでは気を遣ってほしいね」
「そうでございますな!」
死んだ目になっているリーンを眺め、がじがじと金魚を齧る。やはり何かを噛んでいると落ち着く。
「じゃあ、「青いのに銀魚」とかいるの?」
「……。世界のどこかにいるんじゃないか? 知らんけど」
「青いのに銀魚っ。なはは!」
笑っているリーンを見て翁もほほ笑む。怪我をすると酷く落ち込んでしまうヒトもいるので心配だったが、彼は大丈夫そうだ。
塗り薬の蓋を閉め、ぽんとリーンの頭に手を乗せる。
「はい。終わり。浅い火傷でまだ良かったよ。明日になっても痛みが治まらないようなら、くすりばこへおいで? いいね?」
「はいっ。キミカゲ様。ありがとうございます!」
火傷に浅いも深いもあるのかと思ったが、はきはきと感謝の言葉を返しておいた。
団子を食べ終えたフリーは、串を半分に折る。
「先輩。怪我辛いでしょう? もう帰りますか?」
「こんなんで帰れるかお前ェ! お祭りの記憶が火傷しただけになってまうやろがい。神楽を、羽梨の双子巫女の舞を見るまでは死んでも帰らんぞ……っ!」
「休憩所で大声出さないの。迷子さんや怪我したヒトが来るんだからね」
「はいっ。すみません」
蚊の鳴くような声になった。
せっかくのお祭り。流石にニケも飴を舐めただけで帰宅するのは嫌だったのか、リーンに合わせる。
「僕もお守り買ってないから、帰れんぞ」
「お守り? 安産祈願?」
「僕が何を産むんだボケナス。よく転ぶすっとこどっこいが隣にいるから。どんくささが消え空気読めるようになる、いいや、もういっそ悪い所全部直してくれるお守りが欲しい」
フリーが壁に額を付けて落ち込んでいる。ニケはニケで真剣な顔をしているので悪意があるわけじゃないとわかるので、翁も何と言ったものかと苦笑する。
リーンはそんな空気を一顧だにせず立ち上がる。
「お守りが欲しいのか。それなら早く行こうぜ。羽梨のお守りは人気だから、目当てのやつがなくなっちまう」
小さな声で言いながら休憩所の外へと駆けていく。……甘酒を飲めなくして手を火傷してもなお走るか。その姿には泳ぎ続けないと死ぬマグロのような、一種の感動を覚えた。
呆れ顔で金魚飴を噛み砕く。
「……せっかくだ、お前さんもなにかお守りを買うといい」
「? お守りを買わなくても、ニケは俺が守るよ?」
「違う! そうじゃない。コケなくなるお守りとか買っとけ」
自分の身を守れとか、照れるだろ馬鹿野郎とかいろいろ言葉がせり上がってきたが、恥ずかしかったのでフリーをとっとと蹴り出すのだった。
がやがや。
再び人混み祭りに戻ってきたニケの顔に表情はなかった。すぐどっか走って行きそうになる二匹の着物を掴んでいると、愛玩動物を散歩している気分になる。
「先輩。あれは何です?」
「握り寿司だな。上に乗っているのは魚の刺身だ」
「小金魚ですか?」
「……小金魚は観賞用でな?」
どうでもいいが、リーン殿の着物の肌触りが良すぎて噛んで引っ張りたくなる。そういえば彼の種族を聞いていなかった。あ、でも確か夜宝剣を見せた時に星影と言っていたな。……ん? 星影?
ニケが何かを言おうとしたとき、またもや何かがぶつかってきた。
「ぶほっ」
ニケの奇妙な声に、何事かとフリーたちの目が集まる。
結構な威力でニケの頭部に飛来してきたのは、着飾ったお嬢さんの尻だった。袖のない着物と両腕が茶翼になっているのを見るに、翼族(翼のある種族の総称)の娘さんだろう。
どうやらわざとじゃなかったようで、三色の花模様がある豪華な着物が汚れるのも構わず、膝をついてニケの顔を覗き込んでくる。そばかすのあるお嬢さんの方が涙目だった。
「ご、ごめんなさい! 大丈夫? 砂利でよろけちゃって……。ごめんね、僕?」
首が折れそうだったわと言いたかったが、深々頭を下げているお嬢さんに、責める言葉はいらないだろう。
片手で頭を摩りながら、見栄を張る。
「大丈夫です。お構いなく。お姉さんこそ、怪我はしていませんか?」
「あ、私は大丈夫。平気。……ふふっ。心配してくれるの? 紳士なのね」
ふわりと微笑む彼女の髪で、チリリっと高価そうなかんざしが揺れる。
揉めることなく終わりそうな空気にフリーとリーンが顔を見合わせて安堵したとき、野太い声が響いた。
「お嬢! どうしたんですかい」
大太鼓のような声に、周囲にいた耳の良い種族が思わず顔をしかめる。ニケもだし、リーンも牛っぽい耳を塞ぐ。
茶翼の娘は慌てて立ち上がる。
「な、なんでもないのよ? ちょっとこの子にぶつかってしまって……あっ」
娘を乱暴に背に隠し、庇うように立つ男がニケを睨みつける。
背はそれほどだが、筋肉隆々であのヒスイよりごつい。傍で見上げると壁のように感じる。肌は黒に近く、燃えるような炎色の長髪が、岩肌を流れる溶岩のように膝裏にまで届いている。それは本当に発光しているかのようで、暗闇でも鮮やかな赤がはっきりと視認できる。
朱色の花吹雪の舞う、華美だが袖のない着物。そこから伸びる腕は女性の胴より太く、硬い果実も粉塵に変えられそうだった。
頭から生える二本の禍々しい黒角を見た途端、通行人が一斉に距離を取る。
「おい」
「あれって……」
ひそひそと呟かれる声。
剛力無双の鬼族、である。
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