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第56話 つい本音が

 神に一番頼らない種族が、神社に何用か。  祭囃子だけが聞こえるようになった周囲が見守る中、鬼はニケにサッと手を伸ばす。 「テメェ。お嬢にちょっかい出してんじゃ……」  もちろんその手が届く前に、フリーがニケを抱きかかえ二歩ほど下がっていた。 「……ああ? なんだオイ」  空振りした男が、ぎろりと目を光らせる。  一触即発の空気だ。喧嘩となんちゃらは何とかの華! と言うが、鬼族とのガチ争いは受け付けていないようで、野次馬たちが生唾を呑むのが分かった。 「……っ」  先輩としてはフリーに加勢する腹積もりだったが、鬼族の強さは並ではない。果たして無傷で切り抜けられるかどうか。握った拳が汗で濡れている。喧嘩っ早いリーンが躊躇するような相手だった。  それをフリーはきっと睨む。 「犬耳に触りたくなる気持ちは分かるんですが、本人の許可を取ってからにしてください」  一瞬、祭囃子すら途切れた気がした。  周囲は困惑するし、リーンも「何言ってだこいつ」みたいに白い肩を見上げる。腕の中のニケはどうやったら空気読めるようになるんだろうと、本気で額を押さえていた。  角男の方もぽかんとして、二回ほど瞬きする。 「え、や……別に耳を触ろうとして手を伸ばしたんじゃ、ねぇよ?」 「では、ほっぺですか? モチモチしてそうだし、俺も触りたい! ……じゃなくて、そんな勢いで触ろうとしたら、びっくりするじゃないですか」  本音が思いっきり口から滑り出たが、フリーはなかったことにしてぎゅっと腕に力を込める。ニケが二度見してきたが気にしない。  角男の頬に冷や汗が伝う。 「触らせてもらえば、い、いいじゃねぇか?」 「え? そ、それはそうですけど。急に「ほっぺ触っていい?」って言ったら、驚くと思って……」  興味を無くしたように、通行人に賑わいが戻る。ファイティングポーズを取っていた先輩も、いまやもう猫背だ。  茶翼の娘は帯に刺していた扇子を引き抜き、それで角頭をぶっ叩いた。 「がっ?」  鈍器で殴ったような、すごい音が鳴った。 「もう。落ち着きなさい。私がこの子にぶつかってしまったのよ? 無礼を働いたのはこっちよ? まったくあなたは……」  でかい図体を押しのけ、娘が再び頭を下げる。 「うちの護衛がごめんなさいね? 人混みと神社で、気が立ってるのよ」  連れてくるんじゃなかったわ、と頬に手を添えか細い吐息をもらす。なんてことない仕草も、この娘さんがすればずっと見ていたくなる魅力があった。  頭を押さえ、大男は情けない声を出す。 「お、お嬢……。いきなりはやめてくだせぇ。頭が割れます」 「割れなさいよ」  娘さんが持っている扇子、よく見れば鉄製の――鉄扇ではなかろうか。あきらかに鉄っぽいもので頭蓋を殴った音がした。しかし殴られた側は血を流すわけでもなく平然としているし。そんなものを軽々振り回しているとは。この二人は一体何者か。  扇子を仕舞い、代わりに懐からお守りのような小さな袋を取り出す。それをニケの手のひらにそっと乗せた。 「お詫びのにおい袋です。売るなり身につけるなり、お好きに使ってちょうだい」  桜色の小袋が、金の紐で結ばれている。  それを見て、角男が焦りだす。 「お、お嬢! それは大切な――うっ」  一瞬だけ振り返った主の目を見て、大男が息を呑む。 「騒がせてごめんなさい。お祭り、楽しんでくださいね?」  袖で口元を隠し上品に笑うと、なんと大男を掴んで引きずって行く。男は首根っこを掴まれた子猫のように、なんの抵抗もしなかった。  ぽかんと見送る三人。手の中にはにおい袋だけが残された。  フリーは静かに抱いていたニケを下ろす。 「怪我はない?」 「平気だと言っとるだろう」  今日は厄日か。蹴られたりケツアタックされたり、散々である。 「ところで、におい袋って何?」 「香料を詰めた布袋だよ」  詳しいのか、リーンが教えてくれる。なんでもディドールが暇なときに作っているようで、リーンももらったことがあるのだとか。夜宝剣を押しのけて家宝にして毎日拝んでいるらしい。  花霊(はなたま)族が造るものは少し違うが、一般的には白檀や桂皮、龍脳といった粉末が使用される。  女性の身だしなみとして愛用されるが元来は、厄除けの薬玉が変化したものである。 「……って、キミカゲ様がおっしゃっていた」 「ほほぉん。さっすがキミカゲさん」  感心しているフリーに感心したように、リーンは顎を撫でる。 「お前もな。鬼族を目の前にして肝が据わってやがる。ドジ度が高くて忘れていたけど、流石は幽鬼族ってか?」  だんだん嘘をついているのが心苦しくなってきた。まさかこんなに他人と関わるようになるなんて、思ってもみなかったのだ。笑顔が少しばかり引き攣る。 「ま、まあ……。さっきのヒトは何鬼なんでしょう?」  疑問がぽろっと零れる。ハッとして口を閉じたが遅かった。同じ鬼族なのに、何鬼か分からないなどおかしいではないか。あ、駄目だ。これはやっちまった。  足元でニケも、「このバカ……」と呼吸が詰まったような顔をしている。 「あっ、あの! いまのはっ!」  咄嗟に言い訳を並べようとしたが、リーンが口を開く方が早かった。  完全にダメな子を見る目でこっちを見上げている。 「おいおい! お前。同じ鬼なのに分かんねぇの? 鬼が分からないのに、俺様が知ってるわけねーだろ」  この長身白髪野郎は。見直したと思ったら、これである。と、肩を竦める。 「お前な、世間知らずも大概にしとけよ? 恥かくのは雇い主さんの方だぞ」 「ぜ、善処します……」  それだけで、フリーの正体については突っ込んでこなかった。完全に普段の駄目さに救われた形である。  九死に一生を得たようなため息をつく。別に「種族を偽ってました~」と言っても、リーンは気にしないだろうが、「じゃあ、なんの種族なんだ?」と聞かれたら終了する。  それはそうと、ニケが俯いたままだ。幼子の正面に回ると翼族の娘さんを見習って膝をつく。 「ニケ? どうした?」 「……」  こちらに赤目を向けてくれたが、うんともすんとも言わない。  リーンも気になったのか、フリーの横にしゃがんでみる。煌びやかな布が砂利の上につく。それを通行人が踏まないようにと足を上げて行く。  先輩は雑にニケの黒髪をかき混ぜる。 「疲れたか?」 「いえ。別に」  きゅっと小さな拳を握る。  なんだろう。嫌なことが続いたせいだろうか。誰が悪いわけではないのに、むかむかする。こんな気分ではお祭りを楽しむなんて無理だ。では、お守りは手に入ったのだし、家に帰るか? 嫌だ。ひとり家にいるなんて。キミカゲ翁もいないのに。  ならば翁の居る休憩所にでも引っ込んでいようか。……邪魔にならないかな。  微かに残る思い出。家族で、姉ちゃんときたときは楽しかったはずなのに。  など、うじうじ考えていると、ひょいとまたフリーが抱き上げてきた。最近気軽に抱きすぎだぞ。いいけど。  そのままニケを自身の肩に座らせる。 「お?」  こ、これはもしかして。いつぞやの肩車ではないか。 「ニケ。しっかりつかまっててね。立つよ?」  つかまれと言われても。鞠のように頭を抱えると前が見えないだろうし、耳を掴むと取れそうで怖い。髪の毛? ブチって抜けそうだな。翁も褒めていた白髪を雑草のようにむしるのは嫌だった。  悩んだ末、そっと頭部に手を添えるかたちとなった。バランス感覚に優れているし、もし落っこちても、この高さで怪我などすまい。  ニケが安定したのを感じ取り、足首を掴んだフリーが、ゆるりと立ち上がる。倉庫掃除の時と同じく視界が、視線が上へと上昇していく。  だがここは、閉ざされた室内ではない。  視界が一気に開けた。 「おお……」  夜空に近い。足だらけの林だったのが嘘のよう。祭囃子が良く聞こえ、人々の頭を見下ろす位置にいる。  砂利が遠くなり、かがり火が、笠が近い。お店のいい匂いもはっきりとする。風が、ニケの前髪をかき上げていく。  これが、フリーが普段見ている景色。  ぱあっと花咲く幼子に、リーンはどこか安心したように腰に手を当てる。 「やっぱちょっと疲れていたみたいだな。赤犬族は感覚が優れているし、人ごみで疲弊したんだろ」 「気づけなくて申し訳ない……。無理やりにでも座るところを確保するべきでした」  歩くのが好きとは言え、こうヒトが多くてはストレスもたまるだろう。しかも同行人がなにかと騒ぎを起こしていれば余計に、である。  青年と少年はきっちりと反省した。ニケもニケで、寝不足は良くないなと気持ちを新たにするのであった。  ぶんぶんと、尻尾が揺れる。

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