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第66話 雨生川

 キミカゲを起こして、三人で食卓を囲む。  お茶碗に山と積まれた白米を、仏壇のように拝んでいる白髪。 「今日もニケの作ったご飯が食べられる……。幸せすぎて怖い」 「「……」」  この儀式が終わるのを、ニケとまだ半分寝ているキミカゲが黙って見守る。毎日同じことをしているが、飽きないのだろうか。 (作ってもらえるのが当然、みたいな態度にならないのはいいことだけどさ)  照れくさそうにニケは頬を掻く。魚を焼いた後、豆腐を入れた味噌汁も作っておいた。サービスでぬか漬けも用意してある。ここまで喜んでもらえると作り甲斐があるし、ちょっと照れてしまうではないか。  まんざらでもなさそうな幼子を盗み見て、キミカゲは一番幸せそうに微笑むのだった。  紅葉街のど真ん中を流れる大きな川。流れる水音が夏には気持ちよく、冬は静という街のヒトに愛された川なのだが。豪雨の時、溢れそうになるけれどなかなか溢れないという感じによくなり、住民しょっちゅうハラハラさせている。その様が雨の日に現れるイタズラ好きの妖精に似ているということから、「雨生川(あまうがわ)」という異名を持つ。 「川は流れているんだからな? 洗濯物がどっか行かないように、ちゃんと見とけよ?」 「はい」 「はーい。ふふっ」 「い、いえ! 今のはドールさんに言ったわけではっ」  フリーの真似をして手を挙げたディドールが、口元を隠し上品にほほ笑む。その愛らしさに、顔を真っ赤にしてリーンは狼狽えた声を出す。本日、ディドールが身につけているのは緑の着物に、目にも鮮やかなハッサク色の花。髪や着物を埋め尽くすように咲き誇っている。彼女は毎日身につける花を変えるので、会うのが楽しい。  目が痛いほどの晴天。  ディドール、リーン、フリー。洗濯屋の三人は、雨生川へと訪れていた。  いつもはディドールの花屋敷でしているのだが、隣の家屋が改装工事を始めたせいで砂埃が酷く、ここへ避難してきたのだ。隣は長らく無人だったために、埃が出るわ出るわ。  これではせっかく洗った物がまた汚れてしまう。  幽霊屋敷と化していた隣家にヒトが入るのは良いのだが、どんなヒトが来るのだろう。 「お花さんを嫌いな種族じゃないといいわね~」  川の浅い所で洗濯籠をひっくり返し、ドバドバと洗濯物を沈めていく。洗濯物が一枚も流れて行かないところを見るに、川での洗濯も慣れているのだろう。流石は洗福(あらふく)の主人。  どうして流れて行かないのかと注視するも、川石の多い所を選んでいるくらいしか分からなかった。  後輩が技を盗もうとしている一方、濡れないようにと大きく足を出した彼女を凝視しながら、先輩リーンは言う。 「ドールさんの屋敷の周辺、花霊(はなたま)族多いじゃないですか。そんなところの家を買い取ったやつなんですから、大丈夫ですよ。というか、ドールさんの花に文句を言う奴は俺が顎砕いてきます」  キリっとした表情で拳を握る少年に、ドールは乙女のように赤面し、 「もう、この子ったら」  川の水を蹴るように歩いて近づき、彼の頬を摘まみ上げた。 「喧嘩っ早いところ直しなさいと、言わなかったかしら?」 「はい。しゅ(す)いません!」  上司に叱られているのにこれ以上ないほど幸せそうである。  これに関しては、気持ちは分かるのでそっとしておく。  初心者の域を出ないフリーは洗濯物を流してしまう自信しかなかったので、一枚ずつ揉み洗いしていく。 「洗福さん。おはようさん」 「あら。おはようございます。美衣(みころも)屋さん」 「ディドールさんがくれた香料、評判いいよ。ありがとね」 「まあ、それは良かったです」 「ディドールさん。今日もお花が美しいですね! さ、触ってもいいですか?」  同じ洗濯屋の者たちも川へやってくる。埃にまみれたくないというのは、皆同じである。ディドールの人柄のおかげか、川に来た同業者が必ずと言っていいほど挨拶してくる。フリーもニケ仕込みの笑顔で挨拶を返し、リーンはディドールに近寄ってきた変質者を川に沈めていた。 「良いわけないだろ! ドールさんの半径四万キロから出て行け!」 「居場所がないっごぼごぼ!」 「先輩。落ち着いてくださいよ」  ただでさえ蒸し蒸しするのだ。夏の朝はなるべくさわやかに始まってほしい。そんな中、水死体を生産しようとしているリーンに声をかけつつも、手は止めないフリーだった。  絞った洗濯物をパンと伸ばし、ディドールに声をかける。 「あの、今日はどこに干したらいいんですか?」 「あ、そっか。あっちを見て」  指さす方を向くと、雨生川にかかる橋があった。紅葉色の美しい橋なのだが、洗濯物がちらほらとかけられている。この様子では橋が布で埋まってしまいそうである。  フリーは目を見開いた。 「えっ! 橋に干してる。いいんですか?」 「うふふ。別名、物干し竿橋~。ま、これはあたしら(洗濯屋)が勝手に呼んでいるんだけど」  見ると、他のヒトも当然のように橋に洗った着物を引っかけていく。 「盗まれたりしないんですか、あれ?」 「心配なさんな。そんな輩は洗濯屋全員でぼっこぼこにされるわ。あたしも殴る」  笑顔で力こぶを作ってみせるディドール。その根性はたくましいが筋肉が浮かび上がるでもなく、二の腕は細く滑らかで、リーンが目を血走らせている。そのうち先輩に刺されそうで怖い。 「左様で」  そそくさと、フリーも洗濯物を吊るしに行く。  橋の下にまで来て、それを見上げる。橋は低い所でもフリーの背丈より上にある。他の方々は背に生えた羽や、種族特有の身体能力を生かして軽々と橋に干していく。身体強化を使えばフリーも同じことが出来るが、誰かのため以外で使ったことがあまりないため躊躇った。仕事も立派な誰かのためなのだが、社会経験が浅いフリーはそのことに思い至らない。 「う~ん」  仕方ないので川から上がり、橋の上に回って洗濯物を干す。風で飛んで行かないようにそして一目で洗福(うち)のものだと分かるように青い紐で一部を結ぶ。他の選択屋は赤や黒い紐なので、紛れることはない。  何回か往復していると、川底の石で滑って転び、絞り終えて立ち上がろうとして転び、話しかけようとして先輩を巻き込んで転んだ。 「……一枚一枚橋にかけに行かずに、まとめて持って行ったらどうだ?」 「そうします、はい。ごめんなさい。はい」  そうこうして洗濯籠がカラになった。ちょっと休憩と川べりに上陸する。 「ふう」  一足先に終えて休んでいたずぶ濡れの先輩が、草の上で仰向けに寝転がっている。  その隣に腰を下ろすと、待っていたかのように脇腹をど突かれた。 「俺様までびしょ濡れなんだけど?」 「ほんますいません」

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