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第65話 眩しい朝

♦  夏は日が昇るのが早い。  それに張り合うように、商魂たくましい俸手振り(商品を入れた籠を棒に吊るし、売り歩く人)が声を上げ、それを待っていた奥様方が家の外に出て朝食を買い付ける。  ニケも三人分を購入すると、さっそく朝食作りに取り掛かった。  翁が用意してくれた踏み台に乗っかり、しっかりとたすき掛けする。  米信者がいるので、まずは背伸びしてじゃぶじゃぶと米を研ぐ。  居候の身なのだからニケたちは質素な食事、最悪一日くらいでも良いのだが、キミカゲがそれを許さない。「若い子の前で自分だけ飯食べていたら、心がしおれる!」「食費とか気にしなくていいから」「ていうか、一緒にご飯食べてお願い……っ」と涙ながらに力説と懇願されれば、それ以上なにも言えんかった。 (翁は寂しがり屋なのかな?)  誰かを雇ったり、しないのだろうか。  米を洗う腕と連動するように、尻尾がぱたぱたと揺れる。  フリーがまだ寝ているのきっちり確認してから、満足いくまで頬ずりしておいた。それから起きたので気分はすこぶる良い。  気分はいいのだが、それと同時にフリーってあんな本性を隠していたんだ……と素直に喜べなかった。なんだろう。この複雑な気持ち。求められて嬉しいような、ちょっと怖いような。腕力勝負ならフリーより強いからまだいいが、これで彼より腕力がなくて反抗出来なかったらと思うと。ううん。いやでも、フリーなら相手が嫌がることせんだろうし。それにフリーになら何をされても……って、いやいやいや! なにを! 寝ぼけているのか自分は。  あーだこーだと悩んでいると動きが止まっていた。  扉の開く音がして、足音が聞こえる。音がすると言うことは、フリーだろう。いけない。奴が起きてくる前までには終わらせていなければならないのに。 (予定がずれる!)  予定通りに行かないと気持ち悪い。ただでさえ朝は時間が過ぎるのが早いというのに。  倍速で終わらせ、外に出て次は自分の好物である魚を焼き始める。海のない紅葉街で魚は高級品。値段を聞いて目が飛び出しかけたものだ。大きな川はあるものの食用に出来る魚があまりいないようで。  宿にいた頃は美味しい魚が豊富で自分で獲ってくれば無料だったため、財布のひもを解くのをためらった。ヒトの金で高値のものを買うとか、精神的にツラい。  ……買ったけども。  自分だけならなんとでも誤魔化せるが、身内に空気読めない白髪がいるのだ。食卓を見て「ニケ、魚好きなのに買わなかったの?」とか、翁の前で言うに決まっている。そして翁に「遠慮したの?」と笑顔で聞かれる流れが見えガルルルルッ! 「はぁ……」  なるべく日陰で七輪の火をうちわで扇いでいると、フリーがひょいと顔を出した。 「ニケ。おはよう。いつもご飯作ってくれて、ありがとうね」  キラキラ。  眩しい。  なん、なんだ。なんだこれは。光を放っている気がする。  ――そういえば姉ちゃんもいつもキラキラしていたな……。  姉に並ぶ存在になった、ということなのだろうが、ニケは認識していなかった。それだけ、ニケにとって姉は特別なのだ。  困惑気味にうちわの影で目を細めていると、隣にきた寝間着のままの人がしゃがむ。 「いいにおい~。……ゲッホゲホ! 煙が、エッホゲホ」  香ばしい香りを胸いっぱいに吸い込み、煙で咽ている。  その横顔を見て、昨日の出来事を忘れているのでは、と不安になった。顎に攻撃したし、その際に記憶が月に飛んだかもしれない。  しゃがんだままじりじりとフリーに近寄る。 「な、なあ。お前さん。昨日の記憶はあるか? 僕から離れたら、駄目なんだぞ?」  指で涙を拭いながら、ニケを見る。  実は言うと、頭突きで昨晩の記憶がところどころ抜け落ちていた。大事な話をしたということは覚えている。 「え? ニケから離れる気なんてないよ? 例えニケがどっか行けと言っても、俺は離れないし付き纏うしストーカーする」  前半は褒めてやれるが、後半どうした。  すんっと気温が下がった気がしたが、聞き間違いの可能性を考慮し、自分を落ち着かせながらニケは問い返す。 「なんて?」 「ストーカーする」  おい誰だ。フリーに変な言葉教えたのはっ! 「絶対に離れない」  待ち望んでいた答えのはずなのに、一ミリも口角が上がらないのはなんでだろう。  ぱたぱたと、虚しくうちわで扇ぐ音だけがする。  大きく息を吸い込む。もちろん咽るような真似はしない。 「ええっと。それはつまり、僕のことが好きなんだな?」 「うん」  食い気味なほどの即答だった。 「愛してる?」 「うん」 「家族として?」 「家族……ってよく分からないけど、俺の居場所はニケの横って決めてる」 「……」  顔が赤くなるのが分かった。 「僕より魅力的なモフモフっ子がいても? 浮気しない?」 「ガン見はするけど、俺はニケの隣にいる」  にやけそうになる口元を必死で抑え、ニケは唇を尖らせる。 「ふーん。それだけ僕がドストライクだったってことか?」 「ドス?」 「好みのこと」  ああ、そういうことねと頷き、フリーは腰を上げた。 「そろそろ仕事行く準備しないと。この話はまた暇なときにでも」  そう言って振り返ると、ニケが捨てられた仔犬みたいな目をしていて焦った。 「ちゃ、ちゃんと言うから! そんな顔しないで。朝ってほら、すごい時間過ぎるの早いし。キミカゲさん、起きてきちゃうし! 俺、身支度に時間かかるし」  髪をとかさないで職場に出むいたら、ディドールさんにこってり叱られた挙句、椿油なるものをいただいた。身なりを整えないで客の前に出るなとは言われたが、職場に行くなとは言われなかったので。帰ってからおじいちゃんに「叱られた~」と報告すると「だろうね」って言われた。だろうねって……。  犬耳がぺたんと寝込む。 「むぅ……」 「何その可愛い声! やめて。理性が飛ぶ!」  またもや右手を押さえ、残像が見えるほど震えている。昨晩からずっと言動が怖いなこやつ。  まあ、朝から蜘蛛男になられても困るので、ニケはフリーを炊事場から締め出した。帰ってきたらちゃんと聞かせるんだぞ。 「はよ着替えてこい」 「イエス。ボス」

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