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第75話 狙われた星屑
「へぇ? この兄ちゃんの知り合いだったかな?」
「これが最後だ。失せよ」
なんてことはない、平坦な声。
だが瞬間、リーンの背中が引き攣った。鬼の気――威圧と表すればいいだろうか――が、爆発的に膨れ上がったのだ。言葉を交わす気はない。貴様らはただ言う通りにすればいい。そんな傲慢ともいえる鬼の態度。常なら殴り掛かっていたであろう蛇の頭(かしら)が、動けずにいる。
「っ」
ほんのわずかに、足が後ろに下がった。
きっと気を失わなかっただけ、彼もそこそこ修羅場をくぐってきたのだろう。
仲間其の一と其の二はとうに泡を吹き、白目を晒して地に伏せている。唯一三つ編みの男だけは意識を保っていたが、カチカチと歯を鳴らし可哀想なほど竦み上がっていた。
だというのに、そのすぐ横にいるリーンは何も感じない。
対象にだけ、威圧をぶつけているのだ。
器用、とかいう話ではない。
(な、なんだあのオッサン。こんなにやばい奴だったのかよ! 祭りの時は、何? 寝てたのか?)
あるいは、あの翼族のお嬢さんの側だったからだろうか。
殺気でも闘気でもない。ただの不快な相手に対する威圧。人が狩りをするときにいちいち殺気を振りまかないのと同じだ。――獣相手。完璧に他種族を見下した行動である。
「……」
内心冷や汗が止まらないまま下唇を噛み、頭の男は糸のように目を細め鬼を睨む。
――隙が、見つからないや。
潔く頭(かしら)はくるりと反転するとおもむろにリーンの着物を掴み、彼ごとひょいと持ち上げた。
(へ?)
目をぱちくりさせる暇もなく、そのままぶん投げられる。
(なっ?)
上下が逆転し、壁にぶつかる。壁ではなく鬼男にぶつけられたのだが、はっきり言って岩肌に近く、痛かった。
べちゃっと地面に落ちる頃には、誘拐犯たちの姿はなかった。
「ふん」
鬼が、つまらなさそうに鼻を鳴らす。
こちらに小僧を投げてよこすと同時に、逃げていきおった。
しかも仲間をきっちり担いで。
一人でも残っていれば、情報を聞き出せたというのに。
(まあ良い)
自力で口枷を外した少年に手を伸ばし、細い首筋を掴む。
「何? なになになにっ」
さっきからひょいひょい持ち上げられ、リーンは思わず暴れる。しかし、岩のような手はビクともしなかった。
鬼はそのまま彼をどかんと裏路地の壁に押しつける。
「ぐっ――」
息が詰まる。背後の壁には亀裂が入っていた。
鬼男の指はリーンの喉に食い込み、外れる気配もない。酸素と遮断されたリーンは剥がそうと爪を立てるが、爪の方が剥がれそうな始末だった。
立て続けに襲われ、リーンの胸の内は困惑と怒りで満ちていく。
「なんっ、なんだよ……!」
苛立ちをぶつけるように叫ぶが、鬼は毛ほども感情を乱さない。川で釣りでもしているかのような退屈そうな目だった。
やがて、億劫げに口を開く。
「小僧。貴様は星影の者だろう?」
「……人違いだ」
わずかな抵抗の意味を込めて虚言を口にするも、鬼はそれを鼻で嗤う。
「星影が袖を通した着物にはどうしても、夜空の色が移る。貴様らが地上で種族を偽りたいのなら、全裸でいるしかない」
言いながら、星屑が瞬くような着物を撫でる。地上の技術ではどうやっても再現不可能な煌びやかな衣が、証明書のようなものだった。
リーンの瞳が、怒りから殺意の色に変わる。
「ふん? 嫌な記憶でも蘇ったか? まあ、貴様の事情などどうでも良い」
「……」
「先ほどの人攫い共は恐らく貴様と衣目当てだったのだろう。夜空の色が移った衣は金持ちに人気が高いし、香りが良く珍しい貴様らは愛玩動物としても優秀だ。これからは、もう少し身を隠して生きることをお勧めするぞ?」
「ああ?」
片眉を吊り上げる。なんだこの鬼。馬鹿にしている気配と同情する気配がごちゃついていて気持ち悪い。心の中に、別人がいるようだった。
吐き気を堪えて、リーンは強がるように笑う。
「で、オッサンはなんなの? 攫われそうになっていたから、助けに入って……くれたのか?」
絶対に違う気がする。もし万が一そうであっても、手が離れたら一発殴る、絶対。
酸欠にあえぐ少年を、つまらなさそうに見上げる。
「いや? 我も似たようなものだ。貴様、夜宝剣を持っているだろう? 寄こせ」
「え――?」
呆然とする少年に構わず、鬼は暇そうな片手でリーンの足を掴む。暴れたのと雑に扱われたせいで着物は大きく乱れ、いつの間にか太ももをさらけ出していた。
鬼の手は滑らかな太ももを滑り、着物の中へと侵入していく。
鳥肌が一斉に立った。
「ひぃっ! なんだ気持ち悪い」
「……」
鞄の中身を漁るように、鬼は無言で着物内を探る。
どれだけ暴れようと、鬼は意に介さない。
「星影なら一つは身につけていよう。星の力を宿した剣。差し出せ」
あれなら、キミカゲに渡したままだ。
「持ってねぇわ!」
「虚言壁でもあるのか? 貴様」
呆れたような眼差しにイラつく。あれは誰かを守るのに適しているから、星影なら必ず身につけているのは事実だ。――今はたまたま持っていないだけで。
流石に通行人も気付き始めたのか、ざわざわと野次馬が出来ていた。
しかし鬼が怖いのか巻き込まれたくないのか。遠巻きにこちらを見ているだけで、救援は望めそうにない。
「このっ――」
カァッと顔が熱くなる。こんな醜態を見られていることに耐えられない。
鬼の方も目撃者を増やすことを嫌がったのか、リーンの着物を強く引っ張った。ずるっと着物がずれ、胸元がはだけさせられる。
「なっ」
視界が滲む。
何を勘違いしたのか、もっとよく見ようと野次馬の一部がニヤついた表情で身を乗り出している。ヒトが襲われているのがそんなに楽しいのだろうか。
「なんだ。本当に持っていないのか? だが、作ることはできるだろう? 来い」
――こいつも結局、人攫いかよ!
強く腕を掴まれ、暗闇に引きずって行かれる。踏ん張るも下駄は地面の上を転がり、素足は血が滲んでいた。
悔しくてたまらなくて、拳を叩き込む。
「離せ!」
渾身の一撃だったが、手応えはなし。それどころか殴った拳の方に痛みが走る有り様。
ジンジンと腕が痺れる。
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