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第19話 悲劇の足音
紗無が目を覚ますと、晶利は窓を開けて換気しているところだった。なんだか妙にへろへろして精神的にやつれた顔をしている。
『どうしたー? なんかあったか?』
「……紗無。起きたか? 体調はどうだ?」
『もうすっかり元通りだぜ! 見ろ。この通り』
ぱっぱっと色んなポーズを取っている。羽もぴんと張っているので安心した。
『それより。詩蓮のやつは? あれからどうなったんだっけ?』
ドキッと晶利の肩が跳ねる。
「あ……し、詩蓮なら俺の部屋で寝ているから……。今はそっとしておこう……」
『はあ? 心配だから顔を見に行くに決まってるだろ?』
こいつも良い奴だった。出て行きそうになる妖精を大慌てで引き止めようとした時だった。
コンコンッ。
扉を叩く音がした。
「……今、ノックの音がしたか?」
『したな』
二人して固まる。この地に移住してから数百年。妖精や狛犬以外の客など来たことがない。
だが妖精や狛犬はノックなどしない。これは人間だ。
魔物が徘徊する荒野を突っ切って、わざわざ荒野の化け物に会いに来る物好きなどいないのだから。本当に人間か? という思いもある。
わずかに警戒したが、
(というか……)
黒槌だったらどうしよう!
どっと汗が出た。いや、普段ならまったく構わない。むしろ会いに来てくれたことを嬉しく思うだろうが。今はタイミングが悪い、悪すぎる!
何の言い訳もできない証拠(詩蓮)が部屋にいるのだ。死んだか? 俺。待て落ち着け。あの生粋の引きこもり(俺もだが)が外に出るなどあり得な――あ、もしかして大木を斬りに来てくれたのか? あいつはそういう奴だ。ついでに詩蓮の顔も見に来たんだろう。死んだな、俺。
瞬き一回にも満たない時間で、考えがぶわっと巡る。だが視界の隅で妖精がふわ~っと玄関に向かうのを捉え、紗無より速く玄関へと向かった。
『おわああっ?』
通り過ぎた風圧で、くるくるっと妖精が三回転する。
「待て! 黒槌誤解だッ」
叫びながら扉を開ける。
そこには――
「…………?」
誰もいない。
変だ。確かに音がしたはず。
首を左右に動かし足元に目を落とすと、ちょんと小人が立っていた。
「ん?」
『晶利ー? 誰だったんだ?』
目を回しながら妖精も顔を出す。だがそれはよく見ると小人、いや、生物ですらなく。
「人形?」
目線を合わせるように屈む。
口元がくるみ割り人形のように不気味に動く、だがそこそこ精巧に作られたカラクリだった。髪の毛はなくフリルで飾られたベビーハットを被り、刺繍がゴージャスなドレスを着せられて自立している。眼球も大きくリボンのついたパンプス(靴)も愛らしく、これを作った人形師は相当愛情を込めたんだろうなというのが伝わってくる。
――人形使いか?
詩蓮が植物を操るように、人形を自在に操作する者のことだ。この人形に戦わせて荒野を抜けていたのだろう。ゴージャスな衣装は傷だらけだった。護衛……いや、戦闘用人形(バトルドール)か。それなのに服装がふりふりなのは、人形使いの趣味なのだろう。まあ、そこはいい。
人形は何も言わず、ただノックをする動作を繰り返している。
『なんだこれ? お前、知り合いに人形なんていたのか?』
「俺をメルヘン国の住人だと思っているのか? 近くにこれを操作している人間がいるはず――」
手に取ってみようとして、ハッと気づく。
囮だ! 本命はベッドで寝ている、
「詩蓮かっ」
『へ?』
駆け出そうとした背後で、人形が音もなくむくむくと巨大化した。
『……ほあ?』
小刻みにカタカタ揺れたかと思うと動き出す。
呆けた声を出す妖精。人形の動きは凄まじく速く、知能の高い相手との戦闘経験があるが故の判断力だった晶利を捕まえた。
(気持ち……良かった)
疲れたが嫌な疲労ではない。半分寝かけている頭で脱力する。晶利が散々「救命行為だからな?」と予防線を張って保険加入していたのは少々あれだったが、触れて、くれた。溜まっていた熱を放ってくれた。
大きな大人の手だった。
「はあ……」
思い出しただけで疼いてくる。一回しかしてくれなかった。もっとイチャイチャしたかったのに。余韻を楽しむように甘えたかったのに。ささっと掃除すると風のように出て行った。超不満。
むすっとするも、目元は赤くなっていた。
ぶかぶかの服を見つめる。私はあいつがす、す、好きなんだ、と思う。多分。きっと。
どこに惚れたんだろう。気がついたら好きだった、なんてことはあるんだろうか?
恋愛経験のない詩蓮ではイマイチ分からない。
枕に顔を押しつける。晶利の、においがする。
「はあ……。んんっ」
ため息がどうしても甘い熱を孕んでしまう。もっと抱きしめてほしい。キスしてほしい。もっと――私に夢中になってほしい。
自分はこんなに女々しかっただろうか。
ごろりと寝返りを打つ。
(私が子どもだから、相手にしてくれないのか?)
それにあいつは、黒槌様のこと。
好きなの? と考えただけで胸がずきりと痛む。仲良さそうに話していた二人。入り込めない絆のようなものを感じて、少しだけ嫉妬した。
そんなの嫌だ。黒槌様にだって渡したくない。
初めての恋に少年はのめり込む。頭の中が彼でいっぱいだ。晶利のこと以外、考えたくない。甘酸っぱくて苦い恋の果実。この味にいつまでも浸っていたい。
だがそれは、来た。
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