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第20話 怨敵
「こんにちは……。会いたかったよ」
扉が開いた音はしなかった。
晶利でも妖精でもない声に、詩蓮は重い身体を持ち上げる。
「だれ……だ?」
妖精以外にも同居人がいたのかと思いつつ、目を向ける。そこには、
「やあ。詩蓮」
魔物を率いて詩蓮の村を燃やした、あの時の人物が目の前にいた。
「!」
見開いた瞳が凍りつく。
跳ね起き、咄嗟に手を伸ばすが杖はなく、書物しか掴めなかった。そんな少年を見て、侵入者はフードの下で笑う。ギザ歯が見えるほど、口を吊り上げる。
詩蓮は声を荒げて叫ぶ。
「お前は。なんでここに!」
「そんなことどうでもいいじゃないか、詩蓮。ふふ。随分可愛い恰好をしているね」
アオザイのスリッドから伸びる素足を舐めるように見てくる。ゾッとした。
ずかずかと近づいてくる人物に書物を投げつける。動揺していたせいか、軽くかわされたがフードは外れる。
現れた顔はなんてことない、たまに村に来ていた商人の男だった。
「……な、んで?」
ぽかんとする詩蓮に、男は親しげに頷く。
「覚えててくれたようだね? そうだよ、伊雪(いせつ)おじさんだよ」
王都の古本屋で本を集めては、詩蓮の村に来ては無料図書館を開いていた。それは娯楽に飢えた村人に好評で、読み書きができない子どもには伊雪自ら読み聞かせを行っていた。本を買う余裕があるのは村長くらいだったが、詩蓮も何度か無料図書館――といっても、そこまで規模は大きくない。多い日で三十冊あるかどうか――で古書を読んだことがある。英雄物語の続きが、待ち遠しくて。
平凡だがやさしい雰囲気の男の顔が、いまは悪魔のように歪んでいる。
男はベッドに膝を乗せると更に近づいてくる。
「来るな!」
「寂しいことを言うなよぉぉん」
にんまり笑ったかと思うと、伊雪はスンスンと鼻を動かす。
「あれ? なんかこの部屋、詩蓮のにおいがするね。もしかしてヤってた?」
鳥肌が立った。
「おやおやおやおや。そうだよね。男の子だもんね? 気持ち良かった? ねえねえ。どんな風にシたの? 良かったら見せてほしいなあああ?」
心底気持ち悪い。本の角で殴ろうと振り上げた腕を掴まれる。
「暴力は良くないよぉぉ?」
「村を襲っておいて……どの口がっ!」
叫ぶと同時に腹に蹴りを放っていた。「ぐはっ」と男の力が抜けた隙に腕を引っこ抜く。急いで扉に手をかけるが、ドアノブがガチャガチャと鳴るだけで、開かない。誰かが反対側で扉を押さえているかのようだ。
「晶利! おい、晶利っ」
どんどん叩いて助けを呼ぶも、返事はない。聞こえていないのか?
男は腹をさすって起き上がる。
「いてぇなあ。暴力は良くないって言ったばかりなのに。これは。ぐふふっ。躾てあげる必要があるね」
醜悪に歪んだ笑顔に背筋が寒くなる。
「みんなの仇だ……」
戦う意志を見せるも、杖はなくそもそも魔法もまだ使えない。それでも自分を奮い立たせる。村の生き残りを殺しに来たのだろうが、むざむざ殺されてなるものか。
伊雪は少年の頭からつま先まで幸せそうに眺める。
「可愛いなぁ……。詩蓮。おじさんはねぇ? ずっと君が欲しかったんだよ?」
「……あ?」
「初めて村に行った時のこと、昨日のことのように思い出せるよ……。なんの変哲の無い村に、すごぉぉい美少年がいたんだから」
裕福ではないがのどかな村。農民が泥だらけになって働く中、服に汚れひとつない少年。太陽の光でキラキラ輝く金髪。気の強さを現した猫のような凛々しい瞳。魔法で村を魔物から守るだけでなく、植物に命令を出し作物にたくさんの実をつけさせている。毎年豊作を実現させていた。美しく優秀で、人々の役に立っているという自信に満ち溢れている。
詩蓮は一歩下がる。背が壁にぶつかった。
男は歌うようにばっと両手を広げる。
「一も二もなく「欲しいっ!」と思ったね……。でも村長にかけ合っても、「彼は村の守り手」と言って断られたんだ。酷いよぉぉぉん」
「だ…………から村を襲ったのか?」
「そうだよ! 守るものがいなくなれば、君は自由だ。おじさんは、君を解放してあげたんだ。感謝していいよ!」
視界に赤いカーテンが降りてくる。握り締めた拳から血が落ちる。
赤熱する怒りが詩蓮を動かした。こいつだけは許せない。詩蓮がいなくなることを危惧した村長から村の外に出ることを禁じられていたし、便利に使われていたようにも思う。でも、やさしかった。村の皆は、村長も、やさしかったんだ。
「お前えええっ!」
詩蓮の拳が殺人鬼の腹に叩き込まれる。身の丈もある杖を振り回している詩蓮の拳は、後衛の魔法使いとは思えない威力だった。
手首あたりまでめり込む一撃に、男は大量の吐しゃ物をぶちまけた。
「――ぅぼえええっ!」
よろよろと後退し、腹を押さえて蹲る。
「そんな、そんなくだらないことで!」
拳が壊れようと、頭がい骨を陥没させてやろうとした。こいつは生きていたらいけない。魔物以上の害悪だ。駆除してやる。
「ンフフッ。元気だねえぇぇ。そうでなくっちゃあ。面白くないよ」
狂った笑みで顔を上げる。その歯は赤い宝石のようなものを挟んでいた。魔法石だ。杖に装着して使用する者もいれば、失くさぬよう体内に入れておく者もいる。腹を殴られたせいで出てきたのか。
「!」
こいつは人形使いだ。馬ではなく人形に車を引かせていたし、元気のない子どもがいれば人形劇なども披露していた。そういうところは、ちょびっとだけ尊敬していたのに。
赤い光が輝く。
魔法が使えない今の詩蓮と違い、伊雪は完全な魔法使いだ。
本が浮いたかと思えば、その下に潜んでいた人形が巨大化する。やけに着飾った、いつも車を引いていた人形。
成人男性ほどの大きさになると、襲い掛かってくる。
「ぐっ!」
車を動かしていた怪力人形は、あっさりと少年を床に押さえつけた。
「つっ!」
勢いよく叩きつけられ、痛みに顔を歪める。
腹を押さえたまま身軽に立ち上がり、男はニタニタと見下ろしてくる。
「逃げられちゃって悲しかったよ。魔物に追わせたけど、見に行ったら全部殺されちゃっていたからね」
「魔物? 魔物も、操れるのか……?」
「ん? ああ、おじさん。こう見えて一級でね? 普段は人形使いのふりしているけど本当は、無機物有機物問わず操れるんだ~あぁぁぁぁぁ。すごいでしょ? あ、これは秘密ね? 魔法協会にも「人形使いでーっす」って、嘘ついて登録してるからさああああん」
ごくんと魔法石を飲み込み胃に仕舞うと、一級の証である金の星の首飾りを見せつける。
「一級が商人をしていたのか?」
「まあね~。実家が商家だったし。それに世界をめぐって可愛い子を拉致――お持ち帰りするのに、商人の肩書は都合が良くてええぇぇぇ!」
正真正銘のクズだ。多分、首を絞めて殺しても心は痛まないだろう。
くるくる踊っていたかと思うと、男は指を鳴らす。
それが合図なのか人形は小柄な身体を持ち上げた。
「うっわ」
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