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初デート、二度目のキス、そして…… ①

覚えているのは、無邪気に笑う可愛い笑顔と、優しい掌の感触。  空が綺麗で一時間眺めていた、そう言った大河の言葉に彼が笑った。起き上がれないぐらいつらいのに、どうしても彼の顔が見たくて瞳を開ける。目が回る視界の中、何故か彼の笑顔だけは鮮明に輝いて見えた。  あの日から彼の笑顔が忘れられない。  まだ夏の気配が残る秋の頃。  バサバサバサッーーーその場に紙が散らばる音が響き渡る。 (またやっちゃった......)  ふうと息を吐くと、大河は落ちた紙を拾うためにその場にしゃがみ込んだ。  昔からどうもボーッとする癖がある。風に舞い散る木の葉、色んな色に変化する空、そこにはどんな力が働いているのかを考えたり、数字の羅列を見ては素因数分解をしたり。世界はとてつもなく興味に満ちていて、気づけば大河の意識は、その興味の世界に引っ張られていた。  だけどそんなことを考えられなくなるぐらいに、大河の頭の中をある人物が占めていた。それが。 「もー何やってんだよ」  彼である。  彼はため息を吐きながらも、とても丁寧に大河が落とした書類を一枚一枚拾っていく。その華奢な指先が綺麗だと思いながら大河は彼を見つめた。 「ほら」  書類を拾い集めると、彼は大河にそれを差し出した。大河より身長の低い彼がこちらを見上げる。きめの細かい綺麗な白い肌にサラサラの黒髪、片腕で包み込めそうなぐらい華奢な肩。薄くピンクに色づいた唇があどけなさを感じさせる。彼のその全てに、大河は引き込まれるような錯覚を覚えた。ぱっちりとした大きな猫目がクールな印象を放っているが、彼が笑うとどれだけ可愛いか大河は知っている。 「ありがとう」  また助けられた。優しい彼が可愛くて大河の顔に自然と笑みが浮かぶ。笑った大河と目が合うと、彼も釣られるようにふふっと笑う。笑ったのが嬉しくてにこにこと見つめていると、彼がハッとしたように顔を引き締めた。 「別に、こんなの普通のことだし」  言いながら頬を赤らめると照れるように目を逸らす。赤く染まった頬が可愛くて、大河の胸がドキッと高鳴った。 (ああ......もっと彼のことを知りたい)  世界の興味より何より、今一番大河が知りたいのは彼のことだった。 「この前も助けてくれたよね」  言いながら大河は上着に入れているスマホを探す。すぐに見つからなくて、少し時間がかかってしまう。 「よかったら今度お礼にご飯でも......あれ?」  スマホを見つけて彼の方を向くと、いつのまにかその姿は消えてしまっていた。 「............」  ハァと大河はため息を吐く。 (まただ、今日こそは連絡先を聞こうと思ったのに)  実は彼に助けられるのは今回だけではない。夏に熱中症になった時はもちろん、廊下で転んだ時も「大丈夫か?」と声をかけてくれた。食堂でお茶をこぼした時も一緒に拭いてくれたし、炭酸ジュースを間違えて振ってしまってビショビショになった時もタオルを差し出してくれた。その他色々、その度に何度も約束を取り付けようと試みるが、気づいたらその姿が見えなくなっているのだ。きっと大河の声をかけるタイミングが遅いのだ。生きてきてこれほど自分のとろさを恨んだことはない。大河はギュッと手の中のスマホを握りしめた。どうすれば彼にもっと近づけるんだろうか。  自分はどうやらかっこいいらしい。そう思うのは昔から男女問わず大河の顔を見ると、揃ったようにみんながそう言うから。褒めてくれるのは純粋に嬉しかった。みんなが大河の顔を見て頬を赤らめにこにこと笑う。だけどそれはいつも最初のうちだけ。大河のどんくささを目の当たりにすると、最初は天然だねや可愛いと笑ってくれるのだけど、それが度重なってくると、みんなその笑いが愛想笑いに変わるのだ。向こうから告白されて女の子と付き合ってみても、最後には「神崎くんってイメージと違うね」と一方的に離れていく。イメージと違うと言われても、大河には分からない。傷つくのが嫌で、いつしか告白されてもうまく交わす方法だけを覚えるようになってしまった。そして人なんてそんなものだと、当たり前のように受け入れるようになっていた。  だけど彼は違ったのだ。  熱中症になった時も親身に世話を焼いてくれて、空を一時間眺めていたなんて言えば他の人には呆れられるばかりだったのに、笑ってくれたのだ彼は。その後も何度も何度も助けてくれた。何度大河がドジを踏んでも、彼はいつだって最初と同じように笑ってくれるのだ。嬉しそうに楽しそうに。 その笑顔にどれだけ癒されているか。彼といると安心する。もっと、もっと一緒にいたい。日に日にその気持ちが膨らんでいく。 (そういえば名前もまだ知らないな......)  前に経済学部の教授と歩いているのを見かけたことがあるので、学部は経済学部で間違いないと思うのだけれど。大河はそう思ってハァとため息を吐いた。  そんな大河に手を振りながら男性が近づいてきた。 「神崎! いたいた! 探してたんだぞ〜」 「えっと......」  すらっとした長身の体にネイビーのパーカーとダメージジーンズを着た茶髪の彼。どこか遊び人風の見かけだけど、気さくにこちらに手を振る様子が爽やかな雰囲気を放っていた。 (たしか熱中症になった時、先生を呼んできてくれた人だ) 「佐々木だよ佐々木宰」  宰は大河の様子を見て、自分から名前を名乗ってくれた。 「佐々木この前はありがとう」 「神崎こそ大変だったな。あれから体調大丈夫か?」  そう聞いてくる宰に大河は頷く、それを確認して宰は人懐っこい笑顔を浮かべた。宰の笑顔に優しそうな印象を受けるけれど、彼の様に引き込まれるようなドキドキとする感覚は感じなかった。  やっぱり彼の笑顔は特別だ。けれど何が特別なのか、はっきり分からなくて大河は考え込む。 「それでさ~今度〇○学院の女子と合コンすることになったんだけど、神崎を呼んで欲しいって言われててさ」  宰の声に、考え込んでいた大河はハッとする。 「頼む!〇学なんてレベルの高い女子と合コンできる機会なんてないし、俺のためと思って参加してくれ!」  神崎は居てくれるだけでいいからさ、と宰が顔の前でお願い!と両手を合わせる。 (合コン......なんて興味はないけれど) 「彼を呼んでくれたらいいよ」 「ん?」  大河の言葉に宰が首を傾げる。 「あ......あの熱中症になった時、俺を助けてくれた......」 「青木のこと?」 (青木っていうんだ......)  やっと彼の名前が分かった。大河は顔を綻ばせながら強く頷く。 「青木を、呼んで欲しい」  そう言って真っ直ぐに宰を見つめた。 「......青木を?」  宰が大河の言葉に訝し気に眉を寄せる。目を逸らさずに大河はジッと宰を見つめ続けた。宰はしばし伺うように大河を見て、そして真剣な大河の瞳にフッと顔を緩めた。 「おう、まかせとけ。ばっちり呼んでやるよ」  宰がニヤッと大河に向けて笑いかける。 「っ......ありがとう」 「じゃあ取引成立、よろしく頼むな」 「うん」  大河は宰とLINNのアドレスを交換する。 「決まったら連絡する、またな~」  宰は大きく手を振りながら去っていった。大河はその背中を見送りながら、ドキドキと胸が高鳴るのを感じていた。 (今度こそ必ず彼に、いや青木に少しでも近づきたい)  大河は心にそう誓いながら強く拳を握りしめた。  その頃、大河と合コンの約束を取り付けた宰は、大河がいた理学部から中庭を通って経済学部へと向かっていた。目指すは最近特に用事も無いはずなのに、何かと理学部の方に通いつめている友人のところへ。 「おもしろいことになってきたな」  宰はふふふと楽し気に含んだ笑いを零した。 * * * 大河は研究室で今年の頭にあった学部交流会の名簿を見ていた。  この大学には大河が通う理学部、青木と宰がいる経済学部、そして法学部・文学部・医学部・獣医学部・農学部と同じ敷地内にバラエティに富んだ学部が設立されている。これだけさまざまな分野があるのは学生の視野を広げるためということらしく、その教育方針もあって学部外交流がとても盛んにおこなわれていた。今年の頭には理学部と経済学部の交流会があった。その時の参加者名簿が、教授の部屋にあったのを思い出して、大河は教授に頼んで名簿を借りてきたのだ。 「青木......あおき......あった」  運のいいことに青木という苗字は一人しかいなかった。 「あおき......はるか......」  そう呟いて胸が高鳴る。名前を知れたことに、少し彼に近づけた気がして嬉しくなった。その時ブブッとスマホが震えた。表示されたのは宰の名前だった。画面を開いて大河は笑顔になる。そこには『任務完了~合コンよろしく♪』という言葉とともに。 「可愛い……」  青木の写真が添付されていた。思わず素直な感想が口から零れる。いきなり写真を撮られて驚いている無防備な顔と、呆れるようにスマホに手を伸ばす表情。どちらも見たことのない顔だ。きっとこんな風に大河の知らない彼の表情がまだまだいっぱいあるはずだ。早く、もっと、いっぱい、色んな彼が見たい。そしてできることなら、 (彼に触れたい......)  大河の中に強い気持ちが湧き上がる。 「なぁ~に、にやついてんだよ」  急に後ろからガシッと首に腕を回され、大河は驚く。 「近衛か......びっくりした」  しっかりと筋肉のついた日に焼けた腕と、聞こえた声に大河は後ろに立つ人物の名前を呼んだ。 「ふ~ん、お前こういうのがタイプなんだ」  大河のスマホを覗き込みながら近衛が面白そうに笑う。  |狼上近衛《おおがみこのえ》、彼は大学に入った当初から仲の良い友人だ。あっけらかんとした性格の近衛は、 初めて大河に面と向かって「どんくさいなお前」とはっきり言った人だった。今まではドジを踏んでも気を使われて愛想笑いされるばかりだった大河は、そう言われたのが嬉しくて笑顔で「ありがとう」と返した。「どんくさいって言われてありがとうって変な奴だな」と近衛に笑われてから仲良くなった。それを見た周りも大河のドジをつっこんでもいいんだと思ったらしく、それからみんなラフに接してくれるようになって、近衛には本当に感謝している。 「うん、可愛いでしょ」  言われた言葉に迷いなく頷いて、嬉しそうに笑う大河に近衛が驚いた顔になった。 「お前、意外と惚気るタイプだったんだな」 「のろける......何を?」  近衛が何に対して言っているのか分からなくて大河が首を傾げる。無自覚か......と近衛はため息を吐いた。 「俺はこういうツンとした猫顔はあんまりだわ。それより小さくてふわふわで食べたくなるような子犬系がいい」  近衛の好みのタイプに大河は思わずプッと吹き出す。食べたくなるって、身長が百九十センチもある大きな体をして精悍な顔つきの、しかも名前に狼がついている近衛が言うと、好みのタイプというより好きな食べ物の話をしているみたいだ。 「動物で例えるところ、さすが獣医志望」 「ハァ、人間も動物みたいなもんだろ?」  近衛が快活に笑う。名前の通りどこか野生の狼を彷彿とさせる雰囲気の近衛だが、大きい体をしてかなりの小動物好きだ。近衛が子犬を抱きながらデレデレしている姿を初めて見た時はかなりギャップがあって衝撃的だった。  大河は画面の青木をジッと見る。言われてみれば青木は猫っぽいかもしれない。今日から急に猫が一番好きな動物になりそうだ。画面を見つめながら微笑んでいる大河に、近衛がニヤニヤしながら声をかけた。 「で、いつ告白するんだよ」 「告白......って何を?」 「何をってお前......」  好きだってことをだよ、と言いかけて近衛はやめる。どうやら自分ではまだ自覚してないらしい。その間も大河は愛しそうに、画面の青木を見つめ続けていた。この顔面にこんな瞳で見つめられたらひとたまりもないだろう。 「こりゃ、たちが悪いな......」 「ん? なんて......」 「いや何でも! そーそーこのデータ分析して欲しいんだけど」 「どれ……?」  近衛に渡された資料に、大河はやっとスマホの画面を閉じた。渡した資料に目を走らせる大河の横で今にも倒れそうな本の山を直しながら、近衛は先ほど画面で見た猫顔に心の中でがんばれよとエールを送った。  そして合コン当日はやってきた。

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