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第1話 被検体は、モグリの違法店で
貧民窟の闇市。ボロ屋と怪しげな屋台が立ち並ぶ区画の一角に、その古物商はあった。
取り扱う品は、盗品や訳あり品。宝石、アンティーク、古書、珍品名品、なんでもござれ。…いかにもカモフラージュです、と言わんばかりにどっさりホコリを被ってはいるが。
それもそのはず。この店の本当のメイン商品は、人間の奴隷だ。カーテンで間仕切りされた場所には、所狭しと奴隷用の檻が陳列されていた。
人間の奴隷は、公認の競売所や大きな町の市場でも、買う事自体はできる。こういう場所にあるのは、いわゆるモグリの違法店というやつだ。
僕のような『禁術師』と呼ばれる者には、うってつけの店である。
魔術学府を追われて何年経っただろう。いよいよこの磨き上げた禁術を、生身の人間で試す段階に入ったのだ。
檻を一つ一つ覗いて、中を確かめていく。か弱そうな者が多い。屈強な男は労働力として貴重だから、早々にはけてしまうか、こんな場末には流れ着かないのだろう。
「…なるたけ頑丈な奴がいい。できれば成人した男はいないか?」
店主に聞いてみると、一つの檻に案内された。うながされるまま、記載してある値札を読む。
性別/男
年齢/22
備考/元執事、窃盗の罪により
なるほど、悪くない品だ。実物を確かめようと、僕は身を乗り出して檻の中の奴隷を見た。
「………っ」
奴隷は首輪と腰布を身に着けていて、檻の隅で膝を抱え、小さく震えながら僕を見上げていた。しかし五体満足だし、体つきや顔つきも悪くない。しいて不安事項を挙げるなら、メガネをかけていることくらいか。
「弱視なのか?」
「いんや、その辺のメガネをかけときゃ見えるようでさ。これも安モンみたいですし。元執事だから読み書きもできるし、見ての通り傷一つついてねぇ。いい品ですよ、旦那」
よく舌が回る店主だ。どうせなら、ここに流れてきた経緯も聞き出しておきたい。
「今日日の判事は、罪人を売り買いする特権でも得たか?」
僕は仮面の奥から嫌味な笑いを含ませ、店主に顔を向けた。
「はは、まさか」
店主は察したように微笑み、こう続ける。
「こいつのご主人がね、盗んでるとこをとっ捕まえたはいいものの、あんまり可哀想だってんでここに連れてきたんでさ。ほれ、主人から物を盗った召使いは死罪でしょう」
「ふむ……」
顎に手を当てて、考えてるふりをする。
奴隷の気性はどうだっていい。僕が心配なのは、盗品や逃亡奴隷、脱獄囚だった場合だ。追手に巻き込まれでもして、住処を突き止められるのは都合が悪い。だからもう少し確証が欲しかった。
「今日で一週間経つんで、明日には鉱山行きが決まっておりやす」
迷ってる風の僕に、店主が畳み掛けてきた。
「……素性は確かなんだろうな?」
「そりゃ、『コレ』の持ち主本人が納品してきたんですから。お付きの方々もいらっしゃったし、ありゃ相当な金持ちですよ。見ての通りウチはモグリなんで、血統書なんざご用意できやせんが。…で、どうします?買うんですか、買わないんですか」
まぁここまで聞き出せば、充分だろう。身分を明かさず奴隷の売買ができる所なんて限られているのだし、ある程度は譲歩もせねばならない。
「分かった、買おう」
店主に値札より多めの金、それに小さい木札を握らせる。店主はいぶかしげに僕を見た。
「実は、もう何人か必要なんだ。成人した男ならこの際なんでもいい。新しいのが入ったら教えてくれないか?これを手のひらに乗せ、空に向かって息を吹きかけるだけでいい」
店主の手にある木札を指差して、説明してやった。遠隔用の伝書板で、魔術師の間でよく使われるものだ。
「こりゃあ…魔術師様でしたか」
少しばかり驚いたように、店主は僕と木札を交互に見てくる。
魔術師は、人類の中では希少な存在だ。誰もが貴族階級並の特権を持ち、大商人並の財力を築いている。こんなオンボロのローブを羽織って、わざわざ貧民窟のモグリ奴隷商に来るなど、普通はあり得ないだろう。僕のような禁術師でなければ。
僕は仮面の奥から、声を低くして「内密に頼むぞ」と店主に釘を差した。
あれから店主の態度は妙に恭しくなり、「道中お気をつけて」と頭を下げて見送られた。
挨拶もそこそこに、僕は用意していたローブを奴隷に羽織らせ、待たせていた馬車に乗る。
街道で馬車を降りてから、徒歩で山道へ。山道から獣道に入り、獣道からもそれて更にしばらく歩き、ようやく塔の先端が見えてきた。
「見える?あの屋根が僕の家だよ」
小川の近くに座らせながら、奴隷に教えてやる。店では舐められないように高圧的に話したけど、奴隷相手なら普段通りでいいだろう。久々に人間族と普通に会話できて、少しうれしい。
しかし奴隷はだいぶ疲れていたのか、黙ってうなずくだけだった。僕には勝手知ったる森の中だが、奴隷にとっては初めての道のりだ。不安や緊張、慣れない山道、人間族の柔肌で歩く困難さ、様々な要素が彼を疲れさせているのかもしれない。
「まだまだ歩くから、今のうちに水飲んで」
僕は小川を指さして言った。
奴隷は少し困惑したように僕を見て、口を開いたが、結局何も言わずに両膝をつき、小川に口をつけた。両手が縛られて、後ろで腰布の縄に括り付けられているのだから、ああやって飲むしかない。でもよっぽど喉が乾いていたのだろう、奴隷はすぐにガブガブと水を飲みだした。
陽の光の下で見ると、奴隷はやはり整った顔立ちをしていた。
流し目を送っただけで乙女を虜にしそうな、堀りの深い大きな目と、長いまつげ。紅をさしてるわけでもないのに赤みがかった唇。
それに太陽の光で柔らかそうな栗色の髪が反射して、とてもきれいだ。毛先が金色に透けるせいで、乱れているのにそれ自体が装飾品みたいに輝いている。口を開いた時に見せた、悲しげに潤んだ瞳がセクシーだった。
休憩の必要ない僕は、ぼんやり突っ立ったまま、一心不乱に水を飲む彼を観察していた。
そこでようやく僕は、裸足でいる奴隷の足の裏が、傷だらけになってることに気付いた。ところどころ血が滲んで、とても痛そうだ。
「………」
放置してもいいが、悪化したら実験にさわるかもしれない。僕は口から、小さな螺旋の息を吐いた。それはすぐに数メートル先の、奴隷の傷口へ届く。吐息が触れると、たちまちそこは綺麗に完治した。
奴隷は驚いたように顔を上げて、不思議そうに僕を見てきた。
「足、あんなになる前に言えばよかったのに」
「……。わたしは、奴隷ですので…」
そんなに卑下しなくても。この奴隷は見た目に似合わず、ずいぶん控えめな男らしい。なんだか居心地が悪くなって、僕は自分の靴を脱いで彼の足元へ放った。
「それ…入る?」
大きめだから、きっと奴隷の足でも入ると思うのだが。僕の1.5倍くらい背が高い奴隷でも。
「………え、でもそれでは、あなたの靴が」
「僕なら問題ない」
ふわりと地面からつま先を離し、ふよふよ浮いて見せる。奴隷はしばらくあんぐり口を開けて、呆然と僕を見ていたが、遠慮がちに差し出された靴を受け取った。サイズは大丈夫だったみたいで、奴隷の足はすっぽり靴の中におさまった。
「魔術師様。わたしは…殺されるのでしょうか?」
縛られた手で器用にくるぶしの紐を引っ張りつつ、奴隷が聞いてくる。親切にしたつもりが、余計に警戒心を煽ってしまったらしい。かすかに声が震えてた。
「いいや、殺す目的で買ったわけじゃないよ」
真実はぼかして伝える。奴隷が靴をしっかり履けたことを確認して、僕たちはまた歩き出した。
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