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第1話
行きつけのゲイバーでバレンタインパーティーが催された。
いつもシックな店内が、ピンク色の照明と大小のハート型のバルーンで彩られ、華やかな雰囲気になっている。
ホールの中央にはチョコレートファウンテンが設置され、その前に立つウエイターが持つトレイには、チョコレートリキュールを使ったカクテル各種が。
告白したい者はチョコレートファウンテンの周囲に並べられたイチゴにチョコレートをかけ、相手のチョコレートカクテルに入れていいかを問う。問われた相手はOKならグラスを差し出してイチゴを受け取り、自分もチョコかけイチゴを相手のグラスに入れる。NOならグラスを引く決まりだ。
今日はバレンタイン。すでに恋人同士でも、常連の客に片思いをしている者でも、初来店で気になる相手を見つけた者でも、このバーの中でなら、誰でも誰かに大胆に愛の告白ができる、年に一度の「大告白パーティー」の日だ。
「また一組、カップルが成立しました! 皆さん拍手を!」
「おめでとう!」
「おめでとう!」
マスターのノリのいい声が響き、店内に拍手が起こる。カップルは手にしていたチョコかけイチゴ入りカクテルグラスに口を付け、中身を飲み干し、イチゴを食べた。今日はもう、これで五組目のカップル成立だ。店内の客たちのボルテージはますます上がっていく。
その中で一人、カウンターテーブルの端でうつむいた男がいた。だが男はすぐに顔を上げ、カップルになったばかりの一人に祝いを伝えに席を立った。
「おめでとう、よかったね」
「ああ、ありがとう! 梶山君が背中を押してくれたおかげだよ。こんなオジさんは若い子に相手にしてもらえないと悩んでいたけど、君の‘‘大丈夫‘‘の言葉で思いきることができた」
「役に立てて嬉しいよ。お幸せに。たまにはまたここで一緒に飲もう、と言いたいところだけど、恋人君に心配をかけないように、ここに来るときは二人でおいでよ?」
梶山が「恋人」と言ったことが嬉しかったのか、二人は笑顔で見つめ合った。
「いい人ですね、こちらの方」
「そうなんだ。彼のようないい友人がいて幸せだよ。……君との縁を繋いでくれたんだから」
二人はそのまま自分たちの世界に入り始めた。
梶山はもう一度「お幸せに」と声をかけ、そっと二人から離れる。
(いい人、いい友人か……あーあ、どうして背中を押しちゃったんだろうなぁ)
いや、背中を押したつもりはなかった。実のところ、イケオジ系とはいえまさか四十半ばの飲み友が、どう見ても二十代前半のかわいい系青年にOKされるとは思っていなかったのだ。
だから「君みたいな素敵なイケオジ、誰でもOKするに決まってるよ。ずっとそばで見ている人もいるくらいなんだから」と匂わせで言い、飲み友が振られたときには「俺がいるよ」とチョコかけイチゴを差し出すつもりだった。
「ハァ……」
席に戻った梶山は、人知れず深いため息を吐いた。
飲み友とは半年ほど前にこのバーで出会い、意気投合した。最後の恋にしたくて飲み友ポジションからゆっくりと距離を縮めてきたのに、彼は先日初来店したばかりのあの青年に一目惚れをしたのだ。
いつもこうだ。タイミングを熟考している間にいい人で終わる、いわゆる「脇役ポジション」の梶山には、特定の恋人がいたことはない。
(俺も来月には四十だ……。これと言って特徴のない地味顔だしスタイルも普通。こんな年増のネコ、もう誰も抱いてくれないかもしれない。俺はこのまま干からびていくのかな)
「隣、いいですか?」
「えっ」
二度目のため息を吐きかけると声をかけられた。
ガタイは良さそうなのに、背を丸めた臆病そうな田舎くさい若者が立っている。見た目も年下も好みではないが、声はなかなか深みがあっていい。今夜は話し相手が欲しいし、これも縁だろう。
「どうぞ、空いてますよ」
ひと回りは違うだろうから、大人っぽく紳士的に微笑んでみせる。
「ここは初めて?」
「ゲイバーも初めてです。緊張しましたが、一人でいらっしゃるあなたを見かけて思いきって声をかけました」
「そう。でも初めてがこんなオジサンじゃ申し訳ないな。フリーの若い子も多くいるからホールに出てみれば……」
梶山が店内を見回すと、若者は肩と顔を寄せてきた。
「どうして? あなたと話したいから声をかけたんです」
「へっ」
低い声で耳の中へ囁かれ、脊椎がゾクッと震えた。
「……さっき見てました。好きだったんでしょう?」
若者は、飲み友が告白前に飲んでいたウイスキーのグラスを指で弾き、フッと鼻で笑う。
「あの人はバカだね。俺ならあなたを選ぶのにな。……ま、選んでたらこうして話せなかったから、俺はラッキーですけどね」
梶山を見つめながら飲み友のグラスを手の甲で奥に払うと、新しくオーダーした酒を飲んで唇を舐めた。
肉厚で艶めかしい舌に、梶山はドキッとさせられてしまう。
黒縁の眼鏡をかけ、さらに瞳を隠すようなボサボサの前髪をしていて表情もよく見えないのに、舌だけでなく節のある指、筋張った手の甲から色気が滲み出ている気がする。
「と、年上をからかわないでくれ」
「ふふ、可愛いですね。顔が赤いのは酒のせいじゃないですよね。良かったらこの後、どうですか」
グラスを持っていた手に手を重ねられる。男らしいだけでなく張りがある瑞々しい手は、梶山の指の間に指を入れ、絡めてくる。
背中から抱きしめられる自分が頭に浮かび、梶山は腹の奥を疼かせてしまった。
(年下は初めてだけど、どうせワンナイトだろう。冒険してみようか)
今までのつまらない、「いい人」の自分から変わりたかった。それに、身体は若者を欲している。こんな脊椎反射のように欲情が湧くのは初めてだ。
遠慮がちではあったが梶山がうなずくと、若者は梶山の手を繋いでチョコレートファウンテンに誘った。
若者はウェイターからチョコレートカクテルをふたつ取り、梶山に渡すと、空いた手でイチゴにチョコをかけて差し出してくる。
この店では毎年バレンタインパーティーを開催するが、梶山がこの告白ジェスチャーを受けるのは初めてだ。
梶山はグラスを差し出し、イチゴを受け取り、自分も返した。
マスターと客たち、さっき失恋をした飲み友の祝いの声と拍手に包まれる。
カクテルとイチゴの甘さを味わったのち、梶山はふわふわした気持ちが冷めやらないまま若者とホテルへと向かった。
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