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第1話

 叔父は自宅で接骨院を営んでいて、1階が施術室、2階が住居になっていた。若い頃に柔道をやっていた叔父が開院したというこの接骨院は、叔父の明るく親しみやすい性格もあって、ご近所の老人や運動部所属のこどもに愛され、なかなか繁盛していた。  だが、その一人息子、つまり僕の従兄である(けん)は、見た目も細くて華奢な上に、内向的で運動嫌いという、叔父とは対照的な性格のこどもだった。一つ年下の僕から見ても、顕の引っ込み思案なところは度を過ぎていて、しばしば僕の神経を苛立たせた。 「顕。早くしないと、始まっちゃうよ!」 「待ってよ、寛人(ひろと)。」  こどもの頃の僕は、毎年夏休みになると、顕の家に1週間ほど滞在するのが恒例となっていた。最初の年のことはもう記憶にないけれど、小学校に上がった年に、顕の家の近くで開催される花火大会を見に来るついでに、泊まりに来ないかと、叔父に誘われたのがきっかけだったらしい。電車とバスを乗り継いで1時間半、小学生が1人で行く小旅行としては適度な距離感。僕はまんまとその提案を喜んで承諾した。従兄に会える喜びと言うよりは、そのちっぽけな冒険に心躍らせていたのだった。  僕たちの親は2人姉弟で、叔父にしてみれば、親しい友達のいない内向的な息子を不憫に思って、夏休みのひととき、年の近い従弟と遊んだ思い出だけでも作ってやりたかったのだと思う。  僕と2人きりの時なら、顕は比較的しゃべったけれども、それでも大人がいる場や慣れない環境にいる時に比べればということであり、やはりおとなしいには違いなかった。年下の生意気な従弟だった僕に、顕は辛抱強くつきあい、決して怒鳴ったりからかったりすることはなく、だから僕は、一緒にいておもしろい相手とは思わなかったものの、優しいお兄ちゃんという存在として顕のことは好きだった。  花火大会の日には、花火が見える川沿いに屋台がいくつも並んだ。僕はそこに行きたくて仕方なかったのだが、接骨院の営業時間が終わるのを待ってから連れて行ってもらおうすると、花火大会も終わりかけで、屋台も店じまいを始めてしまう。叔母も叔父の手伝いで受け付けや事務仕事をしていたから同じことだ。こどもだけで行くことは、川の事故の危険、スリや誘拐といった犯罪に巻き込まれる危険の両面から、禁止されていた。何より、わざわざそんな人混みに行かずとも、顕の自宅の2階から、遠目ではあるものの花火は見えるのだから、そこで見ればいいではないか、というのが叔父叔母の見解だった。  しかし、その後その一帯は再開発が進み、顕の家の周りには高層マンションがいくつか建ち、視界は遮られ、気が付けば花火は建物と建物の間に半分程度しか見えなくなってしまった。  顕が6年生、僕が5年生になった年のことだ。珍しく顕が自分から叔父に訴えた。いや、珍しいなんてものではない。初めてのことだった。 「せっかく寛人が花火を見に来てくれてるのに、半分しか見えないなんてかわいそうだ。それに、クラスに親同伴で花火大会に行く奴なんかいない。みんなこどもだけで見に行ってるって。寛人のことはちゃんと僕が面倒見るから、行かせてよ。」

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