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23 自立宣言
楽しい年末年始のイベントはあれよあれよという間に終わり、俺は再びバイトの日々に戻った。
これまでと違うのは、午前中に史也がいる時は、史也が隣に座って勉強を教えてくれるようになったことだ。
これがいい。とってもよかった。だって、普段食事の時はちゃぶ台に向かい合って座ってるのに、勉強の時は俺のすぐ左に座ってくれるんだから。
史也に対する恋心を自覚してから、俺には発作的に史也に触れたくて堪らなくなる瞬間が訪れるようになった。
例を挙げるとするなら、史也が照れて笑ったりとか、一緒にテレビを見ている時の横顔が真剣だったりとか、あとは寝ぼけ眼でおはようを言う時とかだ。まだまだこんなもんじゃないけど。
初詣の日の接触があまりにも多かったからか、俺の脳みそがバグったのかもしれない。どの瞬間の史也も可愛く思えて、見た瞬間、俺の中で好きが溢れて漏れそうになって、つい飛びつきたくるのを抑えるのがほぼ日課になっていた。
ちょっとヤバい自覚はある。これじゃ、マジで恋する乙女だ。乙女はそう簡単に飛びつかないかもしれないけど。
勿論、そんなのは駄目に決まってる。あれ以来、電車に乗って遠出はしていなかった。史也と大っぴらに手を繋いだり抱きついたりする口実を得られていなかったから、触れたい欲求が溜まり過ぎたのかもしれない。
でも、勉強がある日は、膝が触れる。床に付いた指先が触れることもあるし、史也は説明に夢中になると距離感がバグるから、肩がずっと触れ合っていてもきっと気付いてなんていないんだろう。
だから、俺も気付かないふりを続けた。触れたからって過剰反応して避けたりしたら、それこそまるで俺が意識してますって言ってるようなもんじゃないか。
この先も史也と出来るだけ長く過ごす為には、俺の気持ちは史也には絶対バレちゃいけなかった。だったら、「接触なんて気にする訳ないじゃん」作戦だ。ついでに触れ合ったままでいられるというメリットもあって、一石二鳥とはこのこと。使い方、合ってるよな?
すぐ隣にいる史也のちょっとアヒル口になったりする唇が動くのを見て、史也の息遣いを感じられる距離にいる自分を幸せだと思う。色んな事実に目を背けて逃げている俺だけど、でも史也と過ごす時間は幸せだと断言出来た。
ちょっと触れている膝を崩して、体重を史也の方に少しだけ乗せてみる。服越しに感じる史也の体温が温かいなと思うと、俺の足が冷たかったのか、史也は自分ごと迷彩のひざ掛けで俺を包んだ。俺と足を触れ合わせたまま。
そろっと史也を見ると、史也は照れくさそうに微笑み返してくれた。俺は慌てて教科書に目線を落とす。……怪しかったかな。
勿論、史也は週の半分は大学の講義があるからいないし、少しずつ就活セミナーの予定が入ってきたりもしている。なので、実際に教えてもらえるのは一週間の内平日は二日くらい、あとは土日の合計四日間だ。それでも、教える方はかなり大変だと思う。
まだ始まったばかりだけど、教えた後の史也を見ると、毎回くたびれた枯れ木感が否めなかった。
なんせ、生徒の呑み込みが悪いから。
「ヤバい……! 全っっ然覚えてないんだけど……!」
一応高校一年生の途中までは、決して成績は上位じゃなくても、とりあえず勉強はしていた。だからいくらなんでも冒頭部分くらいは余裕だろう、なんて斜に構えていた時期が俺にもあった。でもそれは、もう過去の話だ。俺、やっぱり馬鹿なのかもしれない。
「うーん。色んな教科を同じ日にやるより、一日一教科の方がいいかなあ」
「うん……ちょっとマジでついていけてない、俺……」
ちゃぶ台に額を付けると、史也が俺のサイドの髪を耳に掛けて、俺の目を覗き込んだ。
「ゆっくりやっていこうね。焦る必要なんてどこにもないし」
相変わらず優しい。だけど、俺はちょっと焦りを覚え始めていた。
顔を横に傾ける。頬をちゃぶ台に付いたまま、組んだ腕の上に顔を乗せている、至近距離で俺を覗き込んでいる史也を見上げる。
「元カノ……じゃないや、元セフレとの妊娠騒ぎの後にさ、家に戻っただろ?」
突然始まった俺の過去話に、史也が不審げに目をパチクリさせた。
「……うん。その話は勿論覚えてるけど」
「その時に父さんが言ってたことを、この間思い出したんだよね。ほら、高卒認定ってやつ」
史也の細い目が、ちょっとだけ見開かれた。茶色い瞳が、俺を見つめっ放しだ。もっと近くで見たいなあ。史也の唇って柔らかそう。
「今の俺ってさ、中卒だろ? 特技もないし」
「ちゃんと働いてるじゃないの」
史也がたしなめるように言ってくれたけど、問題はそこじゃなかった。
「この間、この先のことをふわっとだけど考えたんだよね」
「……うん」
「一生このままバイトだけで暮らしていけるのかな、俺」
「それは……っ」
史也の眉が、垂れ下がる。
――俺の為にそんな顔をしないでよ。
どうしても我慢できなくて、史也の黒髪に手を伸ばした。ポンと頭頂に手を置くと、思ったよりも固い髪質で意外に思う。
史也に笑いかけた。
「ニュースでもさ、非正規雇用は大変だーって言ってるじゃん。それ、俺も身に沁みて感じてるよ」
「……ん」
なでなですると、史也がふにゃりと微笑んだ。人のことばかり心配して、本当お人好しなんだからなあ。
「もし高卒認定が取れたら、就職先も広がるし、それにこれは父さんに言われたんだけど、手に職を付ける為に専門学校に行くにしても、高卒の資格が必要なんだって」
「そう……か。まあそうだよね……」
何故か史也はぺしょりとへこんでしまっているように見える。……なんで?
「だから、ちょっと頑張って目指してみようかな、と思い始めたところ。具体的に何をすればいいのかはこれから調べるんだけどさ」
史也は遮ることなく、俺の言葉を聞いてくれていた。ゆっくりと頭から手を離して、身体を起こす。
「史也も就職したら、地方に行っちゃうことだってあるかもしれないだろうしさ。その時まで何もしないでただジッと隠れてるだけなのは、もうお終いにしたいんだ」
それは、正真正銘、俺の自立宣言だった。
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