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32 束縛の心配

 もうすぐ二月。史也の家に転がり込んで、早いものでひと月半が経った。  時間を見つけて市役所に行ってみるから、陸は勉強を頑張って。  就職活動が本格化してきた史也にそんなことを言われて、史也にばっかり任せておくのもなあと思った。でも、俺がナイスアイデアだと思った自分の家がある駅での待ち伏せは、涼真と会う可能性もあるし、家に帰りたくない時につるんでいた奴らと会う可能性だってあると史也に指摘されてしまったのだ。  それに、継母や義妹だって利用することはあるだろう。そんな危険な場所に、陸をひとりでなんか絶対行かせられない。  まだ傷が残る俺の左手親指の第一関節を指の腹で撫でられながらそんなことを言われてしまっては、元々が駅の改札を潜ることすら恐怖を覚えている俺だ。ついホッとしてしまって、案の定それを史也に即座に見破られてしまった。 「陸がチャレンジしようって思う気持ちは大切だけど、焦る必要はないと思う。変に焦ってもっと怖くなっちゃったら元も子もないでしょ。だから、当面電車に乗る時は俺と一緒の時だけにしようよ、陸」 「……うん、ありがと史也」  史也の言葉を正面から受け止めて信じてみようと思った時から、俺は史也に対し感謝の言葉を言うことが増えた。今までは流していた数々の言葉も、これら全てに史也の優しい心遣いが含まれていたのかと思うと、俺はなんて酷い奴なんだと思ったんだ。  その償いじゃないけど、史也の中での俺の印象を挽回したい。だったら、俺も史也を見習ってちゃんと向き合うべきなんじゃないか。  何が正解かは俺は馬鹿だから分からないけど、ありがとうとごめんなさいはちゃんと伝えて損はないと思った。  案の定、史也は嬉しそうな照れ笑いを浮かべる。 「へへ、やだなあ。俺が心配性だからなんだけどね」  そして、急に声がでかくなった。 「あ! でも、前も言ったけどさ! 束縛がキツイと思ったらちゃんと言ってよ!」  出た。可笑しくなって、思わず吹き出す。 「だから何だよその束縛って。史也ってば変なの」  あははと笑うと、史也はえへへと頭を掻く。 「だって、陸に嫌われたくないもん」 「馬鹿、史也を嫌う訳ないだろ」  大して深く考えずに返事をした後、あれ、これって告白まがいになってないか? と一瞬ヒヤリとする。 「そう? えへ、嬉しいなあ」  史也はにこにことしているだけだ。よかった、何も不審がられてないみたいだ。  お互いに何となく微笑み合った後、史也が思い出した様にポンと手を打つ。なんだなんだ。 「そうだ! ヤバい、すっかり忘れてた!」 「え? なに?」  史也が、済まなそうに顔の前で手を合わせた。 「今日は午後ゼミなんだけど、ゼミの飲み会があるんだった……!」 「……あ、そうなの」  そっか。そりゃ学校に行っていれば、付き合いのひとつやふたつくらいあって当たり前だ。  正直言って寂しいのひと言だったけど、だからって史也に行くななんて言う権利は俺にはないから、笑顔を作って史也の肩をポンと叩く。 「たまには羽目外してきたら? いつも俺のバイトの送り迎えもしてるし、忙しかっただろ」 「陸、今日バイトは!?」  焦った様に言う史也が可愛くみえて仕方ない。笑いながら首を横に振った。 「今日はないよ。だから今日は午後も勉強しようって思ってたから、大丈夫」 「ご飯は!?」 「大丈夫だって。家にあるもんで済ませるから」 「でも……っ」  まさか、行かないでって言ってもらいたいのかな。そう思ってしまう程度には、史也はしつこかった。勘違いしそうになる。こういうところが史也の危なっかしいところなんだよなあ、なんて心配顔で俺を凝視している史也を見て思ってしまった。  実際、俺みたいな奴にすっかり惚れられてしまっている。これ、意外とあちこちに史也に惚れてる奴がいるんじゃないかって疑ってしまうくらいには、史也は本当にいい奴だから。 「あのさ、史也。俺の方が家事能力上だからな?」 「そ、そうだけど……」  先日俺がひとりで行動して帰ってこなかったことが、よほど堪えたのかな。それだけ心配してくれてるってことだと思うと嬉しくて転げ回りたくなるけど、今は我慢だ、我慢。  小指をスッと差し出した。 「じゃあ約束する。俺は史也が帰ってくるまで、今日は家から一歩も外に出ません」 「……! あ、その、ヤバいな俺、滅茶苦茶束縛野郎になってるじゃない……っ」  うつむき加減で、唇を口の中に全部収めた史也の顔。ああ、好き。この顔、本当に俺の大好物だ。  すっごいキスしたくなったけど、必死で欲求を抑えた。一瞬の油断で全ての信頼を失いかねない。 「だから束縛してないって。心配してくれてるの分かるから、嬉しいよ」  小指を出したまま、史也が動くのを待つ。ん? という目配せをして見せると、史也の細目が緩んだ。手がゆっくりと上げられて、俺の小指に俺のより太くて固めの小指が絡む。 「指切りげんまん、嘘ついたら針千本のーます! 指切った!」  リズムに乗せて歌い、手を上下に揺さぶった後、指を離そうとした。だけど、史也のもう片方の手が俺の手を包んでしまう。 「史也? ほら、離せって。指切らないと」 「陸、先に寝ていいからね」 「え? うん、布団敷いておいてやるよ」  史也が、細い目の奥にある瞳をまっすぐに俺に向けていて――眩しい。 「なるべく早く帰るから」 「ゆっくりしてきて大丈夫だって言ってんだろ。俺に遠慮しないでよ」 「……うん」  史也の手が、何だか寂しそうに離れていく。あれ、もしかして本当に早く帰ってきてとか言ってほしかったのかな。  そうは思っても、俺と史也はただの同居人。しかも俺は居候側だから、家主に向かってそんな我儘を言える訳もない。それに、ただの友人同士で寂しいとか早く帰ってきてとか、本当は言いたいのはやまやまだけど、言われた側は気持ち悪いって思うかもしれないと思うと、絶対にそんなこと言えやしない。  手を離した史也が、ボソボソと呟いた。 「……たまに連絡入れてもいい?」  よほど心配なんだろう。俺はニカッと笑って頷いてみせた。 「いいに決まってるだろ! 俺の携帯は史也からの着信専用だしな」  俺の返答に安心したのか、ようやく史也は安堵したような笑みを浮かべたのだった。

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