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35 泣きたくて堪らない

 その日から、史也は時折どこかへ行くようになった。  午前中に出掛ける場合は、お昼ごはんの時間までには帰ってくるし、小姑みたいで我ながらどうかと思うけど、服装とかが乱れたりしている様子もない。  首筋にキスマークが付いてたりしないかと思ってさり気なくチェックして、ないことに安堵する馬鹿な自分に凹んだ。  俺、完全に嫌な奴になってる。  史也は俺に甘々で、勘違いしそうになるくらい優しい。でもそもそもが俺の彼氏じゃないし、向こうにとって俺は、面倒をみないといけない可哀想な境遇の友人程度の認識な筈だ。  だから、史也が一体どんな奴と会って何をしているのかは知らないけど、俺が嫉妬していい理由にはならない。  だったら、こんな思いは封印しないと。  この家を出ていくその時まで、史也に俺の恋心を絶対に悟られちゃいけないんだから。バレたりしたら、史也に呆れられる。男に掘られて調教されたからって男好きになったのかって、思われたくない。  ――家にいて史也と過ごしているから、余計なことばかり考えてしまうんだ。  だったら、バイトの時間を増やそう。  そう思って、次のシフト提出の時、月曜から土曜日の午後シフトをびっしりと入れさせてもらった。  確定したシフト表を見て、史也が慌てて尋ねてくる。 「陸!? なんでこんなに!?」  これまでは、史也の都合が悪い日はシフトを外していた。突然何の相談もなしに増やしたから、驚いたらしい。過保護なおかんみたいだけど、――今はそれが辛い。  苦笑いしながら、頭を掻いた。 「史也も就活忙しそうだしさ、大学に行く日もあるだろ。だから全部合わせなくていいし、それに俺、もうちょっと稼ぎたいしと思って」 「でも……」  史也が何を心配しているかは分かってる。俺が涼真に会って連れ戻されないかってことだろう。  涼真とのセックス絡みについては史也には殆ど話したことはないけど、会話の節々に実は俺がおざなりな扱いを受けてたことは、史也も察していると思う。だからこそ、ここまで涼真を毛嫌いしているんだろう。純粋に嬉しいけど、その優しさのせいで勘違いしそうになる。  それに。  史也が俺を探してくれたあの日、俺は涼真に会ったことは電話越しにちゃんと伝えた。浮気相手の新しい奴と一緒にいたことも。  その後、史也が涼真について尋ねてくることはなかった。  あの時、史也はかなり焦っていた。だから、もしかしてちゃんと聞いてなかったんじゃないか。  そう思って、今度は面と向かって伝えることにした。 「この前、駅で涼真を見かけたって言っただろ」 「……うん」 「新しい恋人と歩いて、改札前でキスしてたよ。だからもう、大丈夫だよ」  それでも、史也は細目を垂らして心配そうに言う。 「でも……」  俺は、この心優しい友人をどれだけ悩ませてるんだろう。情けなくなって、思わず笑いを漏らしてしまった。 「平気だってば。厄介者が出て行ったってせいせいしてるくらいじゃないのか?」 「陸、そんな自分を貶める言い方……っ」  史也が眉を垂らしてくる。史也は俺が自分を卑下するようなことを言うと、すぐこういう反応をする。俺がプラスなことを言うと、笑顔になる。本当、いいヤツなんだよな。だから。  こんなこと、本当は言いたくない。でも言わないと、多分ずっと繰り返しだから。  顔を上げて、にっこり笑顔を史也に向けた。 「俺さ、今頑張ってるところだから、出来たらもう少し緩めてよ」 「陸……っ」  束縛がきつかったら言ってね、と言ったのは史也の方だ。だから、俺が史也の足を引っ張ってるから嫌だと思ってることは言わないで、史也の束縛がキツイんだと思わせればいい。  史也が、目線を床に落とした。 「そう……だよね、あはは……ごめん」 「送り迎えもいいよ、もう」  史也の負担になりたくないんだ。史也は最近、疲れ切ってる。なのに眠そうな顔で送り迎えをされると――心苦しい。  史也の時間を奪っているのは、俺だから。史也は俺以外の人と会いたいだろうに、俺を放っておけなくて、自分が言い出したことだから放り出せないでいるんだろうからさ。  でも。 「――それは駄目!」  細目を若干大きく開いて、史也が噛み付くような勢いで怒鳴った。声、でかいし。  いつになく怖い表情で、最低だって分かってるのに、取り繕うような笑みを浮かべた。機嫌直してよ、と涼真に言ってた時みたいに。俺が大嫌いな、俺だ。 「え、いや、でも、本当大丈夫だから。ねっ?」 「駄目! 駄目だから!」  必死な顔になって、俺の手を両手で包む。それを史也の胸に当てると、懇願された。 「お願いだから! お願い、頼むから……!」  こんなの、なんて答えたらいいんだよ。  言葉が出てこなくて、小さな溜息だけが出てきた。史也が少し傷ついた顔になったけど、俺はもう史也の負担になりたくないだけなのに。 「……分かった」 「よかった……!」  ホッとした表情の史也が俺の手を離して、頭を撫でる。  泣きたくて堪らなかった。

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