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36 好きになりたくなかった

 連日バイトに行くようになってから、史也と会う時間は確実に減ってきた。  午前中は大半は史也はいないし、俺は家でひとり家事と勉強。勉強に集中していれば、史也は今誰と会ってるんだろうとかいった余計な考えを避けておくことができた。  今日は就活でお昼は俺ひとりだから、さっと作ってお終いにする。朝洗っておいた皿を拭いて片付けた。史也が疲れて帰ってきても不快な思いにならないように、俺の痕跡を出来るだけ消していく作業だった。  勿論、史也のことだから、不快になんて思わないだろう。史也は束縛を緩めろなんて言った俺に対しても、変わらず優しい。おかんを通り越して、あれじゃ菩薩だ。男だけど。  俺が下敷き一枚程度だけど壁を作ったことには、もしかして気付いてないのかもしれない。それほどに、ここ最近の史也は多忙で疲れていた。  先に食べていいよって言っても、夜飯は俺のバイトの後一緒に食べようとする。バイト先まで俺を迎えにくるから、まだ風呂も入ってない。自然、寝る時間は遅くなる。  テレビを見たり携帯をいじったりしている史也を見ると、ウトウトしていたり、ぼんやりとしていることが確実に増えた。  史也を急かして風呂に入れてその間に布団を敷いておくと、風呂上がりにごめんって言われる。だから迎えに来なくていいって言ってんだろ、飯も先食べていいのにって言っても、急に頑固になって「嫌だ」しか言わなくなる史也。  俺が風呂に入っている間に、明かりが点けっ放しの状態で寝落ちしている、そんな日々だった。  布団を掛けないで寝ている史也の肩まで、布団を上げる。 「……負担だよなあ」  就職活動が忙しくて大変なのは当然あるだろうけど、休める時間を史也から奪っているのはどう考えたって俺だ。  ――好きなのに。好きになりたくなかったな。  史也の黒髪に、そっと手を触れてみる。時折俺が寝ている時に史也がやってくれたみたいに。せめて安らかな夢が見られますように、と。 「ぐす……っ」  雪のあの日、心に決めたのに。恋人なんていらないと。  なのに、こんなに欲しくなる。史也の心が自分だけのものにならないかって、馬鹿な夢をつい見そうになる。  心って、どうしたら殺せるのかな。  そんなことを考えながら、俺は惨めな涙を流し続けた。 ◇  世間は、もうすぐやってくるバレンタインで浮かれた雰囲気が漂っている。  昨年までは、涼真にチョコレートを用意して渡していた。コンビニで買ったやつだけど、値段だって別に安くはない。バレンタインの日はいつも涼真は仕事で、職場ではバレンタインイベントが開催されるから、帰宅する頃には疲れ切っている。それに沢山もらって帰ってくるから、紛れるのは嫌だ。だから、いつもあげるのは当日の昼、涼真が起きた時だった。  起きてきて欠伸をしている涼真の元に駆け寄って、チョコを渡す。これまで二回渡したけど、毎回「これどんなやつ?」が第一声だった。その場で包装を開けて、破かれた包装紙を俺に手渡すまでがセット。ぱくりと食べて、「お前も食う?」なんて笑顔で言われて、分けてもらった。でも、涼真は「ありがとう」なんて一度も言ったことはなかったかもしれない。  裸エプロンとか自分にリボン付けて私を食べてとかねえのかよと言われて「恥ずかしいじゃん」って答えると、「じゃあ許してやるからしゃぶれよ」と言ってその場で頭を押さえつけられて、喉の奥まで勃起した雄を突っ込まれた。口の中に残ったチョコの味と涼真の男臭い液体の味が混ざって、何ともいえない不味さだった。  来年は液体のチョコ用意しろよ。お前をデコったら面白くね? と言われて、ああ、来年も俺といてくれるつもりなんだな、とホッとした記憶が蘇る。  ――その日は、あと数日に迫っている。  コンビニの店内に流れる、恋愛ソング。特設コーナーに並んだチョコレートの数々を眺めていると、そんな些細な言葉に縋り付いていた昨年の自分が馬鹿すぎて、嫌になってきた。  ふう、と店の外に視線を向ける。冬の日は短い。濃い青が増えてきて、遠くを見通せなくなってくる時間になっていた。  今日は史也は書類選考が通って、緊張の面接の日。「これから面接、緊張する」なんて可愛らしいメッセージが届いたから、「史也なら出来る! 大丈夫!」と励ました。ありがとうのスタンプが来てから以降は、音沙汰なし。まだ帰宅途中なのかもしれない。結果はその日になんて出ないそうだから、しばらくはドキドキの毎日が続くんだろう。  緊張している史也の顔を想像する。唇を口の中に全部仕舞ったあの顔を今日も面接官の前でしたのかな、なんて思って可笑しくなった。  今日一緒のシフトに入っているのは、井上さんだ。井上さんは役者をしているからなのか、元来がそういう性格なのか、お客さんにも物怖じせずにガンガン話しかける。顔がいいのもあるのか、お客さんの反応もよくて、レジに並ぶ顔見知りと日常会話なんてしょっちゅうだ。今も、毎日通ってはおでんを買ってくれるお婆ちゃんと楽しそうに話している。  そうなると、必然的にたまたまやってきたお客さんは俺のレジに並ぶ。  お金を受け取り、袋の取っ手口を向けて、「ありがとうございました」と言うと、お客さんは無言のまま袋を掴んで立ち去った。まあ、俺の場合はこれでいい。下手に仲良くなったりしても、ちゃんとした会話なんてできそうにないし。  列になっていたお客さんがはけた。お婆ちゃんはまだ楽しそうに話している。井上さんもよく飽きないなあなんて思って以前聞いたら、「仕草とか話し方とか、芝居の参考になるしな」と言われたことがあった。演技に関しては、井上さんはすこぶる真面目な人なのだ。あと、「おうちでひとりみたいだしさ」と付け加えたので、こういうところがこの人がモテるポイントなんだろうなあ、なんて思った。 「じゃあ俺、棚のチェックしてきますね」 「ん、よろしくー」  レジ横を通り抜け、店内へと向かう。乱雑になった品を揃え直したり、足りなくなった商品は足したりと、やることは多い。とりあえず雑誌がぐちゃぐちゃになっているので直そうと思い、ラックの前にしゃがみこんだ。  ふ、と影が俺の横に座ったのが視界の端に映る。  ん? と思い振り向くと。  俺の横に並んでしゃがんでいたのは、涼真だった。

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