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39 悔しくて悲しくて

 コンビニの眩しい明かりが遠のいていき、シャッターが閉まった店舗と住宅が並ぶ通りを進む。  街灯の明かりしか道を照らしてくれるものはなくて、これなら繋がれている手を通行人に「うわっ」て思われないでいられるかな、と期待した。  無言で右手を引かれて歩いていると、ひょっとして史也も俺と同じ気持ちでいてくれるんじゃないか、と勘違いしてしまいそうになる。  好き。たった二文字の言葉を伝えたら崩れてしまう関係だなんて、この姿を傍から見ていたら思わないだろう。  ――史也の距離感は近過ぎるんだよ。  唇を噛んで俯いた。涙は溢れることはないけど、俺の視界をぼやけさせる程度には留まっていて、今は見られたくない。だから自分からは声を掛けなかった。史也ならきっと、振り返ってしまうだろうから。  すると。 「わぷっ」  突然史也が立ち止まり、俺の手を握っていた指に痛いくらいに力を込めて、史也の背中に引き寄せた。  全く予期してなかった俺は、鼻の頭を思い切り史也の背中にぶつけてしまう。 「ど、どうしたの?」  イテテ、と鼻を押さえて史也を見上げても、史也は俺を見ようとはしなかった。前方をジッと見据えたまま、動こうとしない。……なに、どうしたんだよ、本当。 「史也?」 「シッ」  腕で俺をグイグイ押す。前を覗き込もうとしていた俺を、背中側に押し戻そうとしているらしい。よく分かんないよ。何か説明してくれよって思うけど、史也は俺を押すばかりで何も言ってくれない。  ――これ、まさか俺を隠そうとしてる?  そう気付いた瞬間。  俺からは見えない前方から、聞き慣れた男の声が聞こえてきた。 「こんばんはー。細木くんだっけ?」  小馬鹿にした口調からは、自分に自信があるのが透けて見える。 「後ろに隠してるもの、見せてよ」 「……何も隠してない」 「みえみえな嘘吐くなよ」  声が近付いてきた。史也の左肩を掴んだ指には、ゴツい指輪がハマっている。  ――ああ。  凍りつくって、こういうことを言うんだろう。それまで史也のことしか考えていなかった俺の思考は、一瞬で止まってしまった。  聞こえてくるのは、自分の心の焦り声だけだ。どうしよう、涼真が嫌がらせしてきたら、史也だっていい加減俺のことを面倒に思っちゃかもしれない。そんな自分勝手なことばかり。  まだ一緒にいたいのに。  だけど、この間考えたことがぽこんと飛び出てきた。  もしかしなくても俺、史也に無駄な時間を使わせてるんじゃないか。史也が好きな相手に割きたいだろう時間を奪ってるのは、俺が自分じゃ何もできない情けない奴だからじゃないか。  それなのに、俺はまだ史也に甘えて、今も関係ないいざこざに史也を巻き込んで。  肩に乗せられた涼真の手首を掴んで、引き剥がそうとしている史也。その史也の肩から、涼真が顔を覗かせた。俺と目が合うと、鋭い目つきでニヤリと笑う。 「陸、なんで隠れてんだよ」 「涼真……」  心臓がバクバクし始める。  涼真の手首を捻ろうとしてるけど、涼真の力が強くて敵わない。ギリ、と奥歯を鳴らした史也が、唸った。 「やっぱりあんたが涼真か……!」 「そうだよ、嘘つき野郎」  史也と涼真の背は同じくらい高いけど、史也の方が見た目はひょろい。力比べだと、涼真が勝っちゃうんじゃないか。  俺はハッとする。就職活動の大事な時期に、万が一顔を殴られたりして痣なんか作ってしまったら、取り返しのつかないことになるんじゃないか。  史也の肩をギュッと掴んだ涼真の手の甲に、手を重ねる。繋がれていない左手を。 「陸っ」  史也の焦り顔と、涼真の喜色が浮かんだ顔が対照的だった。  史也の肩越しから、涼真に懇願する。 「涼真! 史也を離して……っ」  想像していた以上に、弱々しい声が出た。  涼真は俺の左手親指を見て、口を歪ませる。ギロリと史也を睨むと、馬鹿にしたように笑った。 「あんたさ、もうこいつと寝たんだろ?」  何言ってんの。突然何言い出したんだよ。驚きのあまり、俺の口から声が出てこない。史也も同様なのか、ギリ、と奥歯を鳴らしただけで何も答えなかった。  それを肯定と捉えたのか、涼真が眉間に皺を寄せて睨みつけながら、何故か口元だけ笑う。 「どっちが誘った? やっぱり陸からか?」 「涼真! 違……っ」  ようやく声が出たのに、涼真は聞いちゃくれなかった。 「こいつさ、相手の顔色見てご機嫌取りに抱かれようってするだろ? 俺がそうやって仕込んだからさあ。自分で準備して跨ってくれるから、ヤる方は楽だよなあ」 「涼真! 違うから! 何もない! 本当なんだ、信じて!」  必死で引き剥がそうとしても、涼真の爪はどんどん史也の肩に食い込んでいく。何でこんなことするんだよ、最初に俺を裏切ったのはそっちなのに!  涼真が、凄みを利かせた男臭い端正な顔を史也に近付けた。お互いの鼻が付きそうなくらい近くに。 「こいつの親指の付け根、傷だらけだろ。女みたいな声出したくないって毎回噛んでさ。お前の時も、声出したがらなかった?」 「……黙れ」  ずっと黙り込んでいた史也が、聞いたこともない低い声を出した。駄目だよ、喧嘩を買っちゃ駄目だ。涼真の目的は嫌がらせなんだから――! 「涼真! 俺と史也はそんなんじゃないんだ!」  繋がれた史也の手を引っ張りながら、史也の肩に乗った涼真の手も剥がそうと引っ張る。でも、二人ともびくともしない。 「ん? マジでシてないのか?」  涼真の表情が、少しだけ和らいだ。 「陸! 喋らなくていい! こんな奴……!」  史也が止めたけど、俺は必死だった。涙がとうとう溢れたのに気付く。でも、拭う手が余っていない。 「本当だよ! 史也はそんなんじゃなくて、ただ困ってた俺を家に泊めてくれただけなんだよ! 俺のこと、そんな目で見てないから!」  涼真の顔に、どんどん笑みが広がる。 「え? まさかお前、家賃代わりにこいつの上に乗らなかったのか?」  俺は噛み付くように怒鳴った。 「乗らないよ! 史也は俺のことを好きになったりなんかしないから!」     叫んでいて、情けなくなってきた。好きな相手に全く意識すらされてない自分を、何だって大声で主張しないといけないんだよ。  悔しくて悲しくて、涙がどんどん出てくる。  そんな俺を凝視していた涼真が、何故かホッとしたように肩の力を抜いた。

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