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42 ヒョロい細目の俺のヒーロー
史也の首に抱きついた俺を、史也は更に力を込めて抱き締めた。
「よくない! 俺は怒ってるんだよ! 陸ばっかり我慢させられて、苦しんで! そんな奴のところになんか、絶対返さない!」
「うん、分かった、分かったよ、伝わったから……! ありがと、史也……っ!」
うああ、と泣きじゃくると、史也がヒュッと息を呑んだ。「う」とか「あ、その」とかまごまご言っているけど、突然どうしたんだろう。
そして、今更なことを言ってきた。
「あ、あの、俺……! その、そう、好き、です!」
言われた瞬間、俺は思わず泣き笑いしてしまった。あは、史也ってば、やっぱり史也だ。他人の為に怒れる、優しい人。俺のことを守ろうとしてくれて、自分の告白の返事を後回しにしちゃうような、そんな人。
嬉し涙って、本当に存在したんだ。俺、そんな感情が俺の中にあるなんて知らなかった。そんなものが俺に訪れることなんて、絶対ないと思ってた。
「うん……っ!」
絶対に言うことはないと思っていた単語が、俺の口から飛び出す。
「俺も……好き、史也――」
「……! え、あ、ほ、本当!? ……え!? 夢じゃない!?」
「ぐす……っあはは、うん、好き。好き、史也、大好き!」
「や…………ったあ……っ!」
俺を抱えたままの史也が、嬉しそうに俺を見上げた。顔が真っ赤になっていて、可愛いんだけど。
「……アイツのところ、戻らないでいてくれる?」
「うん」
「俺の恋人になってくれる?」
「うん」
「……うはっ」
ぎゅ、と俺の胸に頬を押し付ける史也が可愛くて、俺は史也の頭を腕に抱くと、額にチュ、と小さなキスを落とした。史也の顔が、照れくさそうに緩む。
俺を全力で守ろうとしてくれる、ヒョロい細目の俺のヒーローが、俺を眩しそうに見つめ続けていた。
「……史也、ちょっと下ろしてくれる? 涼真に言いたいことがあるんだ」
「……うん、分かった」
史也がそっと地面に下ろしてくれたので、鼻血が止まらないらしくて鼻を押さえたままの涼真に向き直った。
ポケットからミニタオルを取り出すと、涼真に差し出す。
「涼真、これあげる。返さなくていいから」
涼真の眉が、怒ってるのか何なのか分からない形に歪んだ。それでも、手を伸ばすとミニタオルを受け取り、鼻に押し当てる。手のひらには血が溜まっていて、それがアスファルトにボタリと落ちた。
「涼真」
「……んだよ」
機嫌が悪い。でももう俺はビビらない。顔色なんて窺わない。
「涼真、俺のこと、ちょっとは好きだった?」
「……可愛いって言っただろ」
喉に血が入り込むのか、時折咳き込みながらも答えてくれた。こうやって聞けば、何か変わったんだろうか。でも、もう全て過ぎたことだ。
「可愛いじゃ分かんないよ。涼真は一度だって好きって言葉を言ってくれなくてさ。俺、ずっと好かれたくて必死だった」
顔を上げて、まっすぐに涼真を見据える。涼真の目が少し潤んでいるように見えるのは――気のせいだってことにしておこう。
「俺を拾って養ってくれたのは、本当に感謝してる」
「……別にそういうつもりだったんじゃねえよ。俺は……」
「三年間、ありがとう」
三年の間、嫌なことばかりじゃなかった。楽しいことだって、沢山あった。それこそ最初の頃の涼真はずっと優しくて、俺がパニックになって暴れても泣いても、キスして抱いて傍にいてくれていた。
そんな大事なことも、最近の俺は忘れていた。それは多分、涼真も。
抱き潰されると俺が眠ったからなのかな。あれは、涼真なりに俺を何とかしようとしてくれてたことだったのかな。
でももう、いくら過去を振り返っても元の二人には戻れない。
「陸……」
血に染まった涼真の手が、俺に伸ばされる。でも、俺が微笑むとその手は足許に向かっていった。
「……んだよ、その顔」
はあー、と大げさな溜息を吐く。
「俺はさ、おどおどして可愛く頼ってくる陸が良かったんだよ。庇護欲誘うっていうかさ」
「……うん」
「バイト始めてさ、段々俺以外の奴も平気になってきてさ」
悔しそうに目を伏せる。
「これまでは、俺だけしか見てなかった筈なのに」
――ああ。これが涼真の本音だったんだ。そうか、そういうことだったんだ、とようやく腑に落ちた。
「俺と離れたら、もっと自信ついちゃって、何だよ……俺がいないと何もできなかった癖にさ」
「……うん」
涙が滲んでくる。ようやく涼真の心に触れることができた、そんな涙だった。
「……俺の可愛かった陸は、もういねえな」
「――うん。ごめんね、涼真」
涼真が、溜まった血混じりの唾を地面に向かって吐いた。悲しいのか腹立たしいのか、涼真の目からは判別できない。
だけど、嫌われてなかった事実を知ることができて、これまでずっと悶々としていた気持ちが少しずつ晴れていくのが分かった。
「さよなら、涼真」
俺の言葉に、涼真は弾かれたように顔を上げる。
暫く俺を見て止まっていたけど、やがてゆっくりと背を向け始めた。
「……じゃあな」
完全に背を向けた涼真は、項垂れたまま、一度も振り返ることなく、夜の住宅街へと消えていったのだった。
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