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番外編5 置いていかないで

 稔を家に入れると、突然稔が抱きついてきた。 「ねえ、お願い。涼真さんに恋人がいるのは分かってる」  稔はしゃがむと、人のジーンズから俺のモノを取り出して口に咥える。さすがに驚いた。 「お、おい」  昨日、陸のことは抱いたばかりだった。激しくし過ぎると次の日起きるのが辛そうになるから、誕生日も近いしと思ってあっさりめに終わらせた。「足りない」って言ってくれるのをどこか期待しながらさ。  でも、陸はそのまま寝てしまった。  不完全燃焼。俺はその状態で今日陸を送り出していたんだ。 「えへ、嬉しいな」 「……っ」  俺の中心はすぐに臨戦態勢に入ってしまい、目の前にいるのは陸じゃねえのにムラムラしてくる。  ふと、陸なら俺が何をしても許してくるんじゃねえかって思っちまった。  陸は俺の見た目で寄ってきた訳じゃない。俺っていう存在全てを必要としてるから、俺が他に行く素振りを見せたら、今度こそなりふり構わず俺にくっついて離れなくなるんじゃねえか――。  不安はあった。だけど、既に勃っているソコと、陸と俺の関係の主導権は俺が持ってる筈だっていう変な自信が、俺に誤った判断をさせた。  ――だから。   「嘘だろ……だって陸が、陸が出ていく筈が……」  俺が腰を振って稔で性欲処理をしているのを見た陸は、その場で俺を見限った。陸があっさりと出ていった後、俺は立ち上がることができなくなってしまっていた。  信じられなかった。だって、陸は、陸は俺しか……!  まだ裸で座り込んでいる俺の横で、服を着た稔が謝ってくる。 「……なんか、ごめんね? 一回寝て吹っ切るつもりだったから、まさかこんな展開になるなんて」 「は……?」  何言ってんだこいつって思った。稔は両手を顔の前で合わせてひたすら謝り続けた。 「本当ごめん! いや、あわよくばっていうのはあったけど、涼真さんが僕に興味ないのは最初から分かってたし」 「……んだよそれ……どうすんだよ、どこに行ったんだよ陸……」  呆然とする俺に、稔が申し訳なさそうな表情になる。 「……あの子のこと、そんなに好きだったんだ?」 「好き……?」  稔が怪訝そうに顔を顰めた。 「好きってなんだよ。俺のこれは、そんな軽いもんじゃねえ。陸は俺の全部だったんだよ……」 「え、まさか一度も好きって言ってあげてなかったの?」 「だって、陸はそんな簡単な存在じゃねえし……」 「……あー、うん。大分拗らせちゃってる感じだね」  ガシガシと頭を掻く稔を見ても、何も感じなかった。さっきまで抱いている時も、陸を重ねて抱いていた。陸がこれぐらい喘いだら可愛いのにって。 「俺、陸探してくる……」 「え、ちょっと」  フラッと立ち上がると、テーブルの上にコンビニで買ったっぽいケーキが置いてあることに気付く。陸が買ってきたんだ。日付を超えたら陸の誕生日だったのに、俺は何をやっちまったんだよ。 「ちょ、鍵とか分かんないよっ」  後ろで稔が何やら騒いでいるが、俺の耳には届かなかった。  夜の間、ずっと街中を探し回った。でも、陸の姿はどこにも見当たらなかった。やっぱり携帯を持たせるべきだった。後悔しても、もう遅い。  クタクタになり、絶望感に襲われながら家に戻る。  テーブルの上のケーキは、まだ置きっ放しになっていた。 「陸……」  滲む視界の中、ひとりで二人分のケーキを食べ、プラスチックケースをゴミ箱に投げ入れる。  人んちのソファーで丸くなって寝ている稔を見て苛ついたが、放っておくことにして、ベッドにダイブした。 ◇ 「ゴミ、一杯だったから捨てておいたよ」 「……お前、いつ出ていくんだよ」 「涼真さんが死人みたいな顔してるから、死なないって分かったらかな」  あれから二日。稔は何故か俺が死ぬんじゃないかと疑い、うちにいついてしまった。 「涼真さんが探しに行ったり仕事に行ってる間にあの子が戻ってくるかもじゃん。僕、謝りたいし」  一応罪悪感はあるらしい。  昨日は仕事があって、探す時間が取れなかった。今日は仕事前に探しに出ようと考え、陸が行く場所なんてたかが知れてるじゃないか、とようやく少し冷静になってきた頭で思いつく。  バイト先のコンビニだ。そこ以外、陸が行ける場所はない。  俺は陸に頼られたくて、余計な詮索をしてると思われたくなかった。それが今、思い切り裏目に出てしまっていた。バイト先がどこのコンビニかすら、分かってなかったんだ。  渋々それを稔に話すと、「コンビニ? あ、じゃあ、あのケーキってもしかしてそこで買ったんじゃない?」と言われる。バーコードラベルに店舗名の記載がある筈と言われて、慌ててマンションのごみ置き場に駆け込んだ。  ゴミは収集され、燃えるゴミは綺麗になくなっていた。  稔が落ち込む。 「ご、ごめん……っ、まさかそんなことだとは思ってもなくて」 「……全部回る。この街のどこかであることは確かだから」 「涼真さん……」  それから、俺のコンビニめぐりが始まった。歩ける範囲内だけでも、恐ろしい数のコンビニがあることが分かった。  仕事の合間に探して、何故かまだうちにいる稔が家事を買って出ていたから完全に任せて、ひたすら探して。  元日に、店の奴らと「こんな場合じゃないのに」と思いながら訪れた神社で、一瞬陸の姿を見た気がした。大声で名前を呼ぶも、すぐに姿は人混みに紛れて見えなくなる。  拳を握り締めると、伸びてしまった爪が食い込んだ。 「一緒にいたあの男……!」  どこのコンビニだったかは忘れたが、細目で長身の男がいた記憶。確かにさっき陸らしき人物と一緒にいた男は、そいつだった。  一度行ったコンビニをもう一度あたろう。  今度こそ逃すもんか、と俺は決意を新たにした。 ◇  陸には会えた。  元気そうな様子で、俺と離れてやつれてるんじゃないかっていう期待は霧散する。  もっと話したかったけど、ちっこいけど元気な男の店員に警察を呼ぶと脅されたので、その場は一旦立ち去る。だけど俺はもう、陸を見失う訳にはいかなかった。  今日は素直に帰って来ないとしても、一体どこで寝泊まりとしているのかだけでもはっきりさせておく必要がある。だから俺は待った。  そして案の定、陸を迎えに来たのは例の細目のヒョロい男だった。やっぱりアイツだった。  素直に謝ればよかったのかもしれない。だけど、陸が俺を見た瞬間あまりにも警戒するもんだから、折角懐いていた野良猫がまたそっぽを向いちまったって腹が立った。それにさ、一緒にいる男はなんだよ。俺の方が万倍いい男じゃねえか。  陸は、駅の改札前で稔が俺に不意打ちのキスをしてきた場面を見ていた。仕事に行かず陸を探しに出ようとする俺を駅まで引っ張って行った稔に、「屈んで」と言われて屈んだ一瞬の隙にされたアレを。  稔曰く「あまりにも寂しそうで、つい」だそうだ。なんだよそれって思っただけの、俺にとっちゃどうでもいい出来事だった筈なのに、なんでそんな時ばかり見られるんだよ。  何もかもにも苛ついて、アレは俺がやったんじゃねえという言い訳の代わりに、 家が汚いから戻ってこい、なんて酷い言葉を投げつけてしまった。  さすがにこれはない。俺でも分かる。でも、陸なら俺を心配して戻って来るんじゃないか、それに稔がまたうちにいて困ってるって言えば、今度こそ対抗心を燃やして俺にくっついて離れなくなるんじゃないか――。  そんな目論見は、あっさりと打ち砕かれた。  陸は俺のだ。こんな奴に盗られて堪るもんかと思って、脅しもした。脅しに屈する程度の奴なら、陸も幻滅するんじゃないかと思って。  でも、奴は怯まなかった。俺に頭突きを食らわせ、陸を持ち上げ、あまつさえ大声で堂々と陸に告白し。  陸がそれに嬉しそうに応えた時、俺の中に今度こそ塞ぐことができなさそうな巨大な穴が空いたのが分かった。 「……俺の可愛かった陸は、もういねえな」 「――うん。ごめんね、涼真」  晴れ晴れとした陸の笑顔を見て、陸の幸せそうな笑顔なんてもう長いこと見てなかったな、と今更ながらに気付く。陸を苦しませてでも自分の手元に置こうと行動した結果が、これだ。  ――ああ、俺の方がずっと深く陸に依存してたんじゃねえか、と悟った瞬間だった。  幸せそうな陸の隣にいていいのは、陸を不幸にする俺じゃなかったんだ。  どいつもこいつも、俺を置いていく。そして俺はまたひとりになるんだ――。  これ以上見ていられなくて、背中を向けて立ち去った。後から後から涙が溢れて、胸も呼吸も苦しくて辛くて仕方ない。  嗚咽を繰り返しながら、自宅へと戻った。 「おかえり、どうだった――えっ!?」  驚き顔で駆け寄る稔。俺の二の腕に触れた手がびっくりするほど温かくて、俺はぐちゃぐちゃになった頭で泣きながら抱えていたものを吐露し始めてしまったんだ。    弱い俺は恥ずかしい。だから弟にも陸にも誰にだって見せないようにしていたのに、今度ばかりは抑えられなかった。  だけどこいつは、俺のことを恥ずかしそうに見なかった。まるで俺が子供であるみたいに背中をさすり続けてくれたから、溜め込み続けた言葉は止まることを知らず。  鼻水を啜っているとまた鼻血が出てきて、稔がそれを押さえて止めて。  明け方近くになり、ようやく全部を吐き出した俺の背中を撫で続けた稔は、ひと言、「馬鹿だなあ」と言った。 「んだよ、それ……ズッ」 「言葉でちゃんと言わないと、人は自分じゃないんだから伝わらないよ?」  垂れてくる涙をティッシュで拭われながら、稔を睨む。 「……言ったって、どうせみんな離れてく」 「そんなことないよ。現にほら、僕はめんどくさーい拗らせた涼真さんの話を何時間も聞いてこうして今もいるでしょ?」  ず、ず、と鼻水を啜った。 「……んなの、どうせお前も俺の顔目当てで来てただけだろ」  と、何故か稔が笑う。 「正直、顔はタイプではないかな」 「……は?」 「僕が涼真さんのことが気になったのは、涼真さんがいっつもなんか今にも泣きそうな子供みたいに見えて、放っておけなかっただけ」  何故か泣きそうな顔で微笑む稔。 「……おい、タイプじゃないって酷くねえか。そんでこんだけ掻き回して、俺の陸が、陸が俺の腕の中から……」  再び涙が溢れ出すと、稔が俺の背中をポン、と少し強めに叩いた。   「悪かったって反省してる。本当ごめんね。でもさ、涼真さん、ようやくちゃんと心の中に抱えてたことを言えたじゃん。偉いと思うよ」 「てめえ……」  何様のつもりだ、と睨んではみたけど、涙が溢れただけで迫力もクソもねえ。 「だからご褒美とお詫びに、少なくとも涼真さんの悲しみが癒えるまでは僕が隣にいるよ」 「……どうせお前も俺を置いていくだろ」 「置いていかないって約束する」  どうだか。そんなこと言って、こいつも結局は俺を置いていつかいなくなるんだろ。  でも、だけどさ。  ……初めて約束された。  え、まじで? とつい思ってしまったのは、仕方ない……と思う。 「……一生悲しんでるかもしれねえぞ」 「なら一生隣にいるよ。やっぱりさ、涼真さんのこと、放っておけないから」  何故か涙目で微笑んでいる稔を見て、再び涙が溢れてきた。 「……んだよ、それ……」  同情でもいい。面倒くせえ俺のことを分かった上で、それでも居てくれるなら――。 「……俺は重いぞ」  俺の返事に、稔は「うん、よく知ってる」と泣き笑いで答えた。 ー番外編・完ー

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