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第6話 デートの約束

 まっすぐに見つめ返されると、少しばかり照れくさくなる。そわそわとした気持ちになりながら、雄史は心を落ち着けるように小さく咳払いをした。  言葉を待っているのであろう志織は、そんな様子に小さく首を傾げる。 「志織さん、もしかして一人っ子?」 「え? ああ、そうだけど?」 「一人だけだと、親からの期待も集中するのかなって」 「ああ、それは多少あるな。雄史は?」 「俺は歳の離れた妹と弟が。高校生と中学生です。下の妹が生まれるまではプロ野球選手になりたかった父が、俺にプロを目指せって強く言ってたんですけど。じいちゃんが自分の夢を他人に押しつけるなって、怒ってくれて。それからは平々凡々に暮らしてます」  小学生の頃はろくに友達と遊ぶこともできなくて、泣きながら野球の練習をしていた。あのまま続けていたら、やさぐれていたのではないかと思うほどだ。  それでも幸い、いまも好きなスポーツであり、身体を動かしたりするのも好きだ。雄史が毎日、身体を鍛えるのを欠かさないのはここから来ている。  だが少し体育会系になりすぎて、細やかさが足りないと言われもする。 「おじいさんはいい人だな」 「はい、とってもまっすぐな人で。でもつい最近、亡くなっちゃったんです。人がいなくなる時ってあっという間ですよね」 「そうか、それは残念だ」 「最後まで大丈夫、大丈夫って。……あっ、ごめんなさい。暗い話をするつもりじゃなかったんですけど。そうだ、今日のデザートはなんですか?」  静かに自分を見つめる視線に気づいて、雄史は慌てて声のトーンを上げる。幼い頃からおじいちゃん子であったから、思い出して少し気分が落ち込みかけていた。  暗い雰囲気を払拭するために、努めて笑みを浮かべると、察した志織はやんわりと目を細めて、こちら側へ手を伸ばしてくる。  ふわふわとした、赤茶色のくせ毛に触れてきたその手に、胸の音が大きく跳ね上がった。 「えっ、あ、あの」 「うん、今日はマフィンだ。フルーツとプレーンのやつ」  ひとしきり頭を撫でると、なにごともない様子で大きな手は離れていく。しかしぬくもりがまだそこに残っているような気がして、雄史はひどく気持ちが落ち着かなくなった。  思わず指先で髪の毛を摘まめば、視線を和らげた志織が優しく微笑んだ。その笑みに気づくと、今度はカッと火を付けたように頬が熱くなる。 「えっと、ハンバーグ、おいしいです」 「うん」  とっさに視線を落とした雄史は、黙々とハンバーグを口に運ぶ。すると彼は急に黙り込んだその態度を咎めることなく、コーヒーを淹れる準備を始めた。  挙動不審さを咎めない気遣いにほっとする。気持ちを落ち着けて、目の前のご馳走を味わうように食べると、胸の奥がほんわりと温かくなった。 「なんだか、ここに来るといつも根っこが生えちゃいます」  のんびりと食事を終え、食後のデザートを前にする頃には閉店間近だ。気づけば店内にいる客は雄史一人になっていた。  普段であればわりとこの時間まで人がいるのに珍しい。  そして会うたび雄史に歓迎しない顔を見せるにゃむは、ひと気が少なくなったのを見計らって二階から下りてきた。  散々みゃーみゃーと文句を言われて、威嚇するように唸られたけれど、寝顔は天使だ。  雄史がなかなか立ち去らないので諦めたのだろう。いまはカウンターの端にあるベッドでごろ寝をしている。  そんなにゃむと後片付けする志織の姿を見ながら、雄史はフルーツマフィンと素朴なプレーンのマフィンに舌鼓を打つ。  リンゴの蜂蜜漬けのほうは丁度良い酸味と甘みがあり、特にデザート感がたっぷりで食べ応えがある。  それでも満足感のわりに大きさは小ぶりで、ハンバーグで満たした腹にもあっさりと収まった。ひと息つくようにコーヒーを飲めば、すっきりとした酸味が口の中に広がる。  今日はフルーツに合わせたシナモンローストのキリマンジャロ。リンゴの酸味と相性がいい。 「雄史の家はどの辺だ?」 「ああ、俺はここから電車一本で五つ先の駅、自宅までは最寄りから五分ちょっとです」 「いま駅前開発しているところか」 「はい」  このカフェの最寄り駅から下りは四つ先までしかないので、自然と雄史の行き先は上り電車になる。すぐにそれに気づいたのだろう志織は、言葉にしなくとも駅がわかったようだった。 「会社はここの隣だったよな? 近くていいな」 「そうなんです。家から会社まで三十分くらいで着いちゃいます。でも志織さんの徒歩一分、いや階段一本かな? には負けますけどね」 「ああ、言われてみたら、確かにそうだな」  雄史の言葉で初めて気づいたのか、少しだけハッとしたような顔をしてから、照れくさそうに笑う。つられるように笑えば、志織はますます笑みを深くした。いつ見ても気持ちが穏やかになる、陽だまりのような笑顔。  楽しい、嬉しい、そういう気持ちは、伝染するのだなと思えるほどだ。 「明日は雄史の最寄り駅から二つ先だ。店は駅から七、八分くらいだったかな。駅前の待ち合わせにしよう。会社からだから十九時、……十五分で間に合うか?」 「はい、全然余裕です! なるべく待たせないようにしますね」 「じゃあ、明日のデートは楽しみにしてるな」 「……っ!」  ふいに呟かれた言葉に、飲んだコーヒーが気管に入って、雄史は思いきりむせた。ゲホゲホと大きく咳をして、驚いたまま目の前に立つ人を見返すと、彼は何食わぬ顔で首を傾げて見せる。  過剰に反応してしまったことに気づき、雄史は顔が熱くなった。熱が出たみたいに火照る頬に手を当てたら、やけに手の冷たさを感じる。 「デ、デートなんて、久しぶりです」 「そうなのか? 彼女は?」 「あー、春先に部署異動になって、忙しくなって、構ってあげられなくなったら、振られちゃいました」 「ふぅん、もったいないことをするもんだな」 「そんなことを言うの、志織さんだけですよ」 「そうか? 雄史はそこにいるだけで、相手を照らしてくれるような明るさと優しさがある。それを手放すなんて、もったいないよ」  カップを下ろしてため息をこぼせば、伸びてきた手がうな垂れた雄史の頭を優しく撫でる。  少しだけその手に寄りかかるように傾けると、ほんのわずか躊躇いを感じさせたあと、すぐに指先は髪の毛をかき回した。  犬かなにかのような気分になりつつも、なだめるみたいに撫でてくれる手が嬉しかった。誰かに頭を撫でてもらうなんてこと、最近ではまったくない。  それどころか優しく触れてもらえることすらなかった。 「志織さんと出かけるの、楽しみだな」  ぬくもりに目を伏せて、ぽつりと呟いた声に微かに笑った気配を感じた。

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