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第10話 小さな嫉妬

 時刻ぴったりにカフェに着けば、人数の変更を伝えていたのか、それとも元より二人で予約していたのか、すんなりと席に通してもらえた。  しかしやはりおいしいケーキのあるカフェは、女性客がほとんどだ。いや、むしろそれしかいないと言ってもいい。  それなのに少し前を進む人はまったく素知らぬ顔。一人で来ると言っていたので、慣れたものなのだろう。  雄史はこれまでこういった店は、彼女としか来たことがなかった。  フリルカーテンと、ガラスビーズが下がる煌びやかな照明が、ひどく落ち着かない気持ちを助長する。それでも努めて平静を装い席についた。  メニューを置いて店員が去っていくと、雄史は目の前の人へ視線を向ける。すると思いのほかまっすぐ見つめられていて、やんわりと微笑まれるだけで、押し込めている恥ずかしさが増した。 「ここはロールケーキがうまいらしいんだけど。ケーキ自体、わりと豊富」 「へ、へぇ、そうなんですね。……あ、ほんとだ。ロールケーキ、味のバリエーションが多い! えー、すごく悩ましい」  気恥ずかしさを覚えてそわそわしていたけれど、メニューを開いた途端にそれもどこかへ行ってしまう。  目移りしそうになるほど種類があるケーキたちに、雄史の目はキラキラと輝き出した。  メニューには苺ショートや、チーズケーキを初めとした、スタンダードなケーキ。  それに加え、苺、マンゴー、ベリー、抹茶、カフェオレ、かぼちゃ、メープル、ショコラなど。味のバリエーションが豊富な、ロールケーキが特に魅力的だ。  このカフェのロールケーキは、ケーキを横たえた形で、スポンジの真ん中にたっぷりとしたクリームが入っているようだった。 「ゆっくり悩んでいいぞ」 「は、はい。すみません」  食い入るようにメニューを凝視していたら、ふっと小さく笑う気配がした。それに頬を染めて、そろりと視線を上げた雄史はへらりと笑い返す。  正直なところ、ケーキを前にすると気持ちが浮ついて仕方がないのだ。  けれどそれとともにふと、以前デートの時、私よりケーキなの? と言われたことを思い出した。  夢中になりすぎて、怒られた回数は数知れず。ところが視線を向けた先にあるのは穏やかな笑みで、怒るどころか自分を見て楽しげにも見えた。 「決まったか?」 「あっ、いや、まだですっ」  こちらの視線に気づいた彼に、不思議そうに見つめ返されて思わず声が上擦る。慌てて雄史はメニューに意識を戻して、写真を目で追いながら、なににしようかと悩む。  だがそんな気持ちとは裏腹に、自然と目の前の人へ視線が向いてしまった。 「志織さんは、どれにしますか?」 「苺のロールケーキかな」 「……苺か。んー、じゃあ、俺は違うのにしますね。えーっと、うん。ショコラにします」 「フルーツ系のほうが好きじゃなかったか?」 「そっちも好きだけど、チョコ系も好きです。せっかくだから食べ比べてください」 「そうか、うん。ありがとう」  嬉しそうに笑った、志織の顔につられて笑みを浮かべてから、ふといつもおすすめを聞くとフルーツ系が多い理由に気づいた。  もちろんそれ以外のケーキも出してくれるが、割合としてはそちらが多い。好みを察してくれた、と言うことなのだろう。 「飲み物は?」 「えーと、ウバのストレートで」 「コーヒーじゃないんだな」 「はい、ここは紅茶もおすすめみたいだから。ブレンドを飲むよりそっちのほうがいいかなって」 「ふぅん、じゃあ俺も。なにがおすすめ?」 「苺と生クリームの組み合わせだから、……アッサムとかいいかもです」  ウバは甘酸っぱいフルーティーな味と香りがする。渋みもあるので濃厚なチョコレート系とよく合う。  アッサムは癖もあって渋みも強いけれど、その分だけ生クリームのような、こってりとした油分のあるケーキにぴったりだ。  甘いもの、ケーキ好きが高じて、雄史はそれに合わせる飲み物までわりと詳しくなっていた。 「ストレートでもミルクティーでも、きっとおいしいですよ」  お目当てが決まれば、早速店員を呼んで注文を済ませる。しかし手持ち無沙汰になると、途端に落ち着かない気持ちが戻ってきた。  さらにケーキへのテンションがクールダウンしたせいか、周りの視線も感じる。  席はそれほど間隔が詰まっていないので、周囲の声が聞こえるか聞こえないかの距離。普通であれば、さほど気にならないはずの視線が、ちらほらと多方から向けられているのに気づく。  自分は地味でそう目立たないと自覚しているので、これは志織への視線だろうと、雄史は息をついた。雑踏に紛れていても顔の良さがわかる人だ。  こんな可愛らしい店の中だと、余計に目立つこと請け合いだ。  そんなことを思って一人納得するが、いつもだったら二人で向かい合っていれば、ほかの視線なんて気にならないのに、今日に限ってやけに気になるのはなぜだろう。  彼の店にだって女性客は多い。カウンターの中に立つ姿を見て、キャッキャとしている子もいる。  それなのにいまは少し不満に思うのはどうしてなのか。よくわからない感情がまた増えて、雄史の口からため息がこぼれた。  だが意識している以上にため息が出ていたのか、心配そうな声で名前を呼ばれて我に返る。 「雄史、どうした?」 「いえ、なんでも、ないんですけど。なんですかね?」 「ん?」 「いえいえ、ほんとになんでもないんです。志織さんは、いつもケーキ巡りは一人なんですか?」 「そうだな。ほぼ一人だ」 「ほぼ?」  週に六日はカフェで仕事をしていて、週に一回の休みをこうして勉強に費やしている。そこでふと雄史はごく当たり前なことに気づいた。  いくら忙しいとは言っても、これだけ見た目、人柄において秀でている人が、相手がいないはずがないと。  そう思った瞬間、胸の奥でもやもやとした気持ちが湧いた。

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