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第12話 会いたい会えない

 なぜあれほどまでに、ショックを受けたのだろう。冷静に考えてみると、自分の慌てふためき方は、異常だったのではないか。  男性に、同性に告白をされたから、と言うだけでは済まないような。  志織からの思いがけない告白に、しばらくその場で固まったあと、雄史は激しく取り乱した。フォークを取り落とし、紅茶をひっくり返し、大好きなケーキにさえも手が伸びず、喉を通らなくなるほどに。  穴があったら入りたい、と思えるほどの醜態だったが、なによりも動揺させたのは、そんな雄史を見た志織の悲しげな表情だった。  結局言えたのは――少し考えさせてください、の一言だけ。  それはただ時間をおいて冷静に考えたかった、と言う意味だった。  けれども落ち着いて振り返ってみれば、相手に一線を引くような答え方だったのではないかと、不安にもなる。  さらには断りの常套句のようにも思えてしまい、言葉を取り消したくもなった。困ったように笑い、小さく頷いた彼のことを思い出すと、心臓をきつく握りしめられたような痛みすら覚える。  告白を受けて、雄史が感じたのは驚きと戸惑い、それだけだ。嫌悪や否定的な感情は浮かばなかった。  にもかかわらず、考えるたびにあの人が、あんなにたくさんのものに恵まれているような人が、自分などを、と思って気持ちが定まらない。  冗談だよ、そう笑われても、そうか――と、信じてしまえるくらいに、現実味がなかった。  それでもそんなことを冗談でも言わないのが、志織だとも思っていた。あの人は決して軽薄な人ではない。  だからこそ、はっきりとした答えを出したいと考えていた。まっすぐと向き合って、答えを出したい。  ところがあれから数週間も過ぎているというのに、雄史はまだ彼になに一つ伝えられずにいた。 「もう、なんでこんな時に限って忙しいんだよ。ああーっ! 忙しい、忙しい、忙しいー!」  ぼんやりとしていた自分に気づくと、ふっと現実が目の前に広がる。その瞬間、苛立ち交じりの声が出た。  いまいるのは会社の自分のデスク。積み上がったファイルを、思いきりなぎ倒したいような気分になっていた。けれどそれもできなくて、勢いよくキーボードを叩く。  静かなフロアの中では、同じようにキーボードを叩いている音が聞こえている。忙しいのは自分だけではないから、一人で文句を呟くしかできない。  大雑把な性格ではあるが、元より真面目な雄史は、仕事を後回しにするという選択肢を持っていなかった。  それなのに苛々しているのは、カフェに――志織に、会いに行けていないからだ。  梅雨の頃から四ヶ月も通い詰めていたのに、行かない週などなかったのに、一ヶ月近くもあの人の作るものを食べていない。  あの人の声を聞いていない。 「この苛々は癒やしが足りてないからだ。おいしいもの食べてないからだ」  もうコンビニのおにぎりは食べ飽きた。食堂のご飯だけでは味気ない。栄養補充するだけの野菜ジュースも飲み飽きた。時間が足りない、癒やしが足りない、おいしいものが足りない。  ――あの人の笑顔が、足りない。 「志織さんに会いたいなぁ。でも返事、返事も考えなくちゃ。俺、そういう意味で、好き、なんだろうか」  この自問自答はこれで何度目かと、思わずため息がこぼれる。小さな嫉妬をするくらい、固執していたのは間違いはない。けれどまだ雄史の中で、親愛の好きと、恋愛の好きが定まっていなかった。 「好き……好きか嫌いかって言ったら、迷わず好きって言えるんだけど。んー、考えるより会えばわかる? ああー、だけど返事の前に、この仕事だよな。いつになったら会いに行けるんだろう」  冷静になってから、ちゃんと気持ちが決まったら、会いに行こう。そんなことを考えているうちに忙しくなり、そのままどんどんと時間が過ぎてしまった。  そのあいだに来ないのかと、メッセージは届いたけれど、忙しくて、と返したきりだ。  まるで会うのを避けるための、言い訳に聞こえる。しかしそう思われているのだろうとわかっていても、行きますと返せるだけの暇がないのだ。  時間がない、時間が足りない。  それを考えるだけで苛々が増して、キーボードを打つ音が激しくなる。気を紛らわすように雄史はガムを数粒、口の中に放り込んだ。 「おい、高塚。……おいってば!」  青白い画面を睨み付けてどれほどか、ふいに肩を叩かれた。それに気づいて雄史が肩を跳ね上げると、小さなため息が聞こえてくる。慌てて振り向けば、部署の先輩、吉田が後ろに立っていた。 「なんですか? 追加ですか?」 「そうじゃなくて、お前、もう帰れよ。ちょっと家に帰って、ゆっくり休んだほうがいいぞ。なんかこのところ鬼気迫るような感じだし、苛々はピークっぽいし、顔色も良くない」 「でもあと一冊は片付けないと明日、また出ないと……はあ」 「ほら、ため息の数も多いだろ。疲れが溜まってる時は休んで、充電したほうがそのあとの効率もいいんだ」 「でも」 「いいから、パソコンを落とせ、そして帰れ」  渋ると急くように背中を叩かれて、ほらほらとせっつかれた。確かにそろそろ限界が近いのも感じる。大人しく電源を落とせば、これを食えとコンビニのフルーツサンドを渡された。 「それを食ったらまっすぐ帰るんだぞ」 「……はい」  なだめるように雄史の頭を撫でると、吉田は踵を返して自分の仕事へ戻っていく。その後ろ姿を見ながら小さく息をついて、手元に残されたフルーツサンドのフィルムを剥がした。  ほかの人たちも忙しいのに、自分だけいいのだろうか。そんな考えも浮かぶけれど、新米の雄史ができる仕事は、みんなほど多くない。  そもそも抱えているものだけで精一杯で、周りを気遣う余裕すらなかった。  正直言えば、ずっと仕事と志織が天秤の上でぐらぐらとしていた。忙しさに集中しなくてはいけないのに、告白の返事のことばかりを考えて、そのせいで仕事が遅れている。  公私混同――そんな言葉が浮かんだが、仕事へのエネルギーはすべて、あそこで作られていると言っても過言ではない。 「苺と生クリーム、久しぶりに食べた。志織さんのケーキに比べたら安っぽい味だけど、おいしい」  おいしいものをゆっくりと食べる余裕が、欠片もなかった、それをまた実感する。人間、生きていくのに三大欲求はやはり大切だ。特にお腹を満たすおいしいものと、たっぷりの睡眠は欠かせない。 「あっ、志織さんからメッセージ届いてた。いま何時? わ、三時間前だ」  黙々とフルーツサンドを食べながら、懐に入れっぱなしだったスマートフォンを取り出せば、着信やメッセージがいくつか。  その中に彼からのものが混じっていた。慌てて開くと、今日も忙しい? そんな問いかけだった。  時刻はもうすぐで二十時になるところ。あのカフェは普段通りであれば、まだあと一時間は営業している。それに気づくと、慌ただしく文章を打っていた。  返信が遅れたことを謝罪して、いまから行ってもいいかと問いかける。  すると一分とかからないうちに、返事が来た。しかし帰ってきた文面に、思わず首を傾げてしまう。 「にゃむのご飯?」  時間があるのなら家へ行って、愛猫に餌をあげて欲しいと書かれている。けれど自宅は店の二階だ。いつものようにカフェで仕事をしていれば、そんなお願いをしてくるのはおかしい。  今日は週末で店を閉める理由も見当たらない。ふいになぜか嫌な予感がして、どこにいるのかと短文を送り返した。  そうして待つこと数分――帰ってきた文字に、雄史は勢いよく立ち上がっていた。  食べかけのフルーツサンドを腹の中へ収めて、荷物を引っ掴むと大声で挨拶をしてフロアを出る。それなのに二基あるエレベーターは通り過ぎたばかりで、ボタンを無意味に何度も押してしまった。  会社を飛び出したあとは、いつもなら十分はかかる駅までの距離を、全速力で半分に短縮した。

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