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第3話 初詣デート

 あれからしばらくにゃむと雄史の、攻防戦が繰り広げられた。どちらが志織にキスをするか。そしてしたあとは奪い返されないように、大騒ぎだった。  猫相手によくそんなに本気に、と思いもするが、その様子が微笑ましくて可愛く思えた。新年早々から、志織は癒やされた気分だ。  とは言えど、日付が変わってからもう随分と過ぎた。この様子ではあとどれくらい続くか、わからない。 「ほら、もう行くぞ。にゃむ、留守番を頼んだぞ」 「なぁ、なぁ」 「お留守番、だ。帰ってきたら留守番賃をやるから、いい子にしていろよ」  足元にすり寄って、遮ってくるにゃむの小さな頭を撫でる。  それでもにゃーにゃーと泣き止まない。ほかならぬ雄史と二人で出掛けるのが、気に入らないのだろう。  いまにも噛みつかんばかりだったので、ひょいと抱き上げると、部屋に戻して完全に戸を閉めた。向こうからカリカリと音がするが、志織はそのまま玄関へと向かう。 「まだ文句、言ってますけど」 「そのうち諦めて寝るから大丈夫だ」  心配そうな顔をする雄史は、結局はライバルにも優しい。けれど頭を撫でて志織が促すと、彼はあと追って階段を下りてきた。  階段を下りると店舗に出る。  店は四日まで冬休みで、先日雄史が手伝ってくれて大掃除をした。これまで一人でこなしていたので、かなり早く終えることができた。  その分だけ料理をする時間が増えて――そのせいで、彼の体重が増えたのかもしれない。  ふと思い当たった考えに志織は小さく唸る。食べ過ぎと言っていたのは、食べさせ過ぎていた、からかもしれないと。  よく食べるからといって、作り過ぎは良くない。雄史の性格では残さず食べる。 「志織さん?」 「いや、なんでもない。行こうか」  足を止めていた志織に、扉を開いた雄史が振り向く。じっと見つめてくる視線に、笑みを返して止まっていた足を踏み出した。  けれど隣に並ぶとこちらを窺うような顔をする。余計な心配をかけた気がして、志織は隣にある手を握った。 「えっ、あ、……あったかいです」 「うん」  静かな商店街をそのままゆっくりと歩く。家が店舗、というところはわりと多く、深夜の時間帯だけれど明かりがこぼれていた。  中には志織たちのように、初詣へ出掛ける家族もあるだろう。 「神社って隣駅のあそこですか?」 「そう、商売繁盛の御利益がある。この辺りの人はほとんど行く」 「へぇ、そうなんですね。あんまり家で、新年迎えることが少なかったんで、近いのに知らなかったです」 「まあ、そういうこともあるな」  入社からいまの家に住んでいるとしたら、今年で四年目。新年をそこで迎えていないのは、実家だけでなく、彼女の家へ行っていたからか。  そんなことを思うと、少しばかり胸がモヤモヤする。しかし雄史はいまでこそ志織と付き合っているが、元は異性愛者だ。  いまが珍しいだけで、これまでが正しい。  駅に着けば繋がれた手は自然と離れていく。それが普通の対応。  やけにセンチメンタルになっている志織だけれど、これまで付き合ってきた相手とも、こんな感じだった。  どうしたって人目を気にせずにはいられない。  それはいまも昔も変わらない――だが、そうだとしても、いまだけはひどく寂しいことのように思えた。   「志織さん」 「ん?」 「電車を降りたら、手、また繋いでもいいですか?」 「え?」 「隣にいるのに、触れないの、ちょっともどかしくて。志織さんが嫌じゃなければ」  隣に座った雄史は、そわそわと辺りに視線を向けながら、指先で志織の手をつついてくる。その仕草に思わず目を見開いてしまうが、照れたように笑う顔を見ると、笑みが移った。 「あとでな」 「はいっ」  素っ気ないような物言いなのに、嬉しそうに笑う。その顔を見るだけで、先ほどまでの心のもやが晴れる。  自分の単純さに驚くけれど、彼のまっすぐさは黒く汚れた気持ちさえ、洗い流していく力があると思った。 「結構、混んでますね」 「わりと毎年こんな感じだ」  電車を降りて神社へ向かう途中。行き先が同じだろう人たちで、道が混雑している。それなりに大きい神社なので、参拝者が多いのだ。  そんな人混みに乗じて、雄史は志織の手をしっかりと握っていた。二人分の熱が混じり合って、手の平がひどく温かい。 「参拝を先に済ませますか? それとも破魔矢を返しに行きます?」 「んー、参拝が先だな。たぶんこれからまた人が増える」 「わぁ、そんなに人出が多いんですね」 「うん」  長い列に並んで、手を離すかと思っていたのだが、繋いだ手は一向に離れていかない。人の目を、感じていないわけではないはずなのに、まったく気に留めていない様子だ。 「願い事は一択ですよね」 「なにかそんなに、叶えたいことでもあるのか? ダイエット?」 「えっ? 違いますよ。……志織さんと、これからも一緒にいられますように、です」  訝しげな顔をした志織に、顔を寄せた雄史は小さな声で囁く。そして得意気な顔をして笑った。 「一番、叶えて欲しい願い事です」 「そういうのは、神頼みじゃなくて、俺に言えよ」 「あっ、確かにそうですね」  本当にいま気づいた、みたいな顔で目を瞬かせる。少し抜けているというか、天然というか。それでもそんなところも愛おしい。  やんわりと微笑んだ志織は、繋いだ手をきゅっと強く握りしめた。 「おや、そこにいるのは加納くん、と高塚くん?」  参拝を済ませて人混みを抜けたところで、ふいに声をかけられる。聞き馴染みのある声に、二人で振り返ると、常連の久野がこちらを見ていた。 「明けましておめでとうございます!」 「年始早々、賑やかだね、君は」  深々と頭を下げた雄史に、久野はふっと小さい笑みを浮かべる。そして志織に目配せして、今度はニヤリと笑った。 「新年から仲がいいねぇ」 「ええ、まあ」  繋いだ手を後ろ手に隠すけれど、おそらくその前から気づいている。ここで下手な言い訳をしても、仕方がないと、志織は曖昧に笑って誤魔化した。 「あー、雄史!」 「こら、雄史さんだろ」  しばらく久野と談笑していると、バタバタと駆けてきた子が、雄史の腰にしがみついた。慌てて抱きとめる彼は少年に気づいて、顔をほころばせる。  少年の後ろから来た高校生くらいの子も、久野によく似ているところを見ると、孫かなにかだろう。  そう思い至って、野球を教えている孫は彼かと、志織はようやく気づく。随分と懐いているようで、少年の顔はひどく嬉しそうだ。 「雄史! 今日は餅つきするんだぜ! うち来いよ!」 「え? あー、今日は予定があるから、残念だけど」 「ええっ、なんだよ。来ると思ってたのに」  苦笑いを浮かべる雄史に、少年は不満げに口を尖らせる。そしてちらりと志織へ視線を向けてきた。さらにはじっと見つめられて、見つめられるほうは疑問符が浮かぶ。 「デートなら仕方ねぇな。じいちゃん、行こうぜ。雄史、またな!」 「ええ?」  あっさりと諦めて、踵を返した少年は、久野の手を引いていく。あとに残された雄史はその後ろ姿と、志織を見比べてあたふたとしていた。

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