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第3話 大きな愛情のかたまり

 急いでカフェへ向かうと、店内には志織と見慣れた常連、初めて見るイケメンがいた。  店の扉を開けて立ち止まっている雄史に、志織は不思議そうな表情を浮かべる。 「雄史?」 「はっ! すみません! 志織さん、ただいまです」 「ああ、おかえり」  かけられた声に我に返って雄史はいつもの挨拶をする。  その言葉を聞いて、志織も安心したように柔らかく微笑んだ。 「あれ、高塚くん。最近は朝に見かけないから、加納くんに追い出されたのかと思っていたのに、違ったみたいだね」 「く、久野(くの)さん! 酷いです! 俺は志織さんの迷惑にならないために」  カウンター席に座っていた一人、老齢の男性は常連の久野。  白髪だが昔は大層モテていそうな顔立ちをしている。定年を過ぎてから、志織のカフェでコーヒーを飲むのが趣味だとか。  会うたびこうして雄史をからかってくる。  いじり甲斐があると意地悪されるものの、根は気のいいおじいさんだ。 「引っ越しするんだってねぇ。ほら、高塚くんがお待たせしていた彼。仕事のできるイケメンくんに挨拶しないの?」  久野と並んで座っていた男性は志織と同じか、少し年上に見える。  皆と一緒にこちらを見ていて、視線を動かしたらにこやかに微笑まれた。  座っていてもわかる足の長さ。彫りの深い顔立ちは、西洋系の血が流れているのではと思える。  志織と並べて見ると、和風の凜々しい男前と洋風の王子さま系紳士で、なにやら周りにキラキラと光が舞っていそうだ。  自分では似合わないだろうデザインの、シャツやスーツがバシッと決まっていて、雄史は気後れした。 「えっと……た、高塚雄史と言います。今日はわざわざ時間をいただきまして」 「ふふっ、噂に聞いてたとおりわんこ系だな。可愛い」 「兵藤、そうやって獲物を品定めするような視線で雄史を見るな」  ゴツッと、珍しく乱暴にグラスをカウンターに置く志織に、兵藤と呼ばれた男性も久野もニヤニヤしている。  状況のわからない雄史だけが首を傾げた。 「雄史、ここへ座れ」 「えー、加納、それはないんじゃ。なんで一個、席を空けるのさ。これからじっくり二人でお話しするのに」 「確かに物件の話をしてもらうが、雄史にむやみやたらと近づくな」 (知人とか言っていたのに、志織さんと兵藤さんは仲良くないのか?)  とりあえず雄史は志織に言われるまま、指定された席に座る。  そのあいだ、席一つ向こうにいる、兵藤の視線はずっと雄史についてきた。 「雄史、なにを食べる?」  落ち着かない気持ちでへらりと雄史が笑えば、突然あいだを割るようメニュー表が立ち塞がった。  普段はメニューなんて差し出されないので、先ほどから雄史の頭では疑問符が飛び交っている。 「志織さんの今日のおすすめで」  若干不機嫌に感じる志織の表情にも戸惑わずにいられない。  おずおずと希望を言ったら「わかった」と言いながら、頭をめちゃくちゃ撫でられた。 「ぶはっ、加納の嫉妬とか初めて見た」 「え? なんで志織さんが嫉妬するんですか? え? もしかして兵藤さんって元カ――」 「違う。あり得ないから変な勘違いをするな。はあ、狙われてるのはお前だぞ」 「ほんとにノンケを落としたんだ。全然わかってない顔が可愛い」  頭が痛いと言わんばかりに額を抑える志織と、なんだかやたらと楽しそうに腹を抱える兵藤。  ぐるぐると頭の中で情報を整理し、雄史は拳を握りしめて力説した。 「俺、志織さんが好きなのであって、イケメンが好きなわけじゃないです! 兵藤さんは格好いいですけど、志織さんみたいに、常に抱きしめたくはならないです!」 「んー、加納? あんた、このわんこちゃん相手にネコやってんのか?」 「プライベートに干渉するな。お前は仕事をしろ」 「はー、そう、あんたがね。そこまで本気なら、僕なんぞに頼ってくるはずだよな」  カウンター内の調理場で黙秘したまま、料理を始めた志織に対し、意味深に目を細めて薄笑いする兵藤。  微妙な空間に雄史はそわそわとした気分になる。 「あの、兵藤さんって、志織さんとどういうお知り合いですか? 不動産関係の人じゃ」 「ああ、不安にさせたかな? 僕はれっきとした資格持ちの本職だよ。はい、これ。兵藤雪生(ゆきなり)です、よろしく。加納とは高校時代からの付き合い。悪友的な?」 「あ、どうも」  名刺を差し出されて、ついいつもの癖で雄史は名刺交換をしていた。  不動産賃貸・仲介販売の会社社長という肩書きがあり、裏を見るとずらりと取得した資格が記載されている。  普通はここまで資格を持っている人はいないけれど、どれもこの仕事をしているならば、持っていて損のないものばかり。 「晩ご飯ができる前に少し話をしようか」 「は、はい」  ちらりと志織を見ると黙って頷いたので、雄史は兵藤の言葉に従うことにする。  足元に置いていた彼の鞄から取り出された書類。数枚の紙にはそれぞれ物件の詳細が書かれていた。 「僕のおすすめはここなんだけど。いまはまだリフォームの最中でね。明け渡せるのはおそらく十月末か、十一月初めかな。ほかはこれから広告に出すところだったから、すぐにでも平気」  紹介してくれた物件は、どれも雄史の提示している条件内。  おすすめの物件は駅から少し離れているが、昨夜ちょうど範囲を拡げても、と思っていたため条件に合っていると言っていい。  物件探しを始めてひと月近く。毎日の苦労はなんだったのかと思うほど、完璧に希望どおりなのでひどく悩ましい。  いまある物件でもいいけれど、ただやはりリフォーム中の物件がとても気になる。 「ここはね。いままで二部屋にキッチンの2Kだったんだけど、広いワンルームになる予定。でも可動式の仕切り戸で間仕切りは可能」  じっと食い入るように見ていた雄史に気づいたのか、兵藤が細かく説明してくれた。 「あのー、こんなにいい物件、本当に条件内の家賃で大丈夫なんですか?」 「ん? いいよ。今日提案したのは全部、僕の持ち物件だから」 (ということは――おそらく本来こんな金額で貸し出していない物件だ)  顔を青くした雄史が再び志織を振り返ると、またもや黙って頷かれてしまった。彼も了承済みなのだろうが。 (見返りもなく、ここまでいい物件を出してくるものなのか?) 「雄史、気にしなくていい。そいつには俺の父親が経営している店のケーキを、三ヶ月間はいつでも用意する、で手を打ってある」 「いやいや、志織さんのお父さんって、すごく有名なパティシエさんでしたよね? そこのケーキって一個でも結構な値段で、三ヶ月いつでもとか!」 「心配はいらない。父にも交渉済みだ。俺に負担はほぼない」 「絶対、嘘です!」 「……雄史、これはいま一緒に暮らしてやれない、俺からのせめての気持ちだ。黙って受け入れろ」 「志織さんっ、ずーるーいー! ずるいです!」  うわーんと大げさに雄史がカウンターへ突っ伏せば、ぽんぽんとなだめるみたいに頭を撫でられる。  スマートな志織の対応と、あまりの男前ぶりに完敗して、さらに愛されているのを実感すれば、太刀打ちができない。 「あー、なるほど。よしよしして、甘やかしてやりたくなるタイプね。したいってねだられたら、さすがのあんたでもほだされるのはわかる」 「兵藤、雄史に変なちょっかいを出すなよ」 「そんなに怖い顔をしなくても、割り入る隙がない。僕は人の幸せを壊したい性格じゃないし。久野さん、糖分過多になる前に、僕たちは退散しましょうか」 「そうだねぇ、そろそろ胸焼けがし始めたところだよ」 「それじゃあ、高塚くん。また後日ゆっくり話をしよう! よく検討してもらえたら嬉しいよ」  意気投合した兵藤と久野は会計を済ませて、さっさと退店していった。  飲みに行こうか、などと話していたので、性格の相性がいいのかもしれない。  彼らの後ろ姿を見送った雄史は、ようやく落ち着いてご飯にありつく。  本日の晩ご飯はトロトロ卵のオムライス、ビーフシチュー添え。  オニオンスープも旨み満載で美味しい。 「雄史はどの物件がいいんだ?」 「兵藤さんのおすすめ物件が気になります」 「駅から一番遠い所?」 「はい、遠いと言っても二十分弱なので、自転車もあるし。徒歩でもたぶん通勤時間、いまの家と変わらないです。それにここが一番、近いです」  そう、駅からは確かに一番遠い。ただしカフェには一番近いのだ。  ほかの物件は駅には近いけれど、商店街側ではないので、駅の反対出口ばかりだった。  その点、おすすめ物件は駅から二十分でも、カフェとの行き来はおそらく片道十分程度のはず。  雄史が駅と志織を選ぶなら断然後者だ。 「これから色々手続きを、と思えば時期もちょうどいいです」  退去の連絡も一ヶ月前までか二ヶ月前だったか、再確認をしなければいけない。  長く住んでいたので、要らない物も増えていそうだから、断捨離も必要だろう。 「志織さん、わざわざ兵藤さんに声をかけてくれて、ありがとうございます」 「いや、俺のためでもあるし」 「え?」 「雄史が変な我慢をして独り寝が寂しいしな」 「ふぇ、えー!」  思わぬ志織の発言で、スプーンですくったオムライスが、口に入る前に皿へ滑り落ちた。

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