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第2話 まさかの確信犯?

 いざ引っ越し、物件探しと言っても、ピンポイントな条件に合う場所はそう簡単に見つからない。  あれから毎日、雄史は休憩時間、帰宅後にネットを徘徊。  駅前の不動産に良い物件があればぜひ連絡を、と相談もしてきた。  いくら志織の傍にいたいからと、収支に見合わない部屋を借りるわけにもいかない。 「うー、そろそろ志織さん不足」  このままでもいいかな、という妥協する気持ちが湧かないよう、ここしばらく志織の所に泊まらず、まっすぐ帰宅している。  カフェにはご飯を食べに行くので、無理せず泊まっていけばいいと志織は苦笑するが、ずるずる現状に甘えてしまいそうなのだ。  元々、雄史は意志が強くない。  いまも帰宅してノートパソコンを開いたものの、そっちのけで机に突っ伏している。 「志織さんのご飯、美味しかったな。今日も格好良かったな。……あー、めちゃくちゃ抱きしめたい」  そして気づけば、右手は本日の志織をおかずにしていた。  結局は賢者タイムと同時に、ものすごい申し訳なさといたたまれなさが雄史に去来する。 「俺、駄目かも。なんかこのところ抜きすぎじゃない? 志織さんの家に行っても毎回してたわけじゃないのに」  これまで付き合っていた彼女に対し、雄史はここまでの感情を抱いた覚えがなかった。  愛情の大きさによる違いというよりも、加納志織という人が好きすぎて、自分の感情が整理しきれないのだろう。 「駄目だ。一回リセットするために走ってこよう」  モヤモヤとする気持ちにため息を吐いていた雄史だが、勢いよく立ち上がると、手を拭い、スーツからいつものウェアに着替える。  すっきりしないときはとにかく走る、些か脳筋と言われる雄史の信条だ。 「うーん、もう少し駅からの距離、範囲を拡げてもいいかなぁ」  いつものコースを走りながら、雄史は頭の中で条件を考え直す。  走っている最中は、わりと余計な感情が割り込んでこない。ゆえに考えごとをしたい場合、打ってつけだった。  絶対条件は駅、予算。次に間取りと環境で、駅からの距離は近ければいいけれど、会社が隣駅であると思えばそこまで重要ではない。 「自転車もあるしな」  ちなみに志織のカフェがある商店街は駅から大体三分弱だ。  充実した商店街で端から端まで距離があるが、そこへ行けば大抵の用事が済むという意味でもある。  路線が大きな線に乗り入れるローカル線。それでも賑やかすぎない沿線は暮らしやすい。  いま雄史が住んでいる場所も同じ沿線で、周辺は程よい人通りと、明るい道。買い物もしやすい。 「あ、そういえば来年更新だ。ということは、タイムリミットは年末だな」  新社会人になった年に住み始めたマンションは、来年の三月で更新だった。  引っ越し準備や手続きを考えれば、早め早めがいいだろう。 「あと半年もないなぁ」  年末年始は当然、不動産屋だって冬休みだ。  急に現実味を帯びて雄史は落ち込みそうになった、けれど――  フリップベルト――腰辺り――から伝わる小さな振動。立ち止まり、スマートフォンを取り出した雄史は、着信の名前に目を輝かせる。 「志織さん! どうしたんですか?」 「前のめりだな。走ってたのか?」 「はい」 「じゃあ、手短に用件を言うな。明日は店に寄れるか?」 「志織さんがお呼びであればいつでも!」 「……そうか。だったら、仕事が片付いたら寄ってくれ。知人から近くに空室が出たと聞いてな。直接話を聞いたほうがいいだろうと」 「定時で終わらせていきます!」  通話を繋げてからずっと前のめりな雄史に、志織は終始笑いをこらえていたが、急に目の前に光が差した気分でちっとも気にならなかった。 「無理そうだったら連絡をくれ。夜道は気をつけろよ。雄史、おやすみ」 「志織さん、愛してます! おやすみなさい!」  通話が途切れる間際、ついに思いきり吹き出されたが、ウキウキの雄史には些細なことだ。  志織の「おやすみ」を聞けただけで、今夜はよく眠れそうな気がした。  翌日はもちろん、朝から上機嫌で仕事をこなし、周りから「高塚くん、あれ絶対デートよ」と囁かれていた。  去年のクリスマスの時も似たような状況だった上に、以降たびたびこのような姿を見られている。 「高塚、今日は元気だなぁ。お弁当の志織ちゃんとデートか?」 「吉田先輩! その書類はもっと早く持ってきてくれないと困ります! ちなみにデートじゃありません」  甘い物好き男子同盟、営業部の先輩は今日も気軽に雄史を茶化してくる。  とても頼りになる人なのだが、たまにルーズだ。 「否定せず、にやけた顔で言われても説得力ない」 「そう思うなら早く持ってきてくださいよ! 定時まであと二十分しかないじゃないですか!」  一分でも過ぎたくない――そんな感情が露わな雄史。むすっと不機嫌そうに口を尖らせれば、吉田はため息交じりで肩をすくめる。 「そろそろ同棲でもするのか?」 「……っ! しません」 「そうなのか? 最近、よく賃貸のホームページを見てただろう?」 「同棲は残念ながらできないんです。だから近くに引っ越そうと思って」 「ふぅん、なんか訳ありなんだな。まあ、お前は毎日お花畑っぽいから大丈夫そうだけど。でもこの頃、ついてないな」 「なにがですか?」  デスクに寄りかかりながら、悠然と自分を見下ろす吉田に首を傾げたら、彼は首筋をトントンと指先で叩いた。  一瞬意味がわからなく、再び首をひねりかけて、雄史はぼっと顔を赤く染める。  なにもないのに、とっさに首を手で押さえてしまい、吉田に笑われた。 「志織ちゃんって執着心が強いんだなぁ、って思ってたんだよ」 「そ、そうだったら嬉しい、ですけど。気づいてたならもっと早く言ってくださいよ!」 「志織ちゃんの可愛い牽制だろ? 言ったら虫除けの邪魔しちゃうしぃ」 「可愛い子ぶってもちっとも可愛くないです! もうこれ以上、俺の邪魔しないでください!」 「はーい、邪魔ものは退散しまーす」  明らかな逆ギレではあるが、真っ赤になった雄史にニヒヒっと笑った吉田が足早に去っていくので、ますます恥ずかしさが増した。 (マジか、志織さん。キスマークをつけられてたの気づかないとか、めちゃくちゃ恥ずかしいし。でも嬉しいし、感情がまとまらない)  鏡を見ても気づかない位置ということは、完全なる確信犯だ。  している最中の雄史は、志織に夢中になりすぎているため、彼に痕を残したい一心でつけられているのに気づきそうもない。  あと考えられるのは寝ているあいだ。  いったん寝たら朝まで爆睡の雄史では絶対に気づかない。 (えー、どんな気持ちでキスマークをつけてるの志織さん! ああー、いますぐしたい! 志織さんとえっちしたい!)  吉田が去ってからもしばらく、雄史は両手で顔を覆ったまま一時停止をしてしまった。  我に返ったのは定時間際で、慌てて書類を片付けたのは言うまでもない。  そして哀しいことに定時より十五分ほど過ぎた。  吉田が原因ではあるが、時間を忘れて一人、心の中で悶えていたのは雄史の責任である。 「お疲れさまでした! お先に失礼します!」 「はーい。デート、頑張ってね」 「お疲れ、楽しんでこいよ」  机の上を片付けた雄史が挨拶をしたら、皆に似たような挨拶を返された。  場合によってはセクハラ、と言われる状況かもしれないが、誰でも察してしまう行動を取っている雄史の―― 「俺そんなにわかりやすいのか。志織さんも単純って言ってたもんな」  また熱くなってきた頬に触れつつ、雄史は廊下でエレベーターの呼び出しボタンを押した。  これから向かう旨を連絡するため、スマートフォンを鞄から取り出し、つい流れで厳選志織フォルダを開く。  写真に写るのは凜々しい顔立ちだけれど、柔らかい笑み。  思わず雄史がデレッとしていたら、エレベーターの扉が開き、上司に「デートか? 若いっていいなぁ」と笑って肩を叩かれた。  自分の普段の浮かれた姿に気づかないのは、本人だけなり。

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