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おいしい恋はあなたの傍で/第1話 入り浸りすぎ問題

 ぬくぬくの布団とふかふかの恋人の胸。  暢気にニヤニヤとしながら寝ていた雄史だが、肩を揺すられて眠りの淵から意識を浮上させた。 「雄史(ゆうし)、アラームが鳴ってる」 「あ……すみません。あまりにも寝心地が良くて」  目が覚めるといつものように、恋人である志織を抱きしめていた。  彼は雄史よりも体格がいいので、無理やり引き剥がすこともできるのに、毎朝根気よく起こしてくれる。  目を擦りながら、もそもそと暖かい布団から抜け出ると、雄史はヘッドボードの棚からスマートフォンを取り上げた。  時刻は七時五分――志織は五分も自分を起こし続けてくれたのかと、雄史は赤茶色いボサボサの頭を掻く。 (自宅だと寝過ごさないのに、志織さんの傍だから気が抜けてるのかな)  恋人を抱きしめる感触も温かなぬくもりも、心地良いのは確かだけれど、毎日の如く他人のアラームで起こされる彼にしてみれば―― 「志織さん、もしかして俺って迷惑な存在ですか?」 「は? 急にどうしたんだ?」  ベッドで上半身を起こし、スマートフォンを見ていた志織が、驚いた表情で振り返る。  特徴的なブルーグレーの瞳がまん丸くなって可愛い。  と、志織の魅力にデレデレしている場合ではない。  雄史はスマートフォンを握りしめて、おずおずと問いかけた。 「最近の俺、ここにずっと居座ってる感じだし。毎朝、志織さんに起こしてもらってるし。ゆっくり寝ていられないでしょう? 俺、貴重な志織さんの時間を」 「……まず、落ち着け。俺は雄史を迷惑だとは思っていない。普段からこれくらいの時間に起きているし、休みの日だって遅くまで寝ていない」  早口でまくし立てる雄史の傍まで来た志織は、少しため息交じりに両肩をぽんぽんと叩く。  だがしょぼーんとした大型犬の如き雄史は、まだ耳が倒れ、尻尾が股の下に入っていそうな表情だ。 「心配しなくていい。ほら、顔を洗ってこい。朝飯の準備をしてやる」 「うぅっ、志織さんが優しすぎて俺はどんどん駄犬に」 「犬っていう自覚はあるんだな」 「昔からよく図体のでかい犬って言われるんで……って痛っ! にゃむ!」  抱き寄せられて、志織に頭を撫で撫でされていたら、突然後ろから攻撃された。  クリティカルヒットしたのは、志織の愛猫にゃむ。  今年四歳になるご主人様大好きな女の子だ。  ロシアンブルーらしき綺麗な毛色と、鍵尻尾がチャームポイントな美猫。 「にゃぁー!」  ふくらはぎに飛びかかられて、悲鳴を上げた雄史に対し、にゃむは不機嫌そうな声を上げる。 「こら、にゃむ。そうやって毎朝雄史に飛びかかるな。お前の朝飯も用意してやるから」  もう一年くらいの付き合いなのに、にゃむは雄史に容赦がない。  反し、志織が声をかけた途端、文字どおり猫なで声で彼の足にすりすりする。  彼曰く、にゃむはただのツンデレと言うが、雄史はいまだ彼女のデレを見たことがない。  しかしいまも去年のクリスマスプレゼント――志織とお揃いの宝石のついた首輪――をつけているのが証拠らしい。  そのため雄史はおそらくにゃむはツンが99.9%で、デレは0.1%なのだろうと思うようにしている。  志織に洗面所へ追い立てられ、雄史はしっかりと眠気を覚まし、身支度を調えた。  近頃は志織の部屋にあるハンガーラックに、スーツが数着ほど掛けられている。 (俺、本気で居座りすぎかも)  私物も少しずつ増えている気がした。  志織の優しさに甘えすぎではと、朝から大いに反省せずにはいられない。  春頃までは仕事も忙しかったので、そこまでではなかった。  ようやく落ち着いてきたと思ったら、雄史は志織不足を感じ始めて、週末に泊まるようになり――  現在、自宅に帰るのは着替えを取りに行く程度だ。 「雄史、また一人で落ち込んでる。飯ができたぞ」  洗面台の鏡の前でうな垂れていると、様子を見に来た志織に呆れられた。  とはいえいつまでもウジウジはしていられない。 「ありがとうございます」 「よしよし、いい子だ。しっかりと食べて今日も頑張るんだぞ」  整えた髪の毛には触らず、指で頬を撫でてくれる志織の仕草に雄史はキュンとなる。  自分にはもったいなさすぎる出来た恋人だが、だからと言って自分を卑下して、情けない男にはなりたくなかった。 「志織さん。俺、引っ越ししようかと思うんです」 「引っ越し?」  今日も朝から白米に味噌汁、和え物に卵焼き。  焼き魚と雄史には焼き肉をプラス。  テーブルで向かい合い、食事をしている中での突然の発言に、また志織は目を丸くし、パチパチと瞬いた。 「すぐ見つからないとは思うんですけど。この付近で物件を探そうかなって。そうしたら行き来もいまよりしやすいし」 「まあ、自宅を長く空けておくのも心配ではあるしな」  本音を言えば、雄史は志織と一緒に暮らしたい。  だがここへ完全に転がり込むのは、無理があるのもわかっていた。  1Kという一人暮らしを想定した間取り。  志織は住み始める前に完全リフォームしたので、ゆとりのある作りになっているが、図体のでかい男二人で暮らすには手狭だ。  いまは身一つで泊まりに来ているから、さほど気にならないものの、雄史の荷物を持ち込むのはまず不可能。  だからと言って、志織に引っ越しを迫るわけにもいかない。  それ以前に住居の下は彼の店舗だった。  営業面でも管理面でも、ほかへ引っ越すなど志織としては不便極まりないだろう。  日中は志織のカフェに出入りしている、にゃむにも負担がかかるのが目に見えてわかる。 「えっと、でも、それまでは」 「気にせずいままでどおり過ごしていいぞ」 「志織さん! 大好きです!」 「俺も好きだ。泣きながら食うな」  潤んだ瞳に気づいた志織に苦笑されるけれど、彼の優しさが沁みすぎて雄史はいまにも号泣しそうな気分だった。  近くで同じくご飯を食べていた、にゃむにもチラ見され、尻尾をパタンパタンとされる。  こちらは「なにを泣いてるのかしら、この男」――だとは思うが。 「志織さん、もし俺がプライベートに邪魔なときは言ってくださいね。でないと暢気に居座っちゃうから」 「もしそんなときがあればな。基本、心配せずにいていい。雄史の騒がしさは俺にとっては癒やしだからな」 「う、嬉しいけど、騒がしいって思ってるんですね」 「実際に騒がしいだろ? 毎日にゃむとやりあってるし」 「それは俺のせいですかね?」  ちらっとにゃむのほうへ視線を向けると、こちらを見ていたらしい彼女はぷいっと顔をそらしてしまった。  にゃむにとって雄史は恋敵なのだ。  それでも不思議と、二人が睦み合っているときだけは、知らないふりをしてくれる。  当初は怒って何度も飛びかかられたのだが、志織が雄史を受け入れているからなのか。乙女心は難しい。 「住居問題か。俺は誰かと暮らすなんてまったく想定していなかった」 「え?」 「勘違いをするな。ここに住み始めた頃の話だ」  青ざめた雄史に気づき、心の声を読み取ったのだろう志織が、すかさず言葉を挟む。  一緒に住みたいと思っていた自分はやはり迷惑な存在、そんな風に思った雄史はほっと胸をなで下ろした。 「いままでも長く続いた恋人はいなかったし、相手が転がり込んでも一時的だろうと考えていた」 「い、いまは?」  平然とした顔でご飯を食べている志織に対し、雄史は無意識に背が丸まり、わずかばかり上目遣いになる。 「そうだな。ベッドを買い替えようかとは思っている」 「へ?」  なんとなく噛み合っていない返答で、雄史の頭に疑問符が浮かんだ。  おそらくそれも気づいているだろうが、志織はごく自然に味噌汁の椀を手に取り、静かにすすった。 「あの頃もっと広い場所を選んでいれば、とか考えても意味がないだろう? そもそもここに店がなかったら、雄史に会うこともなかった。現状を考えるとそろそろ暑いし、もう少し広いベッドでもいいなと思ったんだ」 「なるほど。確かに志織さんの言うとおり」  非常に合理的な考えである。  雄史のように、無駄にあたふたとする様子もなく、状況を考察して二人で寝ている場所の解決に至ったわけだ。  三つ年上と言うだけでない冷静な考え方に、雄史は自分の幼さを顧みて恥ずかしくなった。 「雄史のちょっと単純で早とちりなところ、可愛いから大丈夫だぞ」 「志織さんが男前すぎて悔しい!」  ふっと目を細め、片頬を上げる志織の仕草に惚れ直す気持ちと、男として負けたくない雄史の感情がせめぎ合う。

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