19 / 36

第18話 何故

◇◆◇  夕暮れ時のスーパーは、仕事帰りの大人たちや、週末だからと友人宅に集まろうとしている若者たちもいて、かなり混雑していた。値引きが開始される時刻とあって、それを待つ人たちの熱気に溢れていた。  綾人は普段この時間にスーパーに行く事がない。ぼんやり生きてきた実家暮らしの学生は、その気迫に少々圧倒されてしまっていた。 「やべえ、みんなの値引きに対する情熱にやられそうだわ……」と呟いていると、隣で真剣に値引きシールが貼られるのをじっと待っているタカトに気づいた。  普段のタカトの様子を知っていると、その姿を見てしまったら言葉を無くしそうなくらいの衝撃だった。なかなかお目にかかれないような真剣な表情で、獲物を狙うその目がいつにも増して男らしかった。 「穂村くんって、普段節約とか気をつけてるの? めっちゃ目が真剣なんだけど」  やっぱり買い出しも一緒に行くと言って途中から合流してきた水町が、揶揄うように尋ねた。タカトは穏やかに相好を崩すと、恥ずかしそうにくしゃっと髪を掴んだ。 「あ、ごめん。ついいつものクセで。そりゃあバイト出来る時間は限られてるし、生活費は年々物価上がって大変だし。あ、一人暮らしは今年からだけどね。高校の時から、学費も生活費も、ほぼほぼ自分で賄ってたから。まあ、本当はお金の心配なんて出来ればしたくないけどね。考えるの結構疲れるから」  そう言いながら、値引きシールが貼られた瞬間に、鶏肉をササっと手に入れていた。  今日は話が長くなりそうだから、鍋でもしようと言うことになった。瀬川のうちに、土鍋とカセットコンロ一式があったらしい。    鍋なら準備は切るだけで済む。細々したものは綾人と水町が購入することにして、穂村には野菜や肉類を選んでもらっている。 「鍋つゆとか買ったら穂村くんに怒られそうだなあ……でも、今日は話ができないといけないから、準備は最短で! 見てない時に鍋つゆ買っちゃう!」 「え、なんかそれ感じ悪いだろ。俺がその分多く払うよ。ちゃんとタカトにも納得してもらって一緒に選ぼうぜ」  そうして三人で必要なものを買い揃え、会計をしようとレジに向かった。セルフレジでもそこそこの人数が並んでいた。綾人はあらためて、金曜の夜はこんなにも混むんだなと周りを見渡した。 「ん……? なんか視線感じるな」  綾人は、溢れるような人混みの中で、こちらへ突き刺さるような視線があることに気がついた。そして、それを追いかけて探る。  キョロキョロと忙しなく視線を動かす綾人を見て、タカトが小さく耳打ちをした。 「見られてるよね。入口の方の青っぽい髪の男でしょ? 中身がカラのカゴ持って、さっきから俺たちの方を見てるよね」  そう言いながら、綾人に頬擦りをしてきた。人混みの中で何をするんだと焦っていると、その動きを利用して顔の向きをぐいっと変えられる。向けられた先に、その男はいた。  確かに青っぽい髪の男だった。じっとこっちを見ていて、綾人や穂村と目が合っているのに、逸らす気配も無い。やや顎を引き、睨めつけるような強い視線を送っていた。 「綾人、水町さん、あいつ知ってる? 俺は知らない。でもあの睨み方って、知らない人の睨み方じゃないよね。明らかに何か含んでる」  そうだよな……と言いながらも、綾人は少し引っかかっていた。あの目を、どこかで見たことがあるような気がしていた。あの男は知らない。  でも、あの目は見たことがあるような気がする。でもそれがどこでどういう時だったかまでは、思い出せない。 「とりあえず、顔覚えておいて、瀬川くんちに急ごう。早く話したいし、多分彼も話に出てくると思うから」 「てことは、水町はあいつを知ってるってこと?」  ブンブンと音がしそうなほどの勢いで被りを振りながら、水町は答える。 「直接の知り合いじゃないんだ。友達の幼馴染なのよ」  それなら知人であったとしても、睨まれるような覚えはないだろう。あんなに遠くから、それもこちらに気がつかれているにも関わらず、ずっと睨め付け続けている。  どうやったらそんなに恨まれるだろうか。理解できない心情が恐ろしくなり、綾人は背筋の熱が奪われていくのを感じた。すると、タカトが綾人の肩をそっと抱き寄せた。 「大丈夫だよ。心配しないで。てゆうか、勝てるでしょ。綾人が勝てないなら、貴人様が出てきてくれるよ。多分ね」  肩に触れるタカトの温かさに、きつく張り詰めようとしていた気持ちが緩んだ。そして、その手に自分の手を重ねて、頬を擦り寄せた。 「ありがと……でもなんか最後ちょっと無責任発言だったな」 「私も思ったー。穂村くんが守るんじゃ無いんかーいって思っちゃった」  プッと吹き出して、三人でゲラゲラと笑った。相変わらず射るような視線は気になった。でも、それはそのままにして、まずは瀬川の家に急ごうと、荷物を分け合って走り始めた。 ◇◆◇ 「瀬川ー、お邪魔しまーす」  すっかり暗くなってしまって、ようやく瀬川の家に辿り着いた。道中何度も話に花が咲き、立ち止まっては大笑いをするという状態になったのがいけなかった。  綾人が「いい加減に行かないと瀬川の家に泊まらないといけなくなるぞ!」と言うと、水町は慌てて「いや流石にこのメンツで泊まりは嫌だわ」と急いで歩き始めた。 「よし、とりあえず手を洗ったら急いで材料切ってしまおうよ」  ここからは、自炊派のタカトがリードする。綾人は指示通りには動けるけれど、手際が悪い。包丁はタカトに任せて、水町と鍋やカセットコンロ、箸やコップ等の準備をした。  瀬川はまるで亡くなっているかのように、微動だにせず眠っている。楽しく過ごしていても、時折目に入るその青ざめた顔が、やはりとても気になった。 「タカトー、エビの殻は剥くの? うちの親、剥か無いんだよ。タカトはどうしてる?」 「あー、キレイに洗えたり下茹でとか出来るなら剥かないけど、今日は時間もったいないから剥いてしまおうよ」 「了解ー」  言われた通りに綾人がエビの殻を剥き始めると、水町が何やらニヤニヤしながらこっちを向いていた。 「……なんだよ。エビの殻くらい剥けるけど」 「いや、そうじゃなくてさ」  セクハラする前の人のようなニヤニヤした笑いを浮かべて、水町は綾人の顔をまじまじと見つめていた。 「じゃあ何だよ」 「んー? うん、穂村くんはエビじゃなくて、綾人を剥きたいだろうなーと思って」 「はあっ!?」  綾人は剥いていたエビを、ボウルの中にボトっと落としてしまった。 「ば、ば、バカじゃねえの! どこのおっさんだよ、お前は!」  すぐに意味が理解出来ないほど、意外な方向からの会話が飛んで来てしまい、綾人はびっくりしていた。それに、長年一緒にいた幼馴染が、最近急におかしくなったことに、軽くショックを受けてもいた。  タカトも呆気に取られている。ただ、ややボーゼンとしながらも、こそっと「確かにそうしたいかも」と呟いたことは、水町には絶対に知らせない方がいい。    綾人は、まるでこの世で最も面白いことを言ったかのように、ぷっと吹き出してゲラゲラ笑っている水町を睨んだ。 「お腹が捩れそうなほど面白いわー! 何そのあんたたちの顔ー!」と叫びながら笑っている。  水町とは異性だということも手伝って、あまりそういう話をしたことがなかった。綾人に対して性別を超えて安心しきっているのだろうけれど、その面白がり方にこれまでの印象とのギャップがありすぎて困ってしまう。 「おい、もうわかったから、早く食べるぞ! そんな笑うほど面白くないって!」  一人でさっさとカセットコンロに火をつけた。タカトもタカトで、まだ何かブツブツ言ってる。綾人はその背中をひと張りすると、上目遣いに睨みつけた。 「……む、剥かせないからな!」  タカトはその綾人の顔を見ると、優しく目を細め「それは残念」と呟いて、綾人の頬にキスをした。  そうこうするうちに笑いも収まり、鍋も順調に仕上がってきた。そろそろ食べようかということになり、タカトが全員分を取り分けてくれる。  自分から鍋を提案したくせに猫舌だという水町を、綾人はやや軽蔑したような目で睨んでいた。 ——今日の水町、絶対変だ。  ここ最近の水町の様子は特に変で、いつも高いテンションがそれよりも数倍高く、よく意味のわからないことを言っては大笑いしている。熱でもあるのかと思ったことが何度かあるくらいだ。  今日も気をつけて見ておかなくてはならないなと思いながら、綾人は箸を手にした。 「瀬川ってさ、これからお祓いがうまくいったとして、目が覚めた時ってどんなふうになってんだろうな。何日も飲まず食わずじゃん? 寝たきりだし。ちゃんと生活出来んのかな。それがちょっと心配なんだけど」  綾人がタカトから器を受け取りながら、ボソっと呟いた。 「確かにねえ。こう何日も飲まず食わず動かずで、目が覚めてすぐに普通の生活が出来るようになるかどうかはわからないよね。普通に考えると、しばらく入院したりしないといけないだろうし、下手したらそのまま亡くなるかもしれないって考えるべきなんだろうけど……」  綾人は毎日瀬川の様子を見にきていた。日々弱っていく瀬川を見て、急がないといけないのではないかといつも焦っていた。  体のことに詳しくなくても、このままの状態が長引くのは良くないだろうというのはなんとなくわかった。早くしなければいけないという思いに、いつも急かされていた。 「あ、それについては、貴人様が急がなくても大丈夫だって言ってる」  タカトが白菜を箸で摘み上げながら言う。体の中から貴人様の声が聞こえたようだ。右目の奥が、わずかに紅蓮に染まっていた。 「そうなんだ」  水町は、まだ器に息を吹きかけている。かなり重度の猫舌らしい。よく鍋にしようなんて言葉が出てきたなと感心するくらいに、器の中の野菜は冷え切っていた。 「目覚める時は、祓いが終わった時なんだ。憑いていたものが消えたら、憑く前の状態に戻るはずだって」 「でもそれって、祓いのダメージがなければ、の話だよな」  綾人は貴人様が以前言っていたことを思い出していた。 『羂索でダメなら斬るしかなく、斬ることによるダメージは、斬られることそのもののダメージと、火で燃やされる複合ダメージを受ける』と言われていた。そのダメージが大きいと瀬川は死ぬ可能性もある。 「あ、そうか。そうだったね」 「どっちにしろ、早く対処しないといけないことに変わりはないんだよね」  うん、と綾人は頷いた。 「だから、あの時の生き霊が、誰なのかを突き止めないといけないよね」 「それなんだけどさ、生霊になりそうな人なんだけど……」  白菜をもぐもぐと食べながら、水町が口を挟んできた。そういえば、最初に会う約束をしていたとき、生き霊が誰かについてを話したいと言っていた。    水町は瀬川が倒れたあの時は、その場にはいなかった。ただ、ボランティアの日だったので、綾人と瀬川が追いかけ合っているのを見ていた人はそれなりにいた。水町はその目撃した人たちから話を聞いていたらしい。  でも生き霊というワードは、綾人とタカトしか知らなかったはずだ。それなのに水町は生き霊のことを知っていたし、それが誰なのか思い当たるようなことを言っている。 「あ、そうだ。その前にね、まずね、最初に伝えておかないといけないことがあるの」  改まってそういうと、箸をおいて二人をじっと見た。綾人とタカトは、水町が黙ったままこっちを見ていることに気づいて、「ん?」と目で返事をした。  水町は二人の顔をまじまじと見つめて、うんうんと何かに納得している。今日の水町はやっぱりおかしい。一体なんなんだろうかと訝しんでいると「パンパカパーン」とやや古臭いファンファーレのような効果音を口にした。 「えー、発表します」  そう言ってすうっと息を吸い込むと、古い瀬川のアパートが揺れて軋みそうなほどの大声を出した。 「実は、私も人間ではありませーん」  バラエティ番組に出てくる盛り上げ役のタレントかと思うほどのテンションでそう言ったかと思ったら、突然いえーいと言いながら踊り始めた。 「はあっ!?」  理解しきれない言葉の意味と、理解しきれない状態の水町を見て、綾人は思わず口から鶏肉をボタっと落としてしまった。

ともだちにシェアしよう!