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第34話 リミット
イトが光の中に消えていった後、陽太の記憶を消すことになった。事件に関わる記憶があると、これから先の人生において色々と不都合が起き、陽太自身が困ってしまう。そのため、前世に関わる出来事は全て忘れさせることになっていた。
イトの過去生において、貴人様がもっと上手く立ち回っていれば、ここまでややこしい問題にはなっていなかった可能性は否めない。それに、呪玉に惑わされてしまい、生き霊が陽太だとわかるまでにかなり時間がかかってしまったため、長い期間陽太を苦しめてしまっていた。
そのため、今回は特別措置が取られることになり、記憶を消す前に瀬川との思い出を作る時間をあげようということになった。陽太の記憶は、ウルが勤めを果たして天界へ帰る日、つまり節分の日まで残されることになった。
「あ、帰ってきた!」
北の空に、金色の鳶のような鳥が翼をはためかせている影が浮かんだ。それは驚くべき速さでこちらへと近づくと、あっという間にバルコニーへと降り立った。
「戻りました」
ストンと軽い音を立てて降り立ったウルは、タカトの顔を見て深々と息を吐いた。それは、そのあざを見て、今はタカトであることを理解したからだった。
ウルはイトを門番に引き渡すように言い渡され、その勤めを果たして来た。同時に、死者が通る最初の関所で、貴人様からの書簡を提出したという。
即地獄行き、しかもヤトどころではない長期間囚われる予定だったイトを、もう一度転生させて魂の罪を減らすチャンスを与えたいと上に陳情したらしい。
貴人様の指示とあれば従うしかないのだが、面倒ごとを頼みに来たウルにその役人は噛み付いたらしい。貴人様の代わりにかなりガミガミ言われたようで、すこぶる機嫌の悪い顔をしていた。
それが羽の動きにも現れていて、乱暴にバサバサとふり乱すものだから周囲は埃が待って仕方がない。
「翼があると羽で不満を表すんですね」
そう言って、陽太は目をキラキラさせて感動していた。その無邪気な姿は、とても生き霊を生み出して人を呪い殺そうとしていたようには見えない。
「ん? うん、まあ……。ごめん、落ち着きます」
自分の行いが恥ずかしかったのか、ウルは翼を収めると、しおらしく俯いて座った。そして、一瞬パアッと光に包まれたかと思うと、あっという間にヒト型に戻り、瀬川となった。
「そんなに怒られたのかよ」
綾人が揶揄いながら瀬川の肩に手を乗せると、瀬川は眉根を寄せて苦々しげな顔をした。
「それはもう、こっぴどくな。貴人様もわかってたんだろ? だから逃げてるよな……お前、穂村だろ? 絶対出てこねえよな。ほんっと、こういう時はずるいんだから……」
不服そうに口をへの字に曲げ、言葉にもその色を含ませているわりに、表情は楽しそうにしている。そういうことも承知の上で遣いをしているのだろうというのが、簡単に見てとれた。
「神様ってずるいんですか? 人には罰を与えるのに……酷いね」
そんな瀬川の様子を見て、陽太は楽しそうに笑っていた。瀬川はその陽太の笑顔を見て、悲しそうに微笑むと、徐に陽太を抱きしめた。
「えっ?」
優しくふわりと抱き竦められ、陽太は思わずドキリとした。その香りに、ほんの少しだけ記憶が刺激され、何かを思い出しかけた。それは、とても甘い記憶のような気がして、思わず顔を赤らめてしまった。
「あの……せ、瀬川くん、どうしたんですか?」
瀬川は、陽太を抱きしめたまま黙り込んでしまった。ただ言葉で答える代わりに、ほんの少しだけ腕に力を込める。所在無げにしている陽太が少しでも身じろぎをすると、すぐに抱きしめる力を強め、逃げられないようにした。
それが何度か繰り返されたのち、瀬川は陽太を抱き抱えたまま、さっきまで自分が眠り込んでいたベッドに陽太を座らせた。そして自分もその隣に座ると、綾人、タカト、水町に向かって「さっきの話なんだけど」とポツリポツリと陽太と自分のことを話し始めた。
「陽太は、前世で俺の夫だったヤンという男の生まれ変わりだ。俺は割と裕福な家の生まれで、ヤンは貧民の出だったけれど、俺と結婚してからは不自由なく暮らしてた。ただ、子供は出来ないから、貧しくて餓死しそうになっている子供を引き取っては育てて痛んだ。そして、その行いのおかげで、亡くなったら天人になることが早くから決まっていたんだ」
それを聞いて陽太は驚き、その場からパッと立ち上がった。そして、「僕たちが、夫夫だった……だから僕は君に惹かれたんですか? 僕自身が君を好きなのではなくて、僕の中の別の人が君を好きだっただけですか?」と瀬川に訊いた。
瀬川は、「はっきりと言い切ることはさくら様にしか出来ないけれど、そうかもしれない」と答えた。そして、思いが溢れ出そうに満ちた目で陽太を見つめ、「俺はヤンを探してた」と言った。
陽太の胸に小さく、鋭い痛みが生まれた。瀬川は愛おしそうに陽太を見ていた。それでも、陽太にはわかってしまった。
——瀬川くんが見ているのは、僕じゃなくて、僕の中の人だ……。
自分の生き霊を憑けてしまうほどに好きになった瀬川から、「俺の大切な人」だと言われて浮かれたのはついさっきだった。それなのにその気持ちが向かっているのは、自分自身では無いという事実が、陽太の心に再び闇を生む。
「ヤンは、俺が病死した後に寂しさから引きこもってしまった。そうすることで周囲との関係が断絶した後、ある人から唆されて陰間になったんだ。寂しいなら、他の人に抱かれればいいよ、って。裏切りだと思わなくていい。先に簡単に死んでしまったヤツがいけないんだよ。置いて逝った白状者に、君を責める権利は無いって言ったらしいんだ」
綾人はそれを聞いて、「それは身勝手な理屈だなー」と呟いた。瀬川はそれに「普通はそう思うよな。でも、ヤンは引きこもりすぎて判断が出来なくなっていたみたいなんだ。その暴論を信用してしまって、柳家に入った」
それからは数えきれないほどの客を取り、ヤンはさらに裕福になっていった。元々借金があったわけでは無いから、店に借りなどない。ただ手元にたくさんのお金が溜まっても、使い道がなく途方に暮れていた。
「返済目的な訳でも、身請けを願っているわけでもなかったから、今度は生きる意味を見失った。そこへまた唆しに来た輩がいた。そいつはヤンにこう言ったんだ」
「……人肌でも解消できないほど寂しいのでしたら、追いかけていけばいいじゃ無いですか……ってヤツ?」
驚いたことに、それを答えたのは陽太だった。全員そのことに驚いていた。何を言われたかということを知っているのであれば、その頃の記憶があると思ったからだ。
ただ、それは違ったらしく、みんながそう思っているだろうことを察した陽太は、思い切り被りを振って否定した。
「ううん、違うよ。記憶があるわけじゃ無いんだ。でも、そう言われる夢は何度も見たことがあるんだ。何度も、ね」
「あ、じゃあ俺と一緒だよ。俺も、ヤトさんの記憶は無いんだ。でも、時々彼の経験したことを夢に見るんだよ。ただその夢も自分の記憶として見ているんじゃなくて、ヤトさんの記憶を俺が見てるって感じ。川村くんもそう?」
陽太は驚いて目を丸くすると、綾人の方へと駆け寄った。そして、そのTシャツの裾を掴むと、何度も首を縦に振ってそれを肯定した。
「そう! 思い出すっていうよりは、知るっていう感覚。夢を見たとしても、それは他の人の記憶であって、僕はそれを映画で見ているような感じです。……まさか同じことを経験している人がいるとは思わなかった!」
そう言って、綾人と「すごい、一緒だ!」と何度も言い合いながら、なぜかハイタッチをしたりした。この不思議な経験をしている人が自分以外にもいるなんて、綾人にも陽太にも信じられなかった。そして、お互いの存在があることが、とても心強かった。
そうやってはしゃぐ二人の隣で、タカトは難しい顔をして考え込んでいた。それに気がついた水町が、タカトに「何か引っ掛かるの?」と問うと、「うん……」と生返事をして、またしばらく考え込んでしまった。
「唆した人物が気になるのか?」
考え込むタカトにそう言ったのは、瀬川だった。その顔は、普段の瀬川とは打って変わって、キリッと引き締まったものになっていた。普段の瀬川とは似ても似つかず、どういった態度で接したらいいのかがわからず、タカトと水町は戸惑った。
「あー、今はウル? それとも瀬川のまま? 誰だと思って話せばいいのかがわからないな……」
すると、瀬川は「ああ」と笑いながら、その詳細を説明した。
「俺はウルだけど、瀬川でもある。この体には一人格しかない。ウルが人型の時に瀬川と名乗っているだけなんだ。俺は神の遣いだけれど、天人にはなりきれてない天狗だ。実態があるから、誰かの体を借りる必要がないんだよ」
「へえ、そういうもんなんだね……確かに天狗は修験の行者って説があるし。そうなると人間だものね」
タカトは納得したようで頷いていたが、水町には理解できず、「とりあえず、ウルも瀬川も同じ瀬川だと思って話してくれればいいから」と言われて、ようやく納得したようだった。
「で、唆した人についてなんだけど、瀬川は知ってるってこと? それとも……」
瀬川はタカトが最後まで話終わるより前に、自分の口元にその長い人差し指を当てて「シッ」と言った。さらに徐にタカトの頭を掴むと、タカトの唇に自分のそれを合わせた。
「ぎゃー!」
叫び出したいのはタカトであるにも関わらず、実際に叫んだのはその他の三人だった。水町は目の前で二人のキスを目撃したことで逃げ出してしまい、綾人はタカトの唇を奪われたことで瀬川に激怒し、陽太は好きな人が他の人とキスをしたことで悲しんでいた。
三人はギャーギャーと喚いていたのだが、当のタカトは最初こそ抵抗していたものの、そのうちになぜか真剣な表情で全く身じろぎもしなくなった。
そして、瀬川がタカトの唇を離すと、真剣な表情で無言のまま顎を引いた。
「この話はこれまでだ。理由は後でそれぞれ伝える。ただ、今伝えておかないといけないことがあって……佐々木恵斗についての記憶なんだけれど、凛華ちゃんと桃花ちゃんからは完全に消すことになったから。そして、呪玉についての記憶もね。二人には俺と陽太は恋人同士ってことで記憶してもらう。節分までだけど、ね」
瀬川がそう告げると、陽太は目を伏せて唇を噛んだ。そして、その日が来なければいいのにと願いながらも、「わかりました」と頷いた。
瀬川は、綾人が節分の日までに行う試練を支えるためにここにいる。だから、その日が来れば、必ず天界へと戻ることになっている。つまり、その日が来れば、陽太は瀬川を諦めるしか無くなる。
「うっ……」
陽太は物分かりのいいふりをして答えたつい今し方の返事に、早くも後悔していた。これまでの人生で、駄々をこねたことなどほとんど無かったのだけれど、今日は思い切りそうしたい気分だった。
気がつくと、頬が濡れていた。どれほど泣いても無駄なことはわかっているのに、それを止めることが出来なかった。陽太にとって、これほど無駄なことは無いと思う、泣き落としにかかろうとしている自分に驚かされた。
「あのっ……どうにかして、瀬川くんと今の僕がずっと一緒にいることは出来ないでしょうか? 僕、人間です。瀬川くんは亡くなっているんですよね? じゃあ、もう今のままずっとそのままなんですよね? せめて、僕の寿命が尽きるまで一緒にいることは出来ないんですか? ……せ、瀬川くんがそれを望んでくれないと意味はないけど、そうであるなら、どうにかして、少しでも一緒に……」
話しながら悲しみが加速していき、言葉が胸に詰まった。歪んでいく視界に、これまで話をすることも叶わなかった人がいる。
こんなにも近くにいられるようになったのに、思い出を作る時間を過ごした後には、陽太は瀬川のことを忘れなくてはならない。それが、たまらなく悲しかった。
「僕は……瀬川くんのことを、全て忘れて生きていくのは、嫌です。忘れないといけないなら、もう今人生を終えてもいい……最後まで、瀬川くんを好きでいたいです」
「川村くん……」
瀬川の胸にしがみついて泣く、陽太の姿が悲しかった。出来ることなら、彼の望みを叶えてあげたいと綾人は思っていた。でも、それが不可能であることは、自分が一番よく知っている。
「そうだよね。そう思うよね。どうして今世の人格だけだ我慢しないといけないんだろうね。俺もそこは納得いってないんだ。綾人だって、節分で消えてしまう。しかも、俺はそれを忘れることが出来ないらしいんだ。残りの人生、ずっと寂しいままってことが確約されてる。酷い話だよ」
未だにこの運命に納得がいってないタカトは、陽太に同意して一緒に泣いた。その涙を見ていると、そうさせているのは自分の運命なのだという思いで、綾人の胸が痛んだ。
「ただ、川村くん。瀬川のことを信じてあげて。今その話をすることは出来ないけど、さっき分かったことがあるんだ。きっとそれを知る機会はあるよ。言葉にすると都合の悪いことがあるから、そう出来ないんだ。ね? 信じてあげて? そして、残りの時間を目一杯楽しんでよ」
タカトはそう言って陽太の背中に手を当てた。すると、陽太にタカトのいう『言葉にすると都合の悪いこと』が伝わる。陽太の体が驚きと期待でビクンと跳ねた。
「わ、分かった。信じるよ」
そう言って振り返った陽太の顔は、頬にうっすらと赤みが刺し、とても幸せそうなものへと変わっていた。
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