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第1話

 個人情報保護法の影響で試験の学年順位が廊下に貼り出されなくなった。全校生徒の目に晒してもらえれば俺が如何に優秀かがすぐに周知出来るかというのに。  仕方ないから俺は隣のクラスのど真ん中で杉村に勝負をしかける。 「杉村ぁ! 果たし合いじゃあああああ!」  学年唯一のアルファで背が高くて顔が良くていつも女に囲まれている。それが杉村。俺の熱量のある挑戦状を涼しい顔して受け取って、「おー、来たな」と振り返る。俺とこいつは中学時代からのライバルだ。  きっかけは当時、俺が付き合っていた彼女に「他に好きな人が出来た」と言われたことだった。初めて手を繋いでデートをしてちゅーもした人生で初めて出来た可愛い彼女。てっきり俺にべた惚れだと思っていた彼女から、まさかの告白だった。何度もテストで間違えた青天の霹靂という難しい漢字をこのときばかりはすぐに頭に浮かべることが出来た。  相手は誰だと聞けば、杉村青。青と書いてあおいと読む有名人。アルファとベータとオメガっていう新たな性が存在するこの世界で、絶対的支配階級に居るアルファ性の男。  俺は泣いた。泣きながら叫んだ。 「杉村ぁ!!」  杉村は欠点の無い男だ。勉強だってスポーツだって容姿だって性格だって百点満点。だってアルファだから。アルファなんだから仕方ない、ベータの俺が勝てるわけが無い。俺はそうやって何処かで諦めていたのかもしれない。俺は自分の今までの行いを恥じた。そして悔い改めた。  女を盗られて黙ってちゃ男がすたる。 「決闘だあ!!」  やってることは高校生になった今と何も変わらない。中学でも俺は教室のど真ん中で杉村に勝負をしかけた。周りを取り囲む杉村のファンの女子達に「何あれ?」と白い目で見られた。教室中の注目を浴びながら、俺は杉村の返事を待つ。  杉村はびっくりした顔で振り返り、俺を上から下まで見た。  その頃の俺は成長期前。高い声、低い身長、兄貴のお下がりのだぼだぼの制服。 「──いいよ」  負けるわけがない。そんな奴の余裕が笑顔の下から透けて見えた。  それからはいつだって二言返事、俺が勝負をしかける度に杉村は乗ってきた。勉強でもスポーツでも生徒会選挙でも、勝負が出来るところではあらゆるところで杉村に勝負を仕掛けた。結果はいつも俺の惨敗。「お前まだ諦めねぇの」と周りからは常に茶化され続けた。  白状しよう。俺は彼女のことなんてどうでも良くなっていた。  ただ単に、いつもスカした顔をしている杉村に、一泡吹かせたくてたまらなかった。  転機は、中三のときに訪れた。  先の生徒会選挙で負けた俺は生徒会副会長、杉村は生徒会長だった。選挙運動中、杉村に挑み続けた俺は、優秀アルファの杉村に楯突く凡人ベータとしてすっかり全校生徒に周知され、そして支持されるようになっていた。人は得てして弱い方を応援したくなると言う。杉村に負け続けていた俺は冷やかしと冗談で「頑張れー」「次こそ勝てよ」と声をかけられるようになっていた。それが俺の勝負魂に火をつけた。  中学最後の体育祭、最終種目のリレー、アンカー。  そこで俺は杉村と一騎打ちになり、見事、勝利した。  阿鼻叫喚の杉村の取り巻きの女子達、それよりも大きく湧き上がる歓声。「遂にやりやがった!」と俺を賛美する声。  俺は泣いた。泣き叫んだ。 「見たかこのやろー! 遂に! やったぞ!!」  まだ整わない息と涙と嗚咽が混じりながら、俺は杉村を指差した。同じ様に走り終わったばっかりで息が上がってる杉村は、口で息をしながら、目を丸くして俺を見た。 「ぶっ、あはははっ!!」  そして、吹き出して笑った。  期待と違う杉村の反応に今度は俺が目を丸くした。俺はこいつの苦渋を舐めた表情を、悔しくてたまらないという敗者の顔をさせたかったのに。 「高橋、お前、ほんっっっとに!」 「うおっ」 「最高!」  がっ、と肩を組んで俺を賛辞する。それは俺の知ってる杉村と違った。いつも余裕しゃくしゃくで涼しい顔をして俺の勝負を適当に受け流していた奴の、初めての熱くなった顔。 「次は勝つよ」  ──ああ、そうか。負けてない。  俺も杉村も負けてない。諦めなければ勝負は続くんだ、ずっと。 「高橋は俺のライバルだ」  ずっと王者面していた杉村がようやく俺を認めた。その瞬間、俺は挑戦者じゃ無くなった。  友と書いてライバルと読む。  ずっと競い続ける。  それからも杉村と勝負を続け、俺は杉村と同じ高校に進学し、学年トップクラスの成績を誇り、所属するサッカー部でエースとなっていた。でもまだまだ、そんなことは杉村と勝負するために同じ土俵に上がっただけのことに過ぎない。俺の目標は杉村に勝つこと、それだけだ。 「お前のクラス、もう全部テスト返ってきたの? 俺の方まだなんだけど」  クラスの中心に居る杉村に向かって、テスト用紙を握りしめながらずんずん進んで行けば、俺が辿り着く前に杉村の方が輪の中から出てきた。こいつは高校でも女子に囲まれている。  俺が中間テストの結果で勝負をしかけてきたと悟った杉村が、まだその準備が出来ていないと言い始めた。 「何だそれ、勝負出来ねぇじゃん。明日返ってくる?」 「とりあえず物理、物理見せて」 「おお、なんだ、どうした、自信ないんか? ん?」 「あっ、やべ」  俺の手から物理の答案を奪い去り、その点数を見た杉村が顔を歪める。 「五点も負けてる」 「よっしゃ来たあ!」  惜しみもせずガッツポーズ。まずは一教科の勝負、勝った。「え〜〜〜?」って不満げな杉村の表情、頂きました。 「今回の物理難しかったから、高橋も点数悪いと思ったのに」 「得意教科だかんなー、俺、物理得意教科だかんなー」 「この得意げな顔だよ」  ムカつく。そう言って笑いながら杉村が俺の腹筋を拳で突こうとする。難なく受け止めて、ドヤ顔をして見せる。  中学最後にようやく俺にも成長期が訪れ、声が低くなり、背が伸びた。アルファの杉村にベータの俺が追いつけるわけがないけど、こうやって小突き合ったり、肩を組んでも不自然にならないようになった。 「あれ、そういえばお前なんでまだ居るの」  俺の答案と、杉村の返ってきてる分の答案用紙を机の上に広げ、一通り一喜一憂した後、杉村が俺に聞いてきた。質問の意味が分からなくて聞き返す。 「何で、とは?」 「サッカー部、今日から練習あるんだろ。うちのクラスの奴らもう行ったけど」 「あー、そうか」  そういえばそうだった。テストが終わって、休みだった部活がまた始まるんだった。すっかり忘れていた。 「そうか、って」  俺の気のない返答に、はあ、と杉村がため息をつく。 「お前さあ、そういうところだよ。サッカー部で嫌われてんの。練習行けよ」 「練習行かなくても俺がエースなのは変わりませんしー。みんな下手すぎんだもん。やる気出ねぇよ」  杉村が居たなら違ったかもしれないけど。  常に杉村と競い続けた俺の運動神経は最早アルファ並みで、並大抵の奴には負けない。一日や二日練習を休んだところで、エースの座は揺るがない。 「何でバスケ部入らなかったんだよ」  バスケ部エース様の杉村が俺を睨む。 「そんなぬるいこと言えないようにしてやったのに」 「だってバスケとか、すげー身長関係あんじゃん。背が高いお前のアドバンテージ、ずる過ぎじゃね? 俺は努力してもどうにもならないところでは勝負しねぇ」 「チームスポーツなんだから味方同士だぞ、俺ら」 「それもつまんねー」  どうせなら敵同士になって勝負したい。 「次のインハイでどっちがより多く勝ち進むか勝負しようぜ」 「……いいよ。それはいいけど」  杉村が言葉を切って、何か言いたげな表情で俺を見る。何だよ。そんなに俺が練習しないのが不満か。勝負するんだから、俺が練習しない方が杉村は勝ちやすくなっていいんじゃないか?  俺は負けねぇけど。 「……わーかったよ、行きますよぉ」  杉村が黙ったまま俺を睨み続ける。根負けして俺が広げていた自分の答案用紙を引っ掴んで立ち上がると、ようやくニコッと笑って「そうか」と声を出した。人好きのするその笑顔は杉村の女子人気の要因の一つだが、俺には効かない。 「杉村クンのその真面目くさったところ、まじめんどくさい」 「ライバルには常に全力で勝負して欲しいからな」  杉村に諭されたような形になって、ムカつく。  杉村に言われてサッカー部に来てみたけど、元々来るつもりが無かったから、練習着も靴も家だ。ロッカーに置きっ放しだった体育用のジャージと運動靴で参加したら、キャプテンに「やる気あんのか」と言われた。  やる気は、無いです。  でも、先輩と揉めてレギュラーから外される気もない。  上辺だけの謝罪をすると、先輩はため息をついてゲームに混ざれと俺に命じた。 「ようやく来たよ、大エース様が」  軽くアップしてグラウンドに出ると、里田にやじられた。一年生でレギュラーなのは俺とこいつだけだ。 「なんだ、俺の代わり、お前だったのか」 「代わりじゃねーよ! 俺もまだ出るからな」 「ポジション被ってんだからどっちかしか出れねぇよ、引っ込め」  しっしっ、と手で里田を払う。一瞬、里田にきつく睨まれたが、すぐにグラウンドの隅へと走っていった。俺が来たら交代するよう先輩に言われていたんだろう。もしこれが本当の試合だったら里田はこんなにあっさり退かない。  やっぱりゲームでも所詮練習だ、どうだっていい。適当に流そう、と足下にやってきたボールを蹴る。  適当にやったってチームメイトじゃ相手にならない、ぽんぽんとゴールにボールを放り込む。「真剣にやれ!」と里田がフィールドの外で叫んでいる。その声に俺は、返事をしなかった。 「……あっつ」  暑い。  やけに暑くて息が切れる。ジャージの裾で汗が浮かんだ額を拭う。体が火照ってぼんやりする。考えるのが億劫で、とりあえずやってきたボールをゴール前に運んで、パスなり自分で叩き込むなり仕事する。体に染み付いた動きをするだけで、頭の中はずっとからっぽだ。  もしかしてこれがランナーズハイ状態か? 真っ白な脳内にぽつっと浮かんだシミのように、そんなことを考えていたら、側頭部にボールが強打した。 「高橋!?」  体が崩れ落ちる。 「え、どうした!?」 「大丈夫か!?」  続々とチームメイトが周りに集まってきた。  ぐわんぐわん鳴ってる頭の中と、じんじんと広がる鈍い痛みに、少しずつ頭の中が冷めていく。冷たい地面が気持ちいい。  ──あ、俺、 「わあああっ!?」 「うおっ」  飛び起きた。  俺の叫びにびっくりした先輩が、俺を覗き込んでいた体を反らした。そうだ、みんな、俺から離れてくれ。全身強打した身体は相変わらず鈍痛を発していたが、羞恥心がその痛みに勝った。  だって、俺、勃ってる。  ──勃起してる。 「すんません、俺、体調悪いんで帰ります……!」  なんでこんな、なんで今? 下半身に血が集まって、パンツを引っ張り上げてるのが分かる。やばい、これ、周りにばれる。ますます息が上がって、喋るのも辛くなってくる。  如何にも腹を強打したかのように装って前かがみ。その状態で野次馬をかき分け、グラウンドから脱出した。 「え、お前、大丈夫なのかよ!?」  すれ違いに里田が俺に声をかける。それに「放っておけ」と言い放った先輩の声は呆れたものだったが、今の俺にそれを気にする余裕は無かった。 「なんで、なんで」  思考がとっちらかってるから、言語も稚拙になる。がちゃがちゃと部室の鍵の暗証番号を回す。手が震えて上手く回せず、二回間違えて、ようやく開いた。倒れる様にして中に入り込み、横開きの扉を足で無理矢理閉めた。 「こんな、おかし……っ」  冷たいコンクリート床に、はあ、はあ、と熱い息を吐きかける。自分で触っても、自分の体温がおかしいことが分かる。熱い。下半身の中心に集まってくる。 「うわ……くそ……っ」  みんなが使う部室で勃起ちんこを出すなんて、はしたない。そうやって脳内では理性が働いていたのに、ボクサーパンツにぴっちり貼り付いた感覚が痛くて、手が勝手にズボンと一緒にパンツを下げていた。 「あ、うあ」  パンツから出てすぐ腹に引っ付いた。フルで勃起してるペニスが、先端を開かせて、ひくひくと震えてる。触ると、電流が走ったように気持ちがいい。先から透明な液が溢れ出た。  呼吸を荒くして、扱くことに夢中になる。今までやってきたどのオナニーよりも気持ちいい。何ならセックスよりも気持ちいい。ここにはまんこもAVも無い、ただただ自分の痴態だけをオカズに、ペニスを擦り上げる。自分の先走りだけで上から下まで濡れた肉棒が、ぬちゅぬちゅと水音を立てる。上り詰めるのは、すぐだった。 「あああっ、あっ、あ」  イクときに初めて声を上げた。床に落ちる精液。サッカー部の部室に広がる白いシミ。拭かなきゃ、なんて思ったのは一瞬だけだった。だって、まだ。 「なんで……」  射精する前と変わらない角度と固さ。一回出しただけじゃ治まらない。 「……うう」  治めなきゃ、どこにもいけない。ここに居てもサッカー部の誰かが戻ってくるかもしれない。他の部活の奴にばれるかもしれない。焦りがより体を熱くして、ペニスを擦る手の動きが早くなる。  もう一度達して精液を吐き出し、尚も治まらない熱に、違和感を感じた。いくら性に多感な時期と言っても、いきなりこんな勃ちっぱなしの状態になるわけがない。呼吸を落ち着け、自分の身に起こったことを考える。  火照った体の中で、一カ所だけ冷たい場所がある。 「はっ……?」  恐る恐るその場所に指を当てる。ぬるついた感覚。すぐに触れた指を目の前まで持ってきて、その感覚が正しいものか確認。正しい。濡れてる。違和感は、濡れた液体が冷えた感覚だった。  尻が、濡れてる。  中学のときの保健体育で聞いた事があった。いわく、この世にはアルファとベータとオメガという三種類の性があり、そのうちオメガに該当するものは、男女関わらず妊娠が出来る体だと。  三ヶ月に一度の発情期があり、男のオメガはセックスするために、尻が濡れると。 「嘘だろ」  まさしく今の状態と同じじゃないか。 「嘘だ……ッ!」  中途半端に引っかかっているズボンに足をもつれさせながら、壁際に移動する。二回吐き出して少し言うことを聞く様になった体で、自分のロッカーを開く。タオルを引っ張り出して、濡れた部分を拭った。  洗濯しては何回も使っているスポーツタオルは毛羽立っていて、そのちょっとした突起に体が反応した。たったこんなことで、足が震える。  俺の両親は二人とも平々凡々のベータ、その他知ってる限り親族を遡ってみてもオメガは見当たらない。俺がオメガなはずがない。そう信じたいのに、目の前の現実に、頭が最悪な出来事をシミュレートする。  オメガは発情期になる度にフェロモンをまき散らしてアルファやベータを誘惑する。今この状態が発情期だったとして、俺がオメガだとしたら。今、他のアルファやベータに見つかったりなんかしたら。  ──頭の中が急激に冷めていく。  見つかる前に早く何処かに隠れなければ。このまま部室に居ても練習が終わればいずれ部員が戻ってくる。身なりを整えて、荷物を引っ掴んで部室の扉に近づいて、外の気配を伺った。  鉄骨校舎の部室棟は足音がよく響く。誰か歩いてきたらすぐ分かる。ちょうど足音が聞こえて、持っていた荷物を強く握り直した。  ──近い。  ここの前を、通る。  部室の扉は明かりを中に入れる様に窓がついていて、ざらついたガラス窓だが、人のシルエットくらいは分かる。窓に映らない様、隠れるように座り込んで、足音が近づいてくる音を聞いた。一層音が大きくなったときに、ぴたっと、止まった。立ち止まった。ここの目の前だ。  もしかして、サッカー部か。  心配した里田が俺を見に来たのか、呆れていた先輩が俺を叱りにきたのか。  ──嫌だ。どっちも嫌だ。こんな醜態、晒したくない。 「……高橋? もしかして、いる?」  いずれにしても最悪だと思っていた俺に、更に好ましくない状況を問いかける声が教えた。血の気が引く。  咄嗟に開かれる扉を押さえようとする。けど、力が入らなくて、敵わなかった。呆気なく開き戸が開いて、目が合う。 「え」  目を丸くした杉村と目が合う。 「あ……ああっ……」  何だこれ。  ぶわっと広がった慣れない香りに圧倒された。後ずさりして、杉村から距離をとる。やがて、壁際に置いてあったベンチにぶつかり、そのままそこに膝を折って座った。  そうか、これ、アルファのフェロモン。  汗が混じったような、だけど酸っぱくない、芳醇な香り。 「高橋、お前」  今までそんな香り、杉村から感じたことが無かった。いつも爽やかで、本来なら洗濯洗剤の匂いでもさせてそうな杉村が、俺に言う。 「オメガなのか」  それは俺にとって目を背けたい現実で、今この状況は、考えうる限り最悪なシチュエーションだった。アルファである杉村の言葉に、最終通告を得る。終わった。  オメガの発情期に、アルファは逆らえないのだから。 「やだ、嫌だ、違う……っ」  俺はオメガじゃない。だからアルファを誘惑しない。杉村とはセックスしない。  杉村が後ろ手で扉を閉める。俺に向かって歩く途中、床のシミに気がつく。俺がさっき吐き出した精液だ。 「見るなよ!」 「……発情期だ」  いつもより低い声で更に杉村は俺が背けたい現実を告げる。靴底でぐいっと床を拭いて、大股で近寄ってきた。 「すごい、いい匂いする、高橋」  ベンチに辿り着くと俺の横に座る。顔を寄せて匂いを嗅ごうとする。思わず体を反らして逃げるが、すぐに腰に手が回り、抱き寄せられた。  杉村に密着して、俺が感じてる杉村の匂いも濃くなる。 「うああ……」  ぐらぐらする。アルファのフェロモンって、こんなに凄いのか。  アルファとオメガはお互いに惹かれ合うように出来ている。お互いに発するフェロモンに影響し、性衝動を起こす。  杉村に抱きつきたくなるのを必死に抑える。 「……可愛いな、高橋」  ──は?  聞き慣れない言葉に思わず顔を上げる。杉村の顔を見れば、はあ、と熱を持った吐息を吐きかけられ、ぞくりとした。目が違う。いつもの杉村の目じゃない。恍惚と細められる瞳に、俺の顔が映ってる。  杉村の手が顎に添えられ、顔の向きを固定された。 「うあ、やだ、嫌だ、やめろ!」  顔が近い。何をされるか分かる。  嫌だやめろを繰り返しながら杉村の腕を掴むが、縋り付くのが精一杯で、とてもその手を離させることなんか出来ない。くそ、なんでこんなに、体の言う事が聞かない。 「んッ……!」  唇が合わさって、咄嗟に口を閉じる。杉村の舌が唇に当たった。ぬるついた感触に、緩みそうになる。何度か俺の唇を舌で突いたあと、杉村は唇で俺の唇は挟んで、啄むようにキスをし始めた。 「んっ……ん……」  たったそれだけの事だ。何回愛撫されたって、唇は性感帯じゃない。感じるわけがない。それなのに声が漏れて、息が上がってきた。訳が分からない。  繰り返される度に頭がぼんやりしてきて、油断してしまった。俺が力を弱めた隙をついて、杉村が口内に舌を差し込んでくる。 「んんっ……やだ、ってぇ、やめろ……っ」  俺が言葉を発すると、杉村は更に大きく口を開いて覆い被さってくる。密閉されるように口を塞がれて、何も言えなくなった。くちゅくちゅと、口内の水音だけがダイレクトに響く。舌を絡めとられ、歯列をなぞられ、逃げ場が無くなる。  気持ちいい。  体を支えて欲しくて、杉村の肩に手を回す。  たまに息継ぎに口を離されても、はあ、はあ、と酸素を取り込むことしか出来なくて、またすぐに塞がれる。発情した杉村の目が俺の顔をずっと見ていて、目が離せない。  気持ちいい。  気持ちいい。 「んあっ、ひっ」  腰を抱いていた杉村の手が下がってきて、びっくりして腰が引けた。杉村が、俺のジャージの中に手を突っ込んで、尻を触ってきた。 「うわっ、ばか、やめろ……!」  尻穴をなぞられる。さすがに許容出来なくて、ぐっと力が出せた。杉村の肩を押して顔を離し、拒否の言葉を叫ぶ。だけど体が離れたことを良いことに、杉村はベンチの上にあぐらをかいて座り直し、俺の体を持ち上げる様に腰を抱いて促して、引き寄せた。杉村の胸に倒れ込む様にしておさまる。杉村は更にあぐらをかいていた足を広げて、俺の股に滑り込ませた。無理矢理、杉村の足の上に座るような形になった。  下半身が密着する。杉村が勃起してるのが分かる。 「あっ、ああっ」  勃ちっぱなしの俺のものと当たって、また腰が引けそうになる。杉村はそれを許さず、遂に尻穴に指を入れこんできた。やめろ気持ち悪い、と口から文句が出たのは一瞬で、抜き差しをされるとすぐに何も言えなくなった。 「あっ……あっ……」  勝手に腰が揺れる。  気持ちいい。 「はあっ、はっ……」  杉村の荒い吐息が耳に直接吹き込まれる。耳穴に舌を入れ、俺の体を震わせると、杉村は他にも俺の感じるポイントを探すように舌を這わせ始めた。耳裏、首筋、鎖骨と、たまに強く吸い付きながら降りていき、その度に俺はびくびくと体を震わした。乳首まで辿り着くと、一瞬、自分の中の期待にも似た思惑を感じ、杉村がそこに唇を当てるのを目で追ってしまった。 「あっ! あっ、あ」  ああ、やっぱり、気持ちいい。神経に電流が走るのが分かる。甘噛みされてより一層の刺激を加えられると、尻の穴がぎゅっと締まった。杉村の指を締め付け、そこでもまた感じてしまう。  初めてでアナルが感じるなんて有り得ない。何でこんな、どうしてこんなことになったのか、どろどろに溶けた思考で考えていると、杉村が俺の尻穴から指を抜いた。  自分のベルトに手をかけている。 「あ……っ、やだ、やだ……っ」  さっきから杉村の大きくなったペニスを感じてる。俺のに当たって、擦り付けられてる。勃起した男にアナルを解されたら、次は何をされるか嫌でも分かる。  犯される。  杉村に、犯される。 「やだ、やだよぉ……っ、お前だけは嫌だ、くそ、やめろって……!」  杉村はアルファだ。男に犯されるなんて誰が相手でも最悪だが、杉村はその中でも特別だ。  アルファは発情期のオメガの首筋に歯形を作ることで、番として自分のものにすることが出来る。番になったオメガはその後、セックスが出来るのは番のアルファ相手だけ。他の者としようとすると、強烈な嘔吐や気持ち悪さが襲うらしい。  もしも番になってしまったら、これから一生、ずっと杉村に縛り付けられる。  ──でも、俺が一番怖いと思ってるのは、それじゃない。 「も、頼む……頼むから……杉村だけは嫌だ、杉村だけはやめてくれよぉ……」  こんなことをして、今まで通りで居られるはずがない。  中学からのライバルで、最初はずっと負け続けて、ようやく競えるところまで来たのに。やっと対等になって、こいつも俺を認めるようになったのに。俺は杉村がたった一人認めてる、唯一無二のライバルなのに。  抱かれたら駄目なんだ。抱かれたら負けだ。だってこんなに気持ちいい。快楽をくれると知ってる相手に、その後も楯突いて挑み続けられるだろうか。くやしくて涙が出た。  このままじゃ、ようやく俺が杉村と同じ高さまで築き上げた足場が崩れてしまう。 「……何だよ、それ……」  もう取り繕えなくて、杉村の腕の中で泣き始めた。俺の嗚咽に混じって、ずっと黙っていた杉村が久しぶりに言葉を発する。 「俺だけが嫌だって、何だよそれ!」 「うっ、あっ」  ベンチに押し倒された。簡素な造りをしているベンチが軋んで、嫌な音を立てる。幅の狭いベンチは俺の背中の全部を支えてはくれなくて、少し体を傾けたら落ちそうになる。思わず杉村の腕に縋り付いて、支えてもらう。 「お前、いっつも無能って馬鹿にしてる里田の方が、俺よりマシだって言うのか?」  杉村の低い声が降ってくる。さっきまでと違う敵意を孕んだそれに、ぞくりとする。  何でか知らないが、杉村が怒ってる。意味が分からない。いきなりキレんなよ。いつもだったらそうやって言い返せるのに、何も言えない。どうしてだか申し訳ない気持ちが浮かんでくる。  何も言わない俺に、杉村が更に怒鳴る。 「少し先に生まれたくらいでいい気になってんじゃねーよって、いつも言ってるサッカー部の先輩の方が、俺より抱かれたいのかよ!」 「ひっ、ああっ」  ペニスをぎゅっと握りしめられ、背を反らす。さっき自分でしたときとは比べ物にならない快感に、叫ぶような声が出る。  なんだこれ、なんだこれ。今までと全然違う。 「ああっ、まって、ちが」 「何が違うの」 「うあっ、ひっ」  違わない。杉村が言ってる事は何も違わない。確かに、どうしても抱かれなきゃいけないなら、杉村より里田や先輩の方がいくらかマシだ。  杉村との関係が壊れてしまう事に比べたら。 「すぎむらぁ……やだぁ……っ」  こいつに犯されたらもう、俺の負けなんだ。ライバルじゃない。対等じゃなくなる。  手早くジャージとパンツを俺から脱がせ、杉村が取り出した自分のペニスを尻穴に引っ付けてくる。何とか足を閉じようとするけど、杉村に足を抱え込まれ、密着させられた。  尻穴にペニスが入ってくる。 「ひ、あ、ああああっ」  嫌だ、駄目だ、と脳内が警鐘を鳴らしてる。でも体が言う事を聞かない。肉壁をこじ開け、中が開かれる感覚に逆らおうと、尻がひくひくと収縮する。尻の動きに合わせて足がぴくぴくと震える。 「あ、ひっ……なんでぇ……っ」  気持ちいい。今までの俺の性体験の中で、一番気持ちいい。同時に、人生で一番の絶望が、脳内に広がる。  見上げれば、杉村が居る。俺を組み敷いて犯す杉村が。  これから先、俺はずっとこんな風に杉村を見上げ続けるのだろうか。 「ぐっ、あっ、ああっ」  杉村が上体を倒し、更に深く突き立ててきた。まだ、まだ入る。俺の知らないところをどんどん開いていって、杉村が俺の中に侵入してくる。ぬるぬるした液体が穴から溢れてくる。初めてなのに痛くない、たっぷり中が濡れているのだ。  とろとろの中に肉棒を突っ込まれ、動いてもらってすらいないのに、勝手にひくついて感じてる。女みたいだ。  動かされたらどうなるんだろう。  怖い。 「俺が一番、高橋を気持ちよく出来るよ」  杉村がそう宣言して、実行に移す。確かにそうかもしれない、と思った。今まで感じたことが無い快感に、今まで出した事が無い様な声が出る。 「あうっ、あっ、あっ」  何度か出し入れして中の確認をした後、杉村はパンパンと音を立たせてピストンし始めた。強い刺激に尻の穴が締まる。そうするとペニスの擦り付けられる感覚が強くなって、ずりずり、俺が中で杉村のペニスを扱いてるようになる。気持ちいい。 「あううっ、ぐうっ」  ぎりぎりまで引き抜いたあと、最奥を突かれると、新しい俺の性感帯が生まれる。高橋が触る場所、突く場所、かすめて通り過ぎた場所、全部が気持ちよくなる。余裕が無くなって叫ぶ様に喘ぎ始めると、また、唇を塞がれた。  上も下も杉村に塞がれる。覆いかぶされて、杉村の匂いでいっぱいになる。ずっ、ずっ、と肉壁を擦り上げられて、限界が来る。 「んあっ、お、も、無理、無理ぃ……ッ」  強い刺激に頭が空っぽになる。ペニスの根元が痺れる、変なイき方をした。  杉村に入れられてから一度も触られてないのに、射精した。 「あーっ、あっ、きもちい、きもちいい……っ!」  びゅ、びゅ、と杉村の動きに合わせて精液が出る。  ずっと射精が止まんない。精液からっぽになりそう。 「ああああっ、ひいうっ、あ」  俺がいってるのに、杉村は動きを止めず、尚も内側から精を押し出そうとする。ペニスはイってるのに、今が一番気持ちいい瞬間なのに、尻の方が更に高みへと上り詰めようとしていた。  これ以上の快感なんて想像もつかない。尻でこれ以上感じるなんてあるわけがない。訳が分からない、怖い。「お願い」「許して」と杉村に許しを乞うと、杉村は更に足を俺の上体側に押し倒して俺の体を折り曲げさせ、尻を上に突き出すような形にさせた。杉村が真上からアナルに向かって突き刺してくる。 「あああっ、くうっ……いく……っ、いくぅ……っ!」  俺にこれ以上のことを教えないでくれ。  知ってしまったらもう、我慢出来なくなる。 「あああああっ、あっ、ああっ!」  目の前が真っ白になって、足が突っ張った。ああ、これ、やべぇ。気持ち良過ぎる。弛緩した尻穴の奥に突き立て、杉村のペニスが震えてる。ああ、中に、出される。  ペニスを穴の中に入れて、子種を吐き出す。それは男の役割だ。俺が、される側じゃ、ないんだけど。 「はああっ、あ……」  ぼんやりと与えられる快感に身をゆだねていると、杉村が上体を倒し、俺に抱きついてきた。まだびくびくと尻穴と内股を震わせている俺は、それを押し返せない。俺の首筋に顔を埋め、杉村は直接耳に声を吹き込む。 「お前が、俺以外の誰かに抱かれるなんて、無理だよ」  ああ、終わった。涙が溢れる。この匂いも、重みも、声も、気持ちいいと感じてしまう。俺は杉村の与える快感で満足してしまう。こいつに抱かれて、見上げることを良しとしてしまう。  競い続けるから、ライバルなんだ。下に居る事に慣れてしまったら、駄目なんだ。  ──俺の負けだ。 「……高橋は、俺の唯一のライバルだよ」  ちゅ、とふざけた音を立てて、杉村が首筋に吸い付く。 「俺以外の誰かに負けるなんて、絶対許さないから」  そう言って、俺の首筋に歯を立てた。

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