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第2話

 他人に負けたことがない。  アルファとして生まれた俺は、昔から何をやっても自然と人並み以上に出来た。勉強で躓いたこともないし、部活でベンチに落ちたこともないし、小学校で一瞬だけ女子よりも背が低くて落ち込んだけどすぐに追い越した。結局、みんながみんな、俺よりも劣っていた。  勝つことが当たり前だった。周りもそう思っていた。だから誰も俺に勝負を挑んで来なかった。  ──中学で、高橋秋生(たかはししゅうせい)が現れるまでは。 「杉村ぁ!!」  いきなり大声で名前を叫ばれて声の主に振り返ると、ぼろ泣きしててびっくりした。他人の泣き顔がまさか自分に向けられるとは。それまで俺は自分の優秀さを自覚していて、他人を傷つけないように細心の注意を払っていた。僻まれても笑い飛ばし、嫉妬されても受け流して、敵を作らず、また誰にでも優しくしてきた。それがアルファとして生まれた俺の処世術だった。  だから、名前も知らない同級生がいきなり俺の前で俺の名前を泣き叫んでいて、心底驚いた。 「決闘だあ!!」  いきなり何の勝負を仕掛けられたのか意味が分からない。また、どうして彼が俺に勝負を挑んで来たかも分からない。まだ成長期前なのか、高い声で、女子よりも低い背丈で、アルファの俺と勝負すると言う。  見るからにベータ。俺の周りの大勢と同じ。負けるわけがない。何の勝負をしたとしても、俺が彼に負ける想像がつかなかった。  ただ、今まで、そんな強い敵意をぶつけられた事がなかったから。 「──いいよ」  負けると分かってて俺と勝負する奴は誰も居なかった。俺が本気を出してもきっと彼は俺を恨んだりしないだろう、何となくそれが分かって、勝負を受けた。  後から話を聞いてみれば、彼──高橋は、付き合っていた彼女に「杉村くんのことを好きになった」と言われて振られてしまったと言う。それが理由で俺に「決闘だあ!!」なんて言ってきたらしい。残念ながら俺はその彼女とは面識がなく、とばっちりもいいとこだ。けど、その恨み言を高橋本人から聞くことは無かった。いつでも正々堂々、真っ向勝負で俺に勝負を挑み続け、そして負け続けた。  定期テストの成績、体育測定の結果の数値、とにかく勝ち負けがはっきり分かる勝負は何でも仕掛けてきた。毎回毎回飽きもせず勝負を挑んできて、俺も飽きもせずそれを受け続けた。何故なら、高橋の努力が、目に見えて分かったからだ。  高橋の定期テストの順位が上がってきた。50m走のタイムが速くなっていた。どんどん差が縮まってきて、その勝負はいつも俺が勝ってはいたけど、同じ結果では無かった。もしかしたら高橋は、俺と同じところまで来るかもしれない。そんな期待をしていた。  そして、遂にその時は訪れた。  中学最後の体育祭、最終種目のリレー、アンカー。  そこで俺は高橋と一騎打ちになり、初めて本気を出して、負けた。 「見たかこのやろー!」  俺より先にゴールした高橋が、振り返って泣き叫ぶ。 「遂に! やったぞ!!」  人目もはばからず、ぼろ泣きだ。すごいな、高橋。  勝っても泣いて、負けても泣いてる。思わず吹き出した。 「ぶっ、あはははっ!!」  そんな泣くほど悔しいことも、嬉しいことも、俺には無かった。考えてみれば、人前で泣いたことなんて一度も無い。そんなに感情を揺さぶられる事が、今まで無かったからだ。  でも今日のこれは違う。  笑いが止まらない。 「高橋、お前、ほんっっっとに!」 「うおっ」 「最高!」  嬉しさが止まらない。負けたのが悔しくて、嬉しいんだ。  泣いてる高橋の隣に並んで、肩を組んだ。 「次は勝つよ」  心の底から、勝ちたいと思った。こいつだけは。 「高橋は俺のライバルだ」  高橋だけが、俺を熱くする。  高橋の家に行くのは、そんな中学の頃以来だった。 「あれっ」  中学の時、高橋の家はちょうど俺の通学路の途中にあった。だから登下校でよく一緒になって、初めの頃こそ会うたび邪見にされていたけど、ライバル宣言してからはちょくちょく立ち寄っていた。一緒に勉強しながら、高橋は「お前どうせ一番頭いい学校行くんだろ?」と俺の進路を探ってきていた。  結局一緒の高校に進学して、この道は遠回りになった。 「アルファ君じゃねー?」  家の前で立ち尽くしていた俺に、家から出てきた男が声をかけてきた。知ってる人だけど、名前は知らない。知る必要もなかった。この人も俺を名前じゃなくて性別で呼んでくるから。  高橋のお兄さん。 「……どうも、こんにちは」 「うわ、すげぇことになってんね! ガーゼでけー!」  近づいてきて、俺の顔をまじまじと見る。 「はは! ぼっこーん、やられてたもんな!」  俺の顔面には今、人に殴られた痕がある。ガーゼで覆い隠しているそれを左フックで殴るふりをして、高橋の兄が笑う。 「マジであんたの親父、いきなり自分の息子に殴りかかるからびっくりしたわ」 「その節はすみませんでした」 「いやいーよ、俺はめちゃくちゃ笑えたから」  暴力沙汰を目の前で見て、へらへら笑えたと言う。しかも被害者の俺に向かって。高橋がよく「クソ兄貴」や「馬鹿兄貴」と自分の兄のことを呼んでることを思い出した。 「うちの親父とか、まだかんっかんに怒ってっけどな!」  そう言ってまたゲラゲラ笑うが、俺は全然笑えない。 「今までベータだと思ってた弟がいきなりオメガになったんだぜ? 普通ねぇよなー、笑けるわー」 「……面白くないですよ」 「いーじゃん、これからアルファ君が面倒見てくれるんしょ?」 「…………」  出来ることならそうしたいけど、それが許されるんだろうか。「将来安泰じゃね?」と高橋の兄は気楽に言うけど、そんな簡単なことじゃない。  俺が高橋をレイプしたのは、つい三日前のことだった。  何の突然変異なのか、それまでベータだった高橋がいきなりオメガに変化した。オメガには発情期がある。発情期になったオメガは、そのフェロモンでベータとアルファを誘惑し、性衝動を起こさせる。特にアルファはその衝動に逆らえない。  俺は発情期の高橋に遭遇して、我慢できずそのまま犯してしまった。  ……無理矢理やったのに、これから面倒見てくれなんて言われても。 「別に秋生もアルファ君も訴えられるわけじゃねぇんだろ? よく分かんねーけど」  俺が言い淀んでいると高橋の兄がフォローのつもりなのか言ってきた。  確かに、オメガのフェロモンが関係する性犯罪は難しい。無理矢理セックスさせたのが、オメガ側なのかアルファ側なのか判断が難しいからだ。どちらも加害者に成り得るし、被害者にもなる。どちらかと言えば、抑制剤を飲めば抑えられるはずのフェロモンを垂れ流していたオメガの方が、過失で罪に問われることの方が多い。  けど、俺の父親は事と次第を聞いてすぐに俺に殴りかかってきた。そのまま頭を押さえつけて、高橋の両親と兄の前で土下座させた。うちの馬鹿息子が本当に申し訳ありませんでした、って。  俺はそれを受け入れている。 「……いや、俺が悪いです。すみません」 「ふうん? そうなん」  つまらなさそうに高橋の兄が相槌を打つ。 「でももー、番なんだし、どうしようもなくね?」  アルファとオメガは、生涯の相手として番を作ることができる。発情期のオメガのうなじにアルファが歯型を作ることで、それは成立する。解消することはできない。 「どうしようもねーことでグダグダ、アルファ君もうちの親もよーやるわ」  確かに、俺と高橋は番だ。どうしようもない。その事実があるからか、高橋の兄はあっけらかんとしている。 「もうさっさと秋生、アルファ君の女にしちゃってよ〜」 「女ってなんですか。高橋は女じゃないでしょう」 「そうなん? でもあいつ、これから女になるんでしょ」 「は?」  下衆な言い方に思わず眉根をひそめる。俺は別に、そういった意味で高橋を自分のものにしようだなんて思わない。  だが、高橋の兄は比喩の意味だけで"女"という言葉を使ったわけじゃないらしい。 「病院の先生が言ってたぜ、今までずっとベータの体だったから、これからオメガになるって。なんだっけ、フェロモンの影響? 筋肉落ちて力弱くなるって。もうそれで妊娠出来んだから、ただのちんこ付いてる女じゃね?」 「女じゃありません」  そんなの、聞いてない。知らない。  例えそうだとしても、高橋は女じゃない。 「何で身内のあなたが、そんなに高橋のことを貶めるんですか」 「あ?」 「全然笑えません」 「人の弟犯しておいて口答えしてんじゃねーよ」  へらへら笑い続けていた高橋の兄が、すっと表情を消した。  ──あ、この人、 「どうせ今日もヤりに来たんじゃねーの? どーぞ、俺行ったらあと秋生しかいねぇから」  ちゃんと俺にキレてる。  俺に「鍵かけとけよ」と言って親指で玄関を指し、高橋の兄は車庫に入っていった。キレてるわりにあっさりと俺を家の中に入れたのは、当人同士で話さないとどうしようもないと思ったからだろうか。  あれ以来、俺は高橋に会ってない。事後、病院に連れて行った後は、父親に殴られて謝った時でさえ高橋には会わせてもらえなかった。そのまま高橋は三日間家に閉じこもり、学校にも来ていない。だから今日、俺はここまでやってきた。  俺が高橋と会って話したところで、事態が好転するとも限らない。むしろ悪い方向に向かうかもしれない。それでも、何もしないわけにはいかない。  ちゃんと話さないと、俺の気が済まない。  車庫から車が出てきた。高橋の兄が乗ってる。運転しているその顔はさっきまでのニヤついた笑顔を貼り付けていない。そのまま俺に見向きもせず、走り去った。  言われた通りに玄関の鍵を閉めて、高橋の部屋に向かう。二階にある高橋の部屋は、誰かが階段を上がってきたらすぐに分かる。だから多分、高橋は俺の気配に気づいているはずだ。扉をノックしても返事がないのは、無視してるってことだ。 「高橋? 俺。杉村」  部屋の扉に向かって話しかける。しばらく待っても反応がない。 「……顔見たくないなら、このまま話すけど」  何も言われないってことは、俺が一方的に話す分にはいいってことだよな? 「うるさい」だの「話しかけんな」だの言われて何も話せないことも覚悟していたから、ほっとする。気持ち声を大きくして、部屋の中に居る高橋に聞こえるようにする。 「この間は、ごめん。謝って済むようなことじゃないけど、謝らせて。──ごめん」  ようやく高橋に直接謝ることが出来た。 「何の弁解もしない。全部俺が悪い。何か、俺がやってお前の気が済むことがあるなら俺は何だってするし、どうしても俺を許せないなら、もう会わないから」  高橋は本当に部屋の中に居るんだろうかと思うくらい静かだが、間違いなくこの扉の向こうに居る。かすかに香るオメガフェロモン。高橋はまだ発情期だ。  甘い香りに引っ張られて、本意では無い話をするのが辛い。 「聞いてるかもしれないけど、高橋がもう金輪際、俺の顔を見るのが嫌なら、転校するから。二度とお前の前に現れないように努力する。……番だから、一生関わらないようにするとは言えないけど、何かあれば出来る限りサポートするし、力になる。お詫びってわけじゃないけど、頼っ」 「──っざけんじゃねぇ!!」  目の前の扉がバンッと派手な音を立てて振動し、紡いでいた言葉が途切れる。中から強く叩きつけられたみたいだった。高橋が扉に向かって何か物を投げつけたのか。同時に俺に向かって暴言も叩きつけて、ドタドタと足音を鳴らしてこっちに近づいてきた。 「何、勝ち逃げみたいなことしようとしてんだよ」  高橋の低い声がすぐ近くで聞こえる。扉一枚を挟んで、すぐ目の前に居ることが分かった。それを更に確信させるように、高橋がガンッと扉を叩いて揺らす。 「サポートって何だ、何で俺がてめぇに助けを求めるような真似しないといけねぇんだよ!?」 「……違う、そうじゃ──」 「番だからって主人面すんじゃねぇ!」  言われてドキッとした。主人面。高橋が言うそれは、アルファとオメガの間にありがちな主従関係のことだ。能力も社会的地位も低いオメガは、強いアルファに従うようになる。それが、オメガが今の社会で生き抜く一番簡単な方法だからだ。俺はその主従関係をこの三日間で自然と受け入れていたのか? それを高橋に強制しようとしているのか?  自分の父親に言われて。 「大体俺はお前の番になったことだって納得しちゃいねぇ」 「っ、それは、ごめん」 「オメガと分かった瞬間に人を女扱いしやがって、ふざけんなよ」 「女扱いなんてしてないだろ!」 「知らねぇよ! お前に俺の気持ちが分かんのかよ!?」  何で、高橋も、高橋の兄も、俺が高橋を女扱いしてるみたいに言う。そうじゃない。 「いきなりオメガになって、今まで築き上げてきたもん、いっぺんに失くして、それだけでも最悪だってのに、何で──何でお前に、犯されなきゃいけねぇんだよ」 「……ごめん」  謝ることしかできない。何を言っても言い訳にしかならない。 「俺がこっから女みてぇになってくのが、そんなに面白いかよ」  力なく呟く高橋に、言葉が出なかった。ただ、先ほど高橋の兄が言っていたことを思い出した。  どうやら高橋は今までベータとして生きてきて、実際の体自体もベータのそれだったようだ。ところが何の突然変異かオメガになったことで、体つきもオメガのそれに徐々に変化していくらしい。  オメガの身体能力は貧弱だ。筋肉が少なくて皮下脂肪が多く、女みたいだと言われれば、確かにその通りだ。  サッカー部の大エース様。  同級生の里田はそう言って高橋のことをよく揶揄っていた。それは皮肉だけど、事実でもある。  常に俺と競い続けた高橋は、ベータにしては並外れた身体能力を身につけ、サッカー部の絶対的エースに上り詰めた。最早アルファ並みのその運動神経は、高橋がとんでもない努力を積み重ねた結果だ。それがこれから、何か悪い事をしたというわけでもないのに、失われていく。  突然体がオメガに変わった、そんなどうしようもない事で。  ──沈黙が辛くて、すっと息を吸い込んだ。その間に決心して、長く息を吐く。 「別に、女扱いして、お前を抱いたわけじゃないよ」 「はっ、じゃあ、何なんだよ」 「高橋が、俺以外の誰かに執着すんのが怖くて、抱いた」 「はあ?」  これはただの言い訳だ。  何を言ったところで俺が高橋をレイプした事は変わらない。 「高橋が勝ち誇って嬉しそうな顔してんのも、泣いて悔しがってんのも、俺以外に見せて欲しくない。高橋が生涯、追いかけるのは俺だけにしてほしい。俺にとっても、一緒に競いたいのは、お前だけだから」  ベータのくせに感情むき出しにして、勝てるわけねぇって言われてるのに、ひたすら努力してアルファの俺についてきたすげー奴。こんな奴、これから先、きっと高橋以外に現れない。 「お前が俺以外の誰かに抱かれるのも嫌だ。女抱くのは別に良かったよ、だってお前、女とは本気出して競えないだろ。──でも、男相手、ましてや俺以外のアルファは、絶対に嫌だ」  オメガなら、いずれ番を作る可能性が高い。発情期を抑えるためには、番を作るのが一番手っ取り早いからだ。でもそうすると、俺が番にならなければ、高橋は俺以外のアルファに抱かれることになる。俺よりもっと、他のアルファに執着することになる。  嫌だ。  他のやつには渡さない。 「俺が本気になれるのは高橋と競ってるときだけだから」  周りはみんな、高橋が俺に一方的に突っかかってると思ってる。でもそうじゃない。本当は俺の方が、高橋よりもずっと、ライバルとして執着してる。  だからずっと隣に並んで居て欲しい。ずっと対等で居て欲しい。それなのに。 「……何でお前が諦めんだよ……」  悔しい。  高橋がオメガだったことも、俺がやり方を間違えたことも。対等で居て欲しいって思ってるのに、罪悪感に負けて、主人面してしまった自分の馬鹿さ加減にも。これから貧弱になると言われて諦めてる高橋にも。何もかもが悔しくて、言葉が詰まった。色んな感情が溢れてきて、吐き出しきれない。  顔を伏せて立ち尽くす。鼻をすすると、目の前で扉が開く気配がして、少しだけ目線を上げた。 「……なんでお前が泣いてんだよ」  部屋着にぼさぼさ頭の高橋が、俺の顔見てツッコんだ。視界がぼやけて高橋の顔がよく見えなかったから、何回か瞬きして涙を頰に落とす。  人を馬鹿にした顔してる。よく見る高橋だ。 「物珍しくてドア開けちまったじゃねーか」 「……閉めろよ、お前まだ発情期だろ」 「ご心配どーも。一応薬飲んでっから」  泣いてて良かった、鼻が詰まって、高橋の匂いがわかりづらくなってる。よく見てみれば、高橋の目も濡れてる。さっきまで泣いてたのかもしれない。 「……こんなことでお前にそんな顔させたかったんじゃねぇ」  高橋が俺に向かって力無く笑う。 「杉村を泣かす時はもっと圧倒的にぎったぎたに負かして悔しがらせる予定だったんだけど、俺何にもしてなくね?」 「何にもしてないというか、俺がなんかしたというか……」 「つーかお前、顔どうした?」  流れた涙が頰にあてられたガーゼに染み込んでいく。父親に殴られたと簡潔に言うと、高橋が盛大に笑った。やっぱここ、兄弟だな。 「わはは、お前がそんなボロボロになってんの、初めて見たわ。みっともねぇ〜」  確かに。  顔腫らして泣いてちゃ、みっともない。人前でこんな醜態を晒したのは初めてだ。急に恥ずかしくなって急いで鼻をすすっていると、ぐいっと高橋が俺の胸ぐらを掴んで引っ張ってきた。力任せに引き寄せられて、密着する。 「俺と一生ライバルで居たいんだって? 杉村クン」  至近距離で挑戦的に俺を見上げる目は、いつもと何か違う。どこか冷めてる声色が、「勝手なこと言ってんじゃねぇよ」と更に続ける。  流石にこの距離はやばい。甘い香りが鼻腔をくすぐって、ズクズクと体の奥が疼いてくる。 「てめぇの勝手な都合で人のこと犯しておいて、泣いてんじゃねぇ」  やっと顔見せられて、一瞬でも高橋に許されたような気がしたことに後悔した。重く低い声で、高橋が俺を責める。 「最もらしいこと言ってっけど、結局はオメガフェロモンにあてられて理性飛んじまったんだろ」 「ちが」 「そういやお前さっき、俺の気が済むまで何やってもいいって言ったな」  やばい。高橋からいい匂いがして、持ってかれそうになる。ここでこの香りに負けたら、本当に高橋の言ってる通りになる。  息が上がってきて、吸い込みたくないのに大きく高橋のフェロモンを吸い込んでしまう。派手な呼吸音を発している俺に気づいて、高橋が嫌に笑う。ぐいっと掴んだままの胸ぐらを引っ張られて、部屋の中に入らされた。 「気づいたわ、俺、お前が絶対勝てねぇもん一個持ってんな」  嫌な予感がする。でもそれを本当に嫌だと俺が思ったのは、一瞬だけだった。だってこの部屋、すごい。高橋の匂いが充満してて、頭の中が痺れる。 「オメガフェロモン。これに勝てるアルファっていねぇんだろ?」  その通り。  高橋が俺の頭の後ろに片手を当てて、自分の方に引き寄せる。唇同士が触れると、もう抗う気なんてなくなった。  高橋が抑制剤を飲んでいるのは、多分本当だ。発情期特有のフェロモン放出を抑えるその薬は、本人の欲情も他者の発情も軽減させる効果がある。だから俺はこの間ほどぶっ飛んだ状態にならないし、高橋も喋る余裕がある。 「っ、ははっ、すげー……あの杉村が、ちんこ咥えてんの。いい景色だわ」  言葉を切って荒い吐息を吐きながら、高橋が俺を馬鹿にする。俺は開けっぴろげな高橋の股間に顔を埋めた状態で、目線だけ上げて高橋と目を合わせる。床に座った俺は、ベッドに腰掛けた高橋に高い位置から見下ろされていた。 「へったくそ、不器用かよ」  良さそうな顔をしておいて、俺をなじる。これだけ先走りを滲ませておいてよく言う。先端に吸い付いて、まだ外に出てない分のカウパーまで吸い出すと、高橋の内股がビクつく。  フェラするのは初めてだけど、男同士、何をされるのが良いかは分かっていた。口をすぼめて高橋のモノを扱こうとすると、殴られた頰の皮膚が引っ張られて痛い。だんだんガーゼを固定しているテープが剥がれてきて、それに気づいた高橋がガーゼごと全部剥がした。 「なあ、これ、痛ぇ?」 「っ、は」  口内から、殴られたアザの裏側を狙って、高橋がちんこで突く。突かれた分、頰が膨らんで、ズクリと痛む。衝動的に歯を立てないように、息を吐いた。逃げようとするが、頭を掴まれて逃げられない。 「う──いっ」 「あっ、すっげ、お前頰薄いから、中から突いてんの分かる……はは!」  横から俺の頰に向かってピストンして、ぼこぼこと内側から何度もアザを膨らませる。歯が引っかからないように口を開けっぱなしにして耐える。ずっと同じ動きが続き、ジンジンと規則的に疼き始めた。  痛い。痛くて、眉間と目頭に力が入る。俺がオメガフェロモンで飛ばずに済んでいるのは、薬よりもこの痛みのせいかもしれない。 「痛そうだな〜、青アザなってっし」 「はあっ、は」 「アルファってマジすげーな、男のちんこ咥えて、アザ弄られて、フル勃起すんのかよ」 「あっ、い──」 「あー……はっ、やば、踏むと喉締まる……っ」  高橋に足で股間を押さえつけられた。フロントチャックの金具が当たって痛い。もうキスの段階からガチガチに勃ってるのは自覚していて、柔らかい生地のスラックスはずっと膨らんでいた。高橋は足の親指でチャックを探り、その合わせ目をグリグリと押さえ込んできた。加虐心満載なその行為に、息が詰まる。痛いのと、興奮とで、ずっと息が苦しい。性急な俺の呼吸が、喉奥まで突っ込まれた高橋のちんこを締め付ける。  正直、口いっぱいに高橋のモノを頬張ってるだけでたまらない。粘膜から滲み出てる濃いフェロモンが甘く感じられて、頭の中が馬鹿になる。 「はあっ……吸い、込めよ……っ」  びくっと口内で動いたものを可愛がりたくて、言われた通りに音を立てて吸い込んだ。弄られ続けて、頰の痛みは麻痺してる。高橋が小さく喘いだのが聞こえて、吸引したまま頭を動かす。 「あっ、は、あ」  甘い香りが広がっていく。男の低い声で喘ぐ高橋に更に興奮する。小刻みに動いている内腿を撫でると、くすぐったかったのか一度大きく震わせた後、俺の肩の上に足を乗せてきた。高橋の両足が俺の首に絡みついてきて、顔を挟まれる。完全にホールドされた状態で、ぐっぐっとモノを奥におしつけられた。 「はっ、ああっ、あ……っ!」  ダイレクトに喉に出されて、飲み込むだけで味わう暇もない。生臭い匂いよりもフェロモンのそれの方に意識がいく。びくびくと口内で震えているモノからまだ吸い出そうとすると、高橋はぎゅっと両足で俺の頭を更に挟み込んで喘ぐ。可愛い。サッカー部の鍛えられた硬い足に挟まれながら、もぐもぐと口を動かした。 「あっ、も、イッたって……!」  舌と上顎で柔らかく挟み、歯を立てずに甘噛みするようにする。イッたばかりの敏感な性器を弄られて、高橋が泣いてるみたいな声を出す。いいなこの声、好きだ。泣かせたい。  煽ってきたのは高橋の方で、俺は言われるがままにフェラしただけだ。男のモノを咥えることには何の抵抗も無かった。跪いて奉仕する俺に高橋が優越感を感じていたように、俺も高橋の大事な部分を手中に収めた支配感でいっぱいだ。もっと欲しい。 「うあっ!? まっ」  高橋の膝裏を持ち上げながら体を起こす。ベッドの上でひっくり返った高橋が、乗っかってきた俺を見上げる。  ──たまらない。 「あ、ちょ、待てって、お前……!」  指で高橋のアナルをなぞる。オメガの尻穴は、快感で濡れる。アルファのペニスを受け入れるために。高橋の穴はもうとろけるようで、指を差し込んでも追い出す気配がない。キュッと窄まるのは分かるけど、柔らかいもので締め付けられるだけだ。気持ち良さそう。挿れたら絶対気持ちいい。挿れたい。自分のスラックスの前を広げる。 「あっ……あ、うあっ、くそ、このやろ……!」  挿れたい。  泣かせたい。 「ふ、う……っ、杉村!」 「っ、い」  高橋に名前を呼ばれながら、頰っつらを蹴られた。音も立たない弱々しい蹴りだったけど、アザがある方だ。かすめるだけで痛みは広がる。  痛みに視界が冴える。 「っざけんな、また病院沙汰にする気か!」  高橋に怒鳴られ、ハッとする。はあ、はあ、と自分の呼吸音がうるさい。胸が上下するほどの息をしながら、高橋を組み敷いてる。  呆然と目の前を見つめて、状況を理解する。 「あ……ごめ、ん」  下っ腹がめちゃくちゃ重い。それは身に覚えがある感覚だった。オメガフェロモンにあてられて、強い性衝動が起きた状態。いわゆるラットだ。  高橋をレイプした時と同じ。  いくら高橋が煽ったからと言っても、この間と同じことを繰り返そうとしている自分にがっかりした。何の学習もしてない。 「すげぇな、お前、まじで余裕なくなるのな」  高橋から離れようとすると、足が腰に巻きついてきて、ぎゅ、と固定された。挿れてない正常位の体制のまま、高橋が離そうとしない。高橋との至近距離が続いて、生唾を飲み込む。 「高橋、離して」 「杉村の切羽詰まった顔、悪くねーな」 「は?」 「そっちの引き出しにゴム入ってっから、取れよ」  高橋にベッド脇の引き出しに指をさされて、その意味を理解するのに苦労する。え、待てよ、病院沙汰ってそういうことか? 生ですると避妊処理が必要になるからか?  暗にセックスの許しが出たことにびっくりしていると、ニヤリと高橋が笑う。 「杉村クンは今日から俺の性処理係です」 「……何だって?」  冗談みたいな口調で宣言してるのに、高橋の目は笑ってない。 「オメガは番が出来たらそいつとしかヤれなくなる、知ってんだろ。勝手に尻が濡れて疼くから、女と出来る気もしねぇし。……責任とれよ」  冷たい言い方に、ぞくりとした。何でだろう。  番として責任を取る、それは俺が一番望んだ形のはずなのに、何かが違う。  俺がすぐに言葉を返せないでいると、痺れを切らした高橋が自分で引き出しに手を伸ばした。 「いや、ちょっと待て、お前本当にそれでいいのか?」 「生バイブにしてやるっつってんだよ、文句言ってんじゃねぇ」  俺はおもちゃ扱いか。  高橋が取り出したゴムのパッケージを歯でピッと破いて、股間に手を伸ばす。そのまま自分に付けるんじゃないかと思えるほど慣れた仕草だったが、自分のモノは通り過ぎて俺に取り付けようとする。先端にあてがわれたとき、俺は高橋を手をどかして、自分でゴムを取り付けた。こんなことまで、高橋にやらせられない。 「お前、俺の気が済むなら何でもするっつったよな?」 「…………」  それを言われると「分かった、いいよ」としか言えなくなる。ずっとオメガフェロモンに晒されてて、まともに思考回路が動かなかった。それに俺がゴムをつけているのを見ながら、勃起状態で後ろの穴をひくつかせている高橋を前に、これ以上しないと言えるほど人間も出来てない。  さっきから挿れたくてしかたない。 「……お前絶対、薬合ってない」 「それは俺も思う。くそつれぇもん、この三日間、抜きっぱなし」 「だから学校きてなかったのか」 「最初だから様子見で弱いの処方してんだとよ。俺は番が居るから他のやつを誘惑することは無いし、俺とお前が辛いだけ、だから」  ラット状態が抑えられない抑制剤なんて、本当に意味がない。今でも下半身に血が集中してる気がして、頭の中ぐらぐらする。高橋の尻穴に先端をあてがって、めり込ませる。 「ふあっ……あっ、あ」  どろどろにふやけたアナルが簡単に俺を受け入れる。締め付けはあるのに柔らかくて、こじ開けるのに力がいらない。絡みついてくる柔らかい壁が本当に気持ちいい。小刻みに震えて、入れてるだけで気持ちいいんだけど、俺はもっと良くなる方法を知ってる。高橋の足を抱え直して、ピストンを開始した。 「あ、ああっ……はっ、あ、クッソ、きもちい……っ」  悪態付きながら高橋が喘ぐ。俺も同じだ。気持ちいい。出し入れを繰り返して、一際気持ちよさそうに高橋が反応するところを見つけると、そこを重点的に攻めた。すると少し怯えてるみたいな声をあげる。 「ひっ、うう、やだ、うあっ、あ」  しかめっ面して、涙目になってる。気持ち良すぎてそうなってるのか、悔しくてそうなってるのか。どちらにせよゾクゾクした。高橋を泣かせるのは、昔から気分がいい。 「あっ、ああっ、あーっ、もうそこ、やだってぇ……!」  初めて会ったときから泣いてる高橋だが、実はそんなに泣き虫というわけじゃない。泣くのは決まって、俺と勝負して負けたときか、勝ったときだけ。他の場面では見たことがない。高橋は俺に余裕ぶって癇に障るとよく言うが、高橋こそ俺以外と話しているときは大層余裕そうだ。それなのに、俺の前でだけ急に感情を露わにして、泣き面を晒す。  俺だけの、高橋の顔だ。  独り占めしたい。 「やめ、も、いく、いくから……っ!」 「いいよ、イって」  泣いてイってる顔が見たい。  高橋の両手を掴んで、自分の方に引き寄せた。同時に腰を突き出して、奥の奥まで差し込む。 「ひうっ、ぐっ、あ、あああっ」  高橋は一瞬、息を詰めて、声を張り上げた。触れてすらいない高橋のペニスが、白いものを吐き出している。勢いがなくて、とろとろと出し続けていて、その間ずっと高橋は小刻みに震えてる。振動が穴まで伝わってめちゃくちゃ気持ちいい。「うーっ」と呻くような声を上げる高橋を無視して、俺は自分がイきやすいように動き始めた。 「あっ、まった、すぐ……っ、俺、イッてるってぇ……!」  しんどそうな顔してる。しんどそうな顔してる高橋、すごい興奮する。誰かをいじめたいと思ったこと、無かったはずなのに、高橋のことは苦しめたくて仕方がない。どうしてだろう。いつも勝負してるけど、負かしたいとはあんまり思わない。ただ、高橋の表情が、すごくいいから。色んな顔が見たくて、何でもやってしまう。今やってるセックスだって。  これも俺にだけ見せる表情か。そう思うと急に嬉しくなる。  性処理扱いされても、もう高橋は俺以外とセックス出来ないんだから。 「はっ……なあ、高橋」  もうすぐイきそう。話をしようと動きを緩めると、びくびくしてる高橋のアナルの動きが極端に分かって、もっと腰を揺らそうとしてしまう。何とか我慢して、高橋に覆い被さる。高橋の目を見つめて、聞き逃されないよう、顔の近くで続きを喋った。 「惚れたら負けって、聞いたことあるだろ?」 「ひ、ぐっ……な、ん」 「俺はもう随分前からお前に負けてるよ」  だってこんなに独占欲丸出しじゃ、他に理由なんて無い──惚れてる以外。  ごくりと見てわかるくらい大きく唾を飲み込んで、高橋が俺を見つめ返す。黙ったままなのは、俺の告白を聞いてる場合じゃ無いからか。快楽が滲んで何を考えてるか読み取れず、とりあえず俺もセックスの方を再開しようとすると、それを阻止するかのように胸ぐらに掴みかかってきた。はあ、はあ、と何回か荒い息を繰り返して、少しだけ整った息で高橋が言葉を紡ぐ。 「だったら、お前の番は、生涯俺だけだ。他の奴に惚れんじゃねぇ」  ──番なんて、そう簡単に作れるものじゃない。確かにアルファは番を一人に絞らなくてもいいけど、あまり現実的じゃない。それでもこうやって念押しされて、高橋の言わんとしてることが伝わって、笑ってしまった。  俺以外に負けるな、ってか。 「……いいよ。高橋だけ」  何だよ、諦めてないじゃないか。オメガだからって、何も諦めてない。  俺だって高橋が俺以外に負けるなんて、許さない。俺が熱くなれるのは、高橋が相手のときだけ。他の奴に見向きされたら困る。俺の唯一のライバルだ。  番だろうと、オメガだろうと、それはずっと変わらない。  発情期の一週間が終わった後、高橋は普通に学校に登校してきた。休んだ理由は部活で首をやられたとか何とか言っていて、上手く包帯で首の噛み跡を隠していた。そんなのすぐバレるだろうに。  とにかく今は、高橋がオメガであることは俺以外に知る者はおらず、パッと見じゃ高橋も俺も今までと変わらない日々を過ごしている。 「杉村ぁ!」  こうやって隣のクラスまでやってきて、大声で高橋が俺の名前を叫ぶのも同じ。 「何?」 「おっ、居たな! 俺の医者、やっぱヤブだったわ〜」  手に何か持ってる。丸められた何かの紙だ。高橋はドヤ顔でもったいつけて喋りながら俺の目の前までやってきて、ようやくそれを広げて見せた。 「どうよ」 「え、マジか。すごいな」  インターハイ、地区予選のMVP。それの受賞者に送られる賞状だ。高橋の名前が書いてある。 「あんのくそヤブ、何が"これから体変わっていきますんで〜"だ。全ッ然関係ねぇじゃんかよ、なあ!」 「そうだね」  似てない医者のモノマネのところだけ声をひそめて、高橋が俺に同意を求めた。俺は言葉でだけ同意して、高橋の調子に乗ったセリフの数々を聞く。  こんな風に本人は言うけど、実際、高橋は変わった。痩せて、今までより制服が大きくなっている。筋肉が落ちて骨つきが強調されて、なるほどオメガに変化しても流石に骨格は変わらないんだな、と思ったほどだ。  そしてサボリ魔だったのに、部活に毎日出るようになっていた。それに関しては同じサッカー部の里田が「あいつどうした!?」と俺にわざわざ聞きにきた。執拗に「何かあったのか」と聞かれ、俺は知らんぷりを突き通した。  俺がバスケ部の練習を終えて帰る最中、高橋が一人、居残って練習してる姿も何回も見ている。もどかしげにゴールバーを蹴ったり、何でかそこに居ない俺に悪態をついてモチベを上げてるのも見た。それは中学時代、出会ったばかりの高橋と同じだった。  俺が好きになった高橋そのもの。 「まー、言っても、地区予選敗退なんすけどね、俺ら」  大事な賞状を俺の机に投げ出して、高橋が声のトーンを落とす。 「バスケ部は全国行くよ」 「あっそ。これでチャラじゃね?」  俺と高橋は、インターハイでそれぞれ何回戦勝ち進むかで勝負していた。高橋が所属するサッカー部は準決勝敗退、俺が所属するバスケ部は決勝進出して全国への切符を手にしていた。高橋は敗退直後はいつも通り悔しがってたのに、自分がMVPに選ばれたことで、勝負は引き分けだと俺に言いにきたらしい。  まあ、確かに、俺はMVPに選ばれてないけど。 「いいけど、バスケ部がこのまま全国優勝しても同じことが言えるか?」 「無い無い、うち別に強豪ってわけじゃねーし、お前が居たから運良く勝ち進んだだけだろ?」 「じゃあ、全国で俺がMVPをとったら?」 「は? 俺だって一人で全国いけたらMVPとってますけど?」 「お前どんな負けず嫌いだよ」 「知ってんだろ、今更何言ってんだ」  呆れた高橋の物言いに思わず笑った。もちろん、知ってますとも。 「さすが、俺のライバルだなあ」  高橋と競ってる時が一番楽しい。しみじみと呟いた。

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