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届いていた想いを

 理性が吹き飛ぶ、という感覚をレイジは初めて味わった。自分の心臓を突き破って出て来そうな程激しい怒りに背中を叩かれるようにして、ただ目の前の忌々しいそれに武器を叩きつける。何度も、何度も。何度も。愛しい彼のことすら忘れてしまうほどに。自分がなぜ今怒りを感じているのかわからなくなるほどに。 「おいレイジ!もうやめろ!退学にでもなる気か?!」  もはや立ち上がることすらままならないらしい様子の相手に容赦なく凶器を叩きつけようとしたレイジを羽交い絞めにしたのはアスカだった。そんなアスカすら殴り飛ばしそうな程の気迫を孕んだレイジに、リュートは心なしか怯えているようにも見える。 「放せアスカ……まだ気が済まない」 「ふざけんな!殺しちまうぞ!」  その言葉にレイジは少しも怖気づく様子は無く、むしろなお一層振りほどこうとする腕に力が籠る。いよいよアスカの腕が力を失いはじめ、化物が解き放たれたその時。レイジの視界に映ったのは愛する彼にそっくりな背中とふわりと舞う長い髪、それから軽い衝撃だった。 「なんて顔してんの、レイジ先輩」  じわりと熱くなった左頬を抑えてレイジはきょとんと勇ましい彼女の横顔を見た。 「もういいでしょ?レイジ先輩は先生呼んできて」 「クユキ、退けよ…俺が、この手で」 「やだよ。いくら貴方でも、いい加減にしないと怒るから」  普段よりも落ち着いたような声でそう言うと彼女はゆっくりと息を吐き、くるりと振り向いてにこりと笑う。 「何してんの、先輩。早くっ」  それに押されるようにしてアスカはレイジを引きずるようにして暗闇の中を這い出ると、焦ったように助けを求めて廊下を走り出した。生気を失ったように成すがままのレイジに振り向く。 「いつまで呆けてんだお前は!早く先生見つけて戻るぞ!」 「あ、ああ…」  やっと正気に戻ったらしい彼はまだじんわりと熱い頬を押さえながら、脳裏に焼き付いた怯えた目に身を震わせる。やがて彼は両頬を思い切り叩き、小さく息を吐くとアスカの背を追い掛けた。  一方、二人がいなくなった暗闇の中、残されたクユキを取り囲むようにして男はにたにたと笑った。 「……おいおい、お嬢ちゃん。舐めてもらっちゃ困るぜ。あんた一人で俺たちをどうにかしようっての?」  先程まで今にも逃げ出しそうな顔をしていたというのに、とんだ変わり身だ。まあ油断してくれるのは好都合だけれど、とクユキは臨戦態勢を取る。 「口だけの男は嫌われるよ、先輩方」  彼女が中等部剣術大会優勝者だということを、3人の男は知らなかった。  いともたやすく彼らをねじ伏せたクユキはだらしなく放られた自分の愛する兄の拘束を解き、そっと頭を抱きしめる。 「く、ゆき」 「兄さん。ごめんね、もう少し早く来れれば良かった。そしたら、こんな怖い思いしなくて済んだのに」 「こわ、かった」 「よしよし」  リュートの柔らかい髪をそっと撫でながらクユキは涙で濡れた頬にそっと唇を押し付けた。ん、と小さく声を上げた彼は荒かった呼吸を整える様に深く息を吐く。 「…落ち着いたよ、クユキ。ありがとう」 「どういたしまして。…先輩の事、嫌いにならないであげてね」 「……大丈夫だよ。もう、わかったから」  小声でそう言うと、リュートはクユキの肩に頭を預け、ふは、と小さく笑った。 「情けないよなあ…俺、実は女だったのかもって一瞬思っちゃったよ」 「あら、じゃあ姉さんって呼んでいいのかな?」 「んー…悪くないかも、なんてな」  顔を上げ眉を下げたまま口角を上げて笑った彼はそっとクユキの頬に唇を押し付ける。  これほどまでにこの世界に感謝をしたことがなかった。誰を愛することも許されるこの世界を、ずっと認めたくなかったその事実を。受け入れられなかったこの気持ちを。最後の一口を飲み切る様にして、リュートはゆっくりと空気を吸い込み――満足したかのように息を吐いた。  数十分前の恐怖などとうに忘れていた。 「決心着いた?」 「うん。俺、やっぱあいつのこと――」  言いかけたその口をクユキは人差し指で押さえる。 「僕が先に聞いちゃ悪いよ。直接言ってあげなきゃ…ね?」 「……うん」 ―――――――――――――――――――――――――――――――  常習だったらしい彼らは、無事学園から追放される身となったことを数日後にリュートは耳にした。だがそんなことどうでも良くなるほどにあれから彼は鳴りやまない心臓と戦っている。  眠くなるような授業を終え、その反動と言わんばかりにいつものようにアスカとレイジと騒いだ後は自室で一人ベッドに倒れ込みため息を零す。そしてすう、と息を吸って。 「…言えねー!言えるわけねぇー!今更どんな面下げてあいつに告んの?!なんか負けた気がするー!くそー!」  枕に向かって抑えきれない気持ちをぶつけていた。 「うう…なんであれからあいつ一向に好きだの愛してるだの言わなくなるんだよ…ふざけんなよ畜生……無理だよ、切り出すタイミングがわかんねえよ…」  足をばたつかせると羽が舞う。一人部屋で良かったと心底思った。  まさか自分が恋する乙女のような葛藤をすることになるとは夢にも思っていなかった。が、郷に入っては郷に従えとも言うし、少なくともこの世界でこの想いが許されている間は許されてしかるべきだろう…そう開き直れるほどこの世界に慣れ始めているようだ。  瞼の裏に焼き付いている彼の笑顔がぎりぎりと心臓を傷めつけ、そのたびに枕がしわを蓄えていく。 「あーもう…レイジのばかぁ……好きぃ…」 「…え」 「……え?」  ドアの向こう、一瞬聞き逃してしまいそうになったその声。同時に、かけ忘れていた鍵を思い出し、ドアに駆け寄ろうとした。が、間に合わず。 「リュート!今の――へぶっ」 「入ってくんな馬鹿ァ!」  抱きしめていた枕を顔面に投げつけた。 「りゅ、リュートくん…?いきなりは酷いんじゃありませんこと…?クリティカルヒットですわよ…」 「いきなり入ってきたやつが何言ってんだ殺すぞ」 「仰る通りでございます!すんませんっした!」  身体を垂直に曲げてレイジは頭を下げる。そしてちらりとベッドの上のリュートを見上げた。 「怒ってる?」 「……別に」 「いや、聞き耳立ててたのは悪かったって…リュートの悩ましい声聞こえちゃってつい」 「下心丸出しじゃねえか」  恐る恐る差し出された枕を奪い取り、ぎゅう、と腕に抱きしめながらリュートは火照った頬を隠す。 「…どこから聞いてた?」 「え?えっと、なんか負けた気がするー!ってとこから…」 「かなり序盤ー!」  隠れてしまった彼の頬を誘い出すようにレイジは優しく笑みを浮かべ、そっと枕を取り上げた。アッパーどころかフックまで覚悟していたが、意外にも彼は大きな抵抗はせず、ただ目を逸らすだけだった。その様子がどうしようもなく愛らしくて悩ましくて、自慢の息子がこれでもかと騒ぎ立てるけれども、落ち着け俺…ここで抑えられなかったら今までの苦労が水の泡だぞー。 「ね、リュート」 「なっ…なん、だよ」 「俺の事、好き?」  すると彼はしばし目を泳がせ、やがて再び枕を奪い取りそれに顔を埋めると――こく、と小さく頷いた。  瞬間、レイジの中でファンファーレが鳴り響く。が、それを表に出さないよう、既に冷静さを失っている息子をどうどうと宥めながらそっとリュートの髪を撫でた。 「俺もリュートの事好きだよ」 「…う、うるさい……知ってるよ、ばか」  うちの恋人が可愛すぎて、息子が爆発寸前です。助けてください。とりあえずレイジは天を仰いでおくことにした。

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