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闇に怯える君を

「ん、んん…」  暗闇の中リュートは目を覚ました。がんがんと痛む頭を抑えるため手を動かそうとしたが、それは叶わない。後ろ手で何かに固定されているらしい両手首からぎち、と縄が擦れる音がした。ぞくりと背筋が凍る。目が暗闇に慣れていないのも相まって恐怖心が一気に押し寄せてくる。頬を生暖かい液体が流れた跡がついていることにも、視界がぐらついていることにも気付いていない。口には布のようなモノを噛まされていて、唸ることしかできない。どちらにせよ恐怖でまともに声など出せそうにないが。 「んむっ…う…」  喉の奥が乾いて手が震える。思考が纏まらない。何が起こっている?  その時、一瞬だけ暗闇の中に一筋の光が差し込み――すぐにそれは潰えた。同時に、押し付けるような乱暴な明かりが顔にかかる。懐中電灯の向こう、顔が見えないその大きなシルエットは少なくともリュートの記憶の中に居なかった。 「剣術大会優勝っていうからどんなもんかと思ったが…思ったよりもあっさり行くもんだな」 「不意打ちだったからだろ。手足の拘束は絶対に解くなよ」 「うっわー、本当に男かよ。その辺の女よりも良い顔してるぜコイツ」  少しも相手を思いやるつもりのないらしいトーンの声は、たっぷりと理不尽を孕んでリュートを追い詰める。恐怖がじわりじわりと足先から侵入してきた。 「いやー。いいよな、剣術大会。普段は禁止されてる他の棟に入れるんだからよ。これだから卒業したくねえんだ」 「ああ、そうだ。口は取ってやれよ。こんなとこどうせ誰も通らないだろ」  その言葉に頷いた一つの影が乱暴に頬を挟むように固定し、唾液を吸った布を引き抜く。同時に酸素が気管に雪崩れ込んできて、激しくむせた。口の端から滑り落ちる唾液も目尻から溢れた涙も拭うことができない。折角自由になった口もただ震えるだけで声は出なかった。 「そんなに怖がるこた無いだろ。なあ?」  下品に大口を開けて笑う彼らに見下され、自分の無力を呪った。乱暴に脱がされていく衣服。これから何をされるのか――そんなこと安易に想像がついた。が、彼がまだ上手く飲み込めていない、男同士というそれを、想像しただけで。 「う、あ……やだ、やだっ…」  ぎしりぎしりと手首に絡みつく麻が音を立てる。どれだけ警戒されていたのだろう、まだ数分も暴れていないというのに手首は痛みに支配されていた。 「おいおい…俺、男って初めてだったけど、全然イケそうだわ」 「だから言っただろ。お前、最初にヤっていいぞ」  吐き気が込み上げる。胃酸が逆流する。乱暴な手が、言葉が、全てを侵す。 「やだ……たすけて…」  身体を蝕む気色の悪い感触が涙を目尻から押し出した。冷たい床にシミができる。この先を、記憶の中に保存するくらいならいっそ。  死んでしまいたい、と。そう思った瞬間、脳裏に蘇ったのは土砂降りの中鮮血をまき散らしたあの日と、彼の顔。記憶の中、藍色を纏った彼は赤く染まり体温を失いかけた手を握っていた。血が止まって冷たくなりかけていた指先に温度が戻ってくるような気がする。同時に、気が付いた。  彼の温度を求めている自分に。 「助けて…レイジ…ッ」 ―――――――――――――――――――――――――――――  びくり、と。なんとなく呼ばれたような気がしてレイジは振り向く。と同時に、後頭部に容赦なく稽古用の剣が叩きつけられた。がつん、と激しい音が鳴る。 「いっでぇえ!アスカてめぇ!」 「急によそ見すんなよー。流石に止めれねえよ今のは」 「せめて力は抜けよ!」 「てへぺろ」 「よーしもう一戦だコラ」  その時だった。 「ほあたー!」 「あだぁああ?!」  今度は腹部に思い切り剣を突かれて、レイジは吹き飛ぶ。一方そんな彼を見て満足そうにしているのはクユキだった。 「レイジ先輩よそ見してちゃダメですよ」 「お前ら俺になんか恨みでも持ってんの…」 「僕負けず嫌いなんです」  手に持った剣を元あった場所に戻してクユキは辺りを見回す。 「あれ?レイジ先輩たちと一緒にいると思ったんだけどなあ…兄さん見ませんでした?」 「いや…見てないけど」  アスカが首を振る。すると彼女は不思議そうに首を傾げた。 「実は兄さんにもう一つ話が合って、一旦別れた後すぐ戻ったんですよ。そしたらどこにも居なくなってて。周辺とか教室とか探してみたんだけど居ないんですよね。どこ行っちゃったんだろう、兄さん」 「アスカ、稽古はこの辺にして探してみようぜ。俺アイス奢ってもらう約束してるし」 「え?いいなー。俺もついでに奢ってもーらお」  アスカは頬を伝う汗をぐいと拭うと、稽古用の剣を戻す。 「あれ?レイジ、剣戻せよ。早く行こうぜ」 「…いや、ちょっと…このままこれは借りとくことにする」 「は?なんだよ、反抗期か?怒られても知らねえぞ」  他の教室を回ってみる、と言って別行動を取り始めたクユキを見送り、アスカとレイジは一旦リュートが居た場所に戻って来た。 「やっぱり居ないか…」  レイジは落胆したように漏らす。先程からそわそわと落ち着かない様子の彼を宥めようとしたその時、アスカは視界の端に赤いシミを見つけた。 「れ、レイジ!これ…血痕、じゃないか?」  血痕は道標のように点々と床についている。まだ乾いていないところを見ると、あまり時間は経過していなさそうだが。二人の間を不安が駆け抜ける。 「…手分けして探そう、アスカ」 「ああ!俺はあっちの方見て来る!」  そう言い、アスカは廊下の奥へと消えていった。それを見届けてからレイジは方向を変え、少しの迷いもなく歩き出す。そして手に握った剣をふと見下げ、呟いた。 「やっぱ持ってきてよかった」  足早に彼の気配を辿る。香りを、吐息を――声を。そうして辿り着いたのは、第五準備室とプレートが掲げられた重たそうな鉄扉の前。それを開けようとした瞬間だった。 「やっ…やだ…!あっ、ぐ…さわ、るなぁっ…!」  愛する彼の、嗚咽交じりの声。やがて渾身の力で開け放った鉄扉の先に広がっていた景色は、真っ青な頬を涙で濡らした緑色の彼と、それを取り囲むようにした下半身裸の男が3人。手首と手足とにくっきりと付いた麻が擦れた跡。なにより、汚らしい手が、液体が、彼の肌を。  ぷつ、と。何が切れる音がした。 「人のモンに隠れて手ェ出すたぁ、いい度胸してんじゃねーか」  手にした剣を構えることもなくゆっくりと暗闇へと逆光を浴びて足を踏み入れる。恐怖に慄いたらしい男達の顔は傑作だったが、笑みは少しも零れなかった。 「稽古に使ってた剣が真剣じゃなくて良かったなァ…?」  剣を振り下ろしたその時、自分の名前を呼ぶ声が聞こえた気がした。

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