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手が届きそうな君の元へ
「え、レイジ…クユキに勝ったのか?!」
氷菓子を食べる手を止め、リュートは目を丸くする。やっとこさ顔の腫れは引いたが今日一日はうまく動けそうにない身体に無理を言い、えへん、と威張る。その動作だけでも二の腕とか腰とかなんかよくわかんない部位とかがえぐい音を出すけれども我慢我慢。好きな人の前では格好つけたいのが男の性なのだ。
「ギリギリだったけどな。手加減してる感じは、なかった、と、思う…」
あの後、けろりとした顔で友人のため絆創膏を取りに来た彼女のことを考えるともしやとも考えてしまうが、終わった後はだいぶ消耗していたように見えたしそれが演技だったとも思えないし…。
「…でも、手加減してたらあんなさっぱりした顔しないと思うよ」
しゃり、と思い出したかのように氷菓子を頬張り、リュートは夏空を見上げながら言う。押し付けるような暑さに挑戦するように彼の緑色の髪がきらきらと光っていた。
思わず手を伸ばして――引っ込めた。汗ばむ手を服でがしがしと拭いてから改めて手を伸ばし、彼の髪を指先でちょいちょいと弄った。頬を流れる汗を吸ってしっとりと湿った髪が色っぽい。ん、と彼は棒にこびりついた氷菓子を舐めている。
「お前ホント俺の息子攻撃すんの好きだよな」
「はあ?勝手におっ勃ててんじゃねえよ」
「…辛辣ぅ」
既に味のしなくなった棒を口で弄びながら彼はゆらゆらと暇そうに揺れた。
「なあ、リュート」
「んー?」
「もし本当に俺が優勝したら…俺と」
それを全部言い終わる前に、彼の細い指がレイジの唇を硬直させた。唇をなぞり、彼はにたりと笑う。
「負けないから、俺」
「っ……お、俺だって」
声が上ずる。獲物を狙う獣のような瞳が心臓を熱く貫いて、血が噴き出すようにどくどくと脈打ち始めた。そんなレイジの内心を知ってか知らずか彼は遠くにあるゴミ箱に棒をシュートし、呻きながら背筋を伸ばして立ち上がった。
「さーてと…負けないように稽古でもしに行こうかな。…一緒に来る?」
「あっ、え…い、いいのか?」
「嫌なら一人で行くけど」
「い、行くっ!」
「じゃ競争!勝った方がアイス奢りなー!」
「まだ食べるのかっ?!お腹壊すぞ!」
――――――――――――――――――――――――――――――――――
数日後の表彰式。
表彰台に上ったのは、例の如く彼だった。
「あの流れでまさか負けるとは…」
トロフィーを抱きしめながら嬉しそうに微笑むリュートの隣、レイジは真っ白に燃え尽きていた。
「鮮やかなフラグの折れ方だったな!」
にっかー、と清々しい笑顔でアスカは大笑いする。
「それにしてもすっごい戦いだったな!リュートが強いのは知ってたけど、レイジもあそこまでついていけるとは思ってなかったよ」
「くっ…後半勝てると思ったのに…」
忌々しそうにレイジは横でるんるんと揺れているリュートを睨む。
「あっはは。怯んだ俺に畳みかけられなかったのがお前の敗因だな」
「だってお前…あんな顔されたら思わずぐってなるだろ。殴れないだろ」
「それが敗因なんだっての」
「うう…」
とうとうレイジは膝を抱えて小さくなってしまった。が、すぐに立ち上がるとびしっとリュートを指して叫んだ。
「畜生、リュート勝負だ!俺が勝ったら付き合え!」
「往生際悪ッ!プライドもクソもねえなレイジ!ボコボコにされちまえ!」
「いいよ」
「いいのかよリュート!マジかよ!」
レイジはやっほう、と飛び上がる。
「絶対だかんな!約束だかんな!破ったら許さねえかんな!」
勢いそのままそう叫ぶと、ばたばたと騒がしく廊下を走って稽古上の方へと再び消えていった。そんな様子を可笑しそうに笑いながらリュートは見送る。
「馬鹿だなあ、レイジ。俺に勝てるわけないのにね」
ひらひらと手を振りながら愛らしい笑顔でそう言う緑色の彼を見てアスカは――。
「なんか…リュートさ」
「ん?」
「いや、やっぱなんでもない」
「え、なんだよ。気になるから言えよ」
「…怒るなよ?」
「怒らせるようなことなの」
「お前なんか、すっごく…女みたいな顔してるぞ」
「……喧嘩なら買うけど?」
「怒るなって言っただろ」
リュートの拳をアスカが手のひらで受け止めた。びりびりと痺れる手に思わず顔をしかめながらアスカは喉の奥で笑う。
「正直さ、お前とレイジ、結構お似合いだよ」
「よーし腹パン行くか?」
「照れるなよリュート」
「照れてないッ!」
「わかったわかった。さーて、俺はレイジの相手してやるとっすっかな」
「あっ、逃げるなコラ!」
リュートの制止も聞かずアスカはすたこらと走り去り、廊下の角を曲がって行った。あの野郎、とつい悪態を吐いたその時。
「にーいさんっ」
どこからかひょっこりとクユキが顔を出した。
「クユキ?なんでここに?ここ一応高等部校舎なんだけど…」
「兄さんにおめでとう言いに来たの。どうせ明後日まで後夜祭だから授業ないし」
「そうなの?クユキこそ中等部優勝したじゃないか。おめでとう」
「えへへ、ありがと。次に稽古するときは約束通り本気で相手してよねっ」
そう言う彼女にリュートは苦笑いをしながらわかったよ、と頷く。両手を上げて喜ぶクユキが可愛らしくてそっと手を伸ばして彼女の柔らかい髪を撫でた。くすぐったそうにくすくすと笑うクユキを見ながら、リュートは中等部剣術大会決勝戦で見せた彼女の戦闘力を思い出して身震いする。むしろ今までクユキの方が手加減していたんじゃないだろうかと思うほどに彼女は成長していた。寧ろこれからは本気でやらないと殺られる…よくレイジ勝ったな…。
「ねえ、兄さん。あの人…レイジ先輩の相手してあげるんでしょ?」
兄さんも甘いね、なんて言いながらまるで恋バナに混ざるかのような顔をしてリュートの隣でクユキは楽しそうにゆらゆらと身体を揺らす。
「聞いてたのかよ…盗み聞きは行儀悪いぞ、クユキ」
「聞こえちゃったんだもん。そんなことより、兄さんもいつまでも意地張ってないで素直になったらいいのに」
「…俺は別にそういうんじゃないし」
「もー!恋する乙女みたいな顔して何言ってんの!僕はあの人いいと思うけどなあ」
「なっ…そ、そんな顔してないだろ!」
「してるよ!兄さん、顔真っ赤なの気付いてないの?」
「う、うぐ」
リュートは両手を自分の頬に宛てた。心なしか温度が高い気がする。それを自覚すると更に体温が上がるような気がした。
「だって…俺、ついこの間起きたばっかりだし……まだ、その…恋愛、とかする余裕なんて…」
しかも相手は男だし、という言葉は飲み込んだ。この世界では愛に性別の壁などない。寧ろ家の書庫に当たり前のように同性同士の恋愛小説が何冊も置いてあったことを考えると男女間の恋愛と同等か、あるいはそれよりも――。
「…そっか。ごめんね、兄さん。いいんだよ、兄さんのペースで。もしあの人が無理やり迫ってきたりしたら言ってね。ぼっこぼこにしてあげるから」
「それは大丈夫。俺が直々にボコすから」
ぐ、と握りこぶしを作りながら言うとクユキは、じゃあ安心だね、とくすくすと笑った。
「じゃ、そろそろ僕は戻ろうかな」
勢いを付けながら立ち上がった彼女はその場でくるりと踊る様にターンをしてみせるとリュートの瞼にそっと唇を押し付ける。そんな彼女に呼応するようにリュートは彼女の髪に唇を落とした。
「頑張ってね、兄さん」
「はいはい。気を付けて戻るんだよ、クユキ」
そうしてクユキを見送った直後の事だった。不意に視線を感じ、リュートは勢いよく背後を振り向く。だが目の前に広がった空間には人どころか鳥すら居ない。気のせいかとほっと息を吐いた瞬間、リュートの意識は後頭部に響いた鈍痛と共に暗闇へと落ちていった。
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