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風を浴びる貴方を
がらり、と。稽古場の扉を引いたその先で、レイジは黄緑色の髪がふわりと舞うのを見た。鋭いものが何かを切る音、支えを失ったらしい何かが床を転がる音。同時に刃物が鞘に収まる小気味良い音がひんやりとした空気を震わせた。
「……ああ、ごめんなさい。いま終わったところだからすぐに――あら」
黄緑色の彼女は頬を伝う汗をぐいと拭い立ち去ろうとしたが、レイジの顔を見て驚き、次になにやら複雑そうな顔をする。――後、何かを覚悟したかのように小さな唇をきゅっと引き締めた。
「すぐ飛び出していった割には遅かったね、先輩」
「君は、リュートと一緒にいた…?」
「さっきの告白、素敵だったよ」
レイジの言葉に応えることなく彼女はそう言う。結い上げられた長い髪がふわりと揺れ、笑みの奥の鋭い目つきがレイジを捉える。どことなく彼に似ているその視線に思わず息を飲み込んだ。
「ねえ…先輩。せっかくだから、僕と手合わせしましょう。一人で動かない的を嬲るよりずっといいとは思いませんか?」
獲物を狙う獣のような眼光に絡めとられ、逃げ出せなくなる。有無を言わせず選択肢を奪われたレイジは恐る恐る首を縦に振った。彼女は明らかに自分よりも強い。戦わずともわかる。だが。
「手加減はしないでくださいよ。僕、優勝狙ってるんですから」
「…君こそね」
リュートへの告白を成功させるためには、少なくともリュートに勝たなければいけないのだ。彼女に勝てないならば彼になぞ勝てるはずがない。…この少女と彼とのどっちが強いのかはまだわからないが。
「じゃ、始めましょう、先輩」
―――――――――――――――――――――――――――――――
「っうわ…どーしたんだお前…」
レイジは、今なお剣術大会が行われている闘技場の気が遠くなりそうな程長い廊下でばったりアスカと出会った。
「え、大丈夫かよ…おま、え、えー?とりあえず医務室行けば?」
「そんなことよりリュート知らないか?」
「そんなことよりってお前その顔でリュートに会いに行くのか…?すっごい不細工だぞ」
「元から整った顔じゃねえ」
「はあ……リュートなら着替えるって言って教室戻ったぞ」
「サンキュ、アスカ!」
バタバタと消えていったレイジの背中をアスカはため息交じりに見つめる。そうしてとんでもない奴にとんでもなく気に入られている自分の友人にそっと同情した。
刺さるような暑さの中を走り抜けていつも通っている学校へ入り込み、いつも勝手に侵入している教室のドアを勢いよく開ける。風にたなびくカーテンの近く、透き通った窓ガラスから隠れるようにしてリュートは着替えていた。
どこにあれだけの戦闘力を秘めているのかわからないほど細い足腰、緑色の髪との美しいコントラストを描く白い肌。驚くほど透き通った首筋。思わず生唾を飲み込んだ。
その時、気配を感じたのかリュートが勢いよくこちらへ振り向く。
「…びっくりした」
立ちすくむレイジを見てそう言い、ほっとしたように息を吐くと頭から服を被る。暑いのかズボンの裾をがしがしとたくし上げ、よれた靴のかかとを直しながらレイジに近付いてきた。それからそっぽを向きながら忙しなく髪を触る。先ほど目に焼き付けた美しい絵画のような映像だけで既にキャパは限界だったというのに、彼のそんないじらしい仕草はいともたやすくレイジのメーターを振り切らせた。
「あの、さ…レイジ、この間はごめ―――お前顔どうした」
「え、別にいつも通りだけど」
「無理があるよ!ぜんっぜん声出てねえじゃん!ちょっとこっち来い!」
ぐいとレイジの手を引いてリュートは早歩きで教室を出た。
「リュート?どこ行くんだよ」
「どこって…お前、元から無い脳みそまで殴られて消滅したんじゃねえの。医務室に決まってんだろ」
「なんで?俺今めっちゃ元気だけど?息子共々」
「使い物にならなくしてやろうか」
そのうち辿り着いた医務室に無理やり引きずり込み、レイジをベッドに転がしてその脇にあった椅子に座った。
「やっだぁもうリュートったらダ・イ・タ・ン」
「殺すぞ」
「さっきから当たり強くね?アンタ、さっき俺に謝ろうとしてたよね?ごめんなさいの気持ちどこ行ったの?」
「黙ってろカス」
「辛辣…」
どうやら医務室には誰もいないようで仕方なくリュートはレイジの腫れあがった顔に消毒液をぶちまけた。
「っヅァア!」
「もっと人間らしい悲鳴をあげろよ」
「お前は俺に人間らしい扱いをしろよ!お前が手当実技の得点高いの知ってんだからな俺!」
「やかましいその口縫いつけてやろうか」
「リュートこわい…」
先ほどの告白などなかったことにされそうな勢いで刺々しい言葉を顔面目がけて投げて来るリュート。こいつもしや俺の事嫌いなのではと思い始めたその時、急に静かになった彼がきゅ、とレイジの服の裾を掴んで俯いた。
「リュート?」
「……もう会えないかと思った」
蚊の鳴くような声でそう言い、肩を震わせる彼の髪をそっと撫でる。
「嫌われたかと思った?」
薄いガラス玉に触れるかのようにそう優しく言うと彼は目を合わせずこくりと頷いた。しおらしい様子が異常なほど愛らしくて、レイジは思わずリュートの腕を引いて抱き寄せる。以外にも彼は抵抗せずすっぽりと腕の中に収まった。
「安心しろよ。最初から少しも怒ってないから」
「…でも、傷ついただろ」
「そんな顔するなよ。大丈夫さ。そんなに気にするなら、癒してくれてもいいんだぜ?」
待って、優勝前にイケちゃうんじゃね、なんて思ったその時だった。がらりとドアが開くと同時にレイジは思い切り突き飛ばされて頭から床に落ちた。ベッドの上では、ぽかんとした顔のリュートが自分を見下げている。
「…何すんだよリュート…」
「ご、ごめん…つい…びっくりして」
無神経にも医務室に何の躊躇もなく入ってきたのは女生徒だった。それも、見覚えしかない。
「あ、クユキ」
ひっくり返ったままのレイジを助け起こすこともせずリュートはそそくさと女生徒に近付いた。大声で泣いてやろうかとすら思った。
「どうした?どっか怪我でもしたのか?」
「ううん。友達が怪我しちゃって。絆創膏貰いに来たの」
「そうか。先生が戻ってきたら俺から話しておくよ。持っていきな」
「本当?ありがと、兄さん」
途端。がばりとレイジは体を起こし、クユキに詰め寄る。
「"兄さん"?!」
「うん。兄さん」
こくりと頷き、クユキは悪戯っぽく笑う。こいつ…わざと"兄さん"って言うの避けてたな?
「え?何、お前ら知り合いだったの?どこで?」
「まあちょっとね。じゃ、兄さん、絆創膏ありがとっ」
唇に人差し指を宛がいウインクをかましたクユキは、ぱたぱたと医務室の出口へと向かう。そしてドアに手を掛けたところでくるりと振り向きにっこりと笑った。
「ねえ、僕、兄さん、もう一人欲しいかも…なんてね」
その言葉を理解するには少し時間が掛かったが、少なくともレイジが気付いた瞬間アッパーを喰らわせることはできた。
「…照れ隠しにしてはクリティカルヒットすぎるんだけど……」
「ごめん…つい…」
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