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38:駅
ここには毎週のようにマキとよく遊びに来る。よくマキが立って俺を待つ場所を見ると、今そこにいない人が急に恋しくなった。
今日は本来ならマキがうちに来るはずだった。いつものデートから一歩踏み込んだ約束に、俺もマキも期待していたはずだ。最後のやりとりを思い出すと、きっと上手くいくと自信が持てた。俺から告白した方がいいんだろうか。付き合ったら、また朝まで一緒に居て料理をしてくれるだろうか。そんなことまで想像する。気分が良いから、その分考えることも楽観的だった。
だから俺はマキがどういう人間で、どうして俺と寝たのかも忘れて、その姿が偶然見えたときに嬉しくて声をかけようとしてしまった。
なんだ、お前も遊びに来ていたのか。用事はもういいのか。今から帰るところか。ちょうどいい、うちに来ないか。マキにそう声をかけようとして、押し留まった。隣に誰かいる。
女だ。見覚えがある。
――打ち上げのとき、マキに声をかけていた。
美人だから覚えていた。こんな男前に逆ナンを仕掛けるなんて、なるほど自身も美しいから出来るのだろうと思ったのだ。別れを惜しむかのように壁際に向かい合って立ち話をしていた。マキの横顔が優しげに微笑んでいる。笑顔だが、楽しいときのそれじゃない。俺はその顔を知ってる。
俺を口説いてるときの顔だ。
「きゃーっ!」
突然、女が悲鳴を上げて口元を手で覆った。離れてる俺にも聞こえるくらいの声量で、道行く人がちらりと様子を伺う。確かにそれは悲鳴だが、恐怖を感じてのものじゃない。黄色くて歓喜に満ちたものだ。若い女にありがちな大げさなリアクションで、その場でぴょんぴょんジャンプしていた。マキがキャップのつばを手で下げ、顔を隠した。……その仕草は、照れ隠しでよくする。
状況がよく分からない。
ただ、お互いに頬を染めて向き合い、マキは照れて顔を隠し、女は喜んでいる。俺はその隣を通り過ぎないと電車に乗れず、家に帰れない。足が動かなかった。硬直した手足とは反対に、頭の中は何とか混乱を解消しようとあれこれと2人の関係性と会話内容を考えていた。どのパターンも結論が良くない。
マキはわざわざ俺との約束を断って、その女を優先したのか。
待ち合わせ場所でよくスマホを弄って待っていたのは、その女と連絡を取っていたのか。
浮気か。……浮気は俺の方か。
マキと同年代だろう女は格好も若く洒落ていて、スタイルも顔だちも良く、自身の魅力を磨くのに努力をしているようだった。マキの隣に並ぶのがよく似合う。傍目にはお似合いのカップルだった。
見てられない。
結局、本人に確かめないことには分からない。とにかく今日はやめよう。俯いたまま気づかれないよう駅の構内へと足を進めた。よせばいいのに、勝手に耳が2人の会話を拾う。
「格好いい。私も好き」
足早にその場を離れた。ちょうど来た電車に逃げるように駆け込み、壁にもたれかかった。女に褒められた後の「え~、やめてよ~」というマキの情けない声が耳に張り付いて離れない。あいつ、デレデレしやがって。女相手だとああいう風になるのか。好きだと言われたことがそんなに嬉しいのか。
付き合うのか。
俺じゃなく、彼女と。
「……っ」
週末の電車は混み合っている。誰もが他人と目を合わせないようにスマホを弄り、本を読み、空中を見つめている。隣に立つ学生はイヤホンで音楽を聴いているようだ。誰も俺のことなんか気にしない。それでも嗚咽を飲み込んだ。
最初から分かっていたじゃないか。マキが俺のことを好きじゃないことくらい。一夜限りと分かってて、セックスしたんじゃないか。
やってる最中に勢いで言ったことに収拾がつかなくなって、マキは俺とデートしていたんだろう。そもそもが好きかどうか確かめるためのデートで、マキはそうじゃなかったのだ。それだけのことだ。男同士、友達のように遊べばそれなりに楽しい。俺の家に来ると言ったのも、また寝れると思って喜んだだけかもしれない。最低だ。
でも俺だって同じことをしていた。酒を飲んでセックスするだけの関係を、何人とも。今更マキのそれをどうして責められる。ただ俺が勝手に本気になっただけだ。
本気で好きになって、苦しんでるだけだ。
最寄りの駅名がアナウンスされ、体が勝手に電車から降りた。マキが家に置いて行った歯ブラシと揃いの商品を横目に、コンビニで酒を買って、帰ったら吐くまで飲んだ。せっかく食った肉が台無しだ。土日はそうやって過ごし、月曜日は何てことない顔で出勤した。失恋が仕事に影響するほど俺はもう若くない。
ただ、マキから「リベンジしよう」と週末の約束を確認するメッセージが来ていた、それには返信できなかった。
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