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プロローグ
薄く軽い金属が作った小さな空間に、たくさんの白くて丸いものをぎゅうぎゅうに詰めた。それは僕の心をギリギリにでもまともに保つためには不可欠なもの。でも、それではいけないことくらい、もちろんよく分かっている。
「蓮さん、お相手がお待ちですから。お急ぎになって」
これからまた始まる痛くて苦しい時間を、どうにか生きてやり過ごすためには、これくらいの手段は取らないとやっていけない。
麻薬になんか、手を出さない。酒に溺れることも許されない。だからどうか、これだけは僕から奪わないでください。
「はい、お母さん」
ケースを開いて、少しだけ欠けたラムネが擦れる音を聞く。一粒取り出して、口の中へと放り込んだ。
白くて丸い粉の塊は、シュワシュワと解けて、すうっと体に染み込んでいく。
——大丈夫、今日も無事に勤めを果たそう。
僕はスッと前を向き、カフスボタンに触れた。彼がくれたこのボタンは、ここに辿り着く前には僕の胸元を優しく這っていた。
『蓮、これが欲しい?』
そう訊きながら、それがどれなのかもわからなくなるくらいに乱れていた自分を思い出す。うっかり彼が触れてくれていたあたりが反応しそうになってしまう。
——ダメダメ、もう少し我慢して。その記憶を活躍させるのは、今から先の地獄の中で……。
そう、僕は今から嫌いな男に抱かれなくてはならない。母さんの言いつけを守り、父さんと葵を守るためにはこれを続けなくてはならないんだ。
毛足の長い絨毯の上を、胸を張って歩く。絶対に背中を丸めない、絶対に卑屈にならない。いつか必ずこの手に全てを手に入れるまで、僕はこの道を行くと決めたのだから。
かつて葵たちが泊まった事もある、あのペントハウスへと向かう。その一角には、誰にも知られてはいけない隠し扉がある。そのドアを、もったいつけるように、ゆっくりとノックした。お相手は、よほど待ちかねていたのだろう。返事もなく、思い切り扉が開かれた。
ドアの隙間から、欲望のままに生きている獣のような男の腕が伸びてくる。僕の首についているリードを遠慮なく思い切り引っ張った。首から体ごと中へと引き摺り込まれる。後ろから、地獄の釜の蓋が閉まる音が聞こえた。
「待っていたよ。さあ、楽しもう」
僕はふっと息を吐いた。楽しいのはあなただけだ。僕は何一つ楽しいことなど無いのだから。ただひたすらに、苦しくて辛くて痛いだけだ。
——またいつもの、生きながらの死が始まる。
それでも、これが何度目なのかわからないくらい、この人の相手をさせられている。ある程度はかわせるようになってきた。今日も自分のペースに持っていくために、僕は男へ上目遣いでお願いした。
「ご主人様、僕恥ずかしいので、今日も目隠ししてくださいね」
でもご主人様はそれを聞き入れてくれなかった。その代わりに僕の手を後ろで縛ると、そのままベッドへと僕を放り投げた。
「お前のその美しい目を見ないでいるなんて、そんな勿体無いことができるわけないだろう? この前はそれに気がつくのに時間がかかったんだ。今日は絶対に俺を見ながら奉仕しろ」
一瞬僕の心の中で、真っ黒い塊が蠢いた。思わずチッと小さく舌打ちしてしまった。それでもそれが聞こえないくらいに男は年を取っている。聞こえていたら、逆鱗に触れているだろうから、セーフだ。
こんな紐くらい、腕の力だけで簡単に引きちぎることは出来る。こんなおっさん一人くらい、いくらでもブチのめす事だって出来る。でもそれはしてはいけない。父さんの幸せを壊すわけにはいかない。
元々括っている腹を、さらに括り直す。僕はとびきり可愛らしいだろう笑顔を作って、おねだりをした。
「わかりました。じゃあ、早速……」
僕は相手のローブの紐を口で噛んで引いた。もちろん一度に引き抜いたりしない。ちょっと下手くそでウブなふりをして、辿々しく見せていく。引きながら胸を逸らせ、わざと胸元に光るピアスが見えるようにしながら、相手が勝手に興奮してくれるようにした。
「んっ……ん、ふっ……」
ローブで擦れるそのピアスは、僕のことも少しずつ高めてくれる。相手の男に触られて気持ちよくなってやったりなんかしない。僕は今、お前を相手にしてるわけじゃない。
『蓮、気持ちいい? ここもっとする?』
「あっ、は、ン」
今ここで起こることは、全て僕と綾人さんの間でコントロールしているんだから。
——何があろうと、お前なんかに堕ちたりしない。
紐を全て抜き去ると、僕を見るだけで心臓が破裂しそうな顔をしている男の中心に向かって顔を埋めた。
「ぐっ、ん、ん」
僕の髪の毛を引きちぎりながら、相手が喉の奥まで突き立てるのを黙って迎え入れる。かぱっと開くことも、ぐっと締めることも出来るようになったソコは、相手が一番好きなところらしい。
「あ、お前は、ほん、と……ココがすごいな……」
そう言って勝手にどんどん上り詰めていくのを感じながら、僕は妄想の奥深くへと入り込む。
——綾人さん、綾人さん……もっと気持ちよくなって。
目を見たいと言いながら、あまりに喜んでいるのか、相手はしっかりと目を閉じている。必死になって腰を振りながら、僕の髪を掴む手に力を入れ、肩の肉に爪を立てて減り込ませていく。
「はあ、あ、蓮、のめ、よ」
そう言うと、僕の口の中に、その汚い欲望の全てを吐き出した。ラムネを食べている僕は、その味すらとても愛しい人のものだと勘違いできる。甘い世界に入り込んでいた。
——僕は綾人さんにしか抱かれない。
そう思って、満たされた気分で微笑んだ。そして、命令されるより前に、目の前の肉の塊に白くまとわりついているものを、舐めとろうとした。いつもこれをすると相手は満足して帰っていく。それ以上のことをされることは稀だ。なんせもう高齢だから。そう思って安心し切っていると、肩に強烈な痛みを感じて仰け反った。
「っあああああ!」
後ろ手に縛られているから、痛い場所を触ることも出来ない。何が起きているのかもわからなかった。それでも、その強烈な痛みでさえも、そのまま耐えるしか無かった。でも、分かってる。相手は僕の叫び声が聞きたい。だから、遠慮なく叫んで痛みを逃した。
「うわあああ! や、やめっ! ひいッ!」
予想通り、相手はニタリと笑っている。タバコを手にして、涙を流す僕を見ていた。そしてまたあの汚い肉の塊は、その中に熱を溜めているようだった。
——最悪だ。火傷させた上に最後までヤるつもりかよ……。
ポロポロと涙を溢しながら、じっと相手を見つめた。相手は僕の目が好きだから。予想通りどんどんあの肉に熱が溜まり、痛そうなほど立ち上がっていった。孫が成人するような年齢なのに、ある意味すごいなと半ば感心してしまうくらいだった。
僕は口を噤んだまま相手の上に跨った。そして、また上目遣いに見上げる。そのまま腰を下ろして、相手の願いを叶えることにした。
「あっ、んっ、ご、主人さ、まあっ!」
言い終わるか終わらないかのうちに、下から突き上げられた。それと同時に、ピアスの上から胸に食らいつかれた。その顎が容赦なく閉じられ、ギリギリと肌に食い込んでいく。じゅっと肌の奥で血が漏れ出した。
「イッ」
——痛い! ダメだ、もう耐えられない。
妄想でも追いつけないほどの痛みが胸に広がる。ヒリヒリ、ジンジンなんて可愛いものじゃない。まるでそこを焼かれたように痛い。その血を舐め取られて、悪寒が走った。
「ひっ!」
僕のその様子を見て、相手が狂ったように笑い始めた。
「あはははは! みっともないなあ、蓮! その顔が歪んだ瞬間が最高にイイぞ! もっと泣け!」
呪いの言葉を吐きながら、容赦なく腰を突き上げ続ける悪魔を相手に、僕はもう一度綾人さんの顔を思い浮かべた。
『蓮、蓮……』
僕の名前を呼んで、切なそうに眉根を寄せる綾人さんを思うと、きゅうっと後孔が疼いた。息が上がる。奥が震える。痛みも苦しみも、全てが甘くなっていく。
「あ、あ、ああっ」
相手も、僕が吹き上げるのを見て満足するだろう。だから、もっと想像して。綾人さんの体温、匂い、手の動き。愛おしそうに僕を見る目。
「ンンッ、イ、あ、だ、して、も、イ、で、す、か」
ニヤリと笑った相手は、満足そうに頷いた。僕はそれを合図に、思い切り後ろに体を反り、相手の顔目掛けて噴き上げた。同時に僕の中にも、相手の欲が吐き出された。嬉しくもない温もりがそこに溜まっていった。
力が入ら無くなった僕らは、二人してそのまま横に倒れ込んだ。ずるんと抜け出た肉は、すぐに熱を失ったようだ。相手もそれで覚めたのか、サッと身支度を整えてしまった。成功する人は切り替えが早い。いつもこう言う時に驚かされる。
「次はしっかり用意してあるところで待ってるぞ。もっとハードなことをするからな。覚悟しておけよ」
そう言って、高そうな革靴が視界から消えていった。僕は疲労と気持ち悪さで、なかなか立てずにいた。
「いった……やばいな、このままじゃシャツが擦れると痛んでしまう……仕事に障ることをするなんて信じられない……」
縛られたまま転がされている僕は、一人じゃどうにもならない。それでもここに誰かが来ることは無い。そう、誰もここを知らないのだから、誰も来れない。助ける人は来ない。
コンコンと入り口のドアをノックする音がした。返事などできるわけも無い僕は、相手が誰だか分かっているからそのままにしておいた。
「……みっともないわね。手を縛ったままだったから解いてこいと結城様に言われたの。解くだけするから、動かないのよ」
僕しかいないことがわかると、途端に下品になる言葉遣いで、継母が拘束を解いていった。
「泣くな。泣くんじゃない。今から綾人さんに会えるんだから……」
高いヒールで闊歩する悪魔のような女の後ろ姿を睨め付けながら、ノロノロと服を着た。そして、僕はこの後の救済のルーティーンに向かうため、ホテルを後にした。
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